第398話 開かれた先

 感傷的な気分を吹き飛ばすくらい騒ぎで昼食をとった。

 うるさかったのはブランだけだが。


「――さて。鍵は用意できたし、そろそろ行こうか」


 昼食の片付けを終え、寝転がるブランに声をかける。ブランは満腹のあまり、うつらうつらと昼寝しかけているようだ。


 だが、そんなことをアルは許すつもりはない。ブランに感謝の思いはあっても、それはそれ。豪華な昼食で血のお礼には十分だろう。


『む……いつの間に、鍵まで仕上げたのだ……』


 半分閉じかけている目が、億劫そうにアルを見上げた。

 アルはその頭をワシワシと撫でる。『毛並みが乱れる。やめろ……』とぼそぼそと抗議されたところでやめない。だから、観念して起きなさい。


「ブランがぼんやりしている間に作ったよ。魔粒子を亜型魔粒子に変換する魔道具はもうあったからね」


 魔石内の魔粒子を変質させる魔道具を応用して、血に亜型魔粒子を籠めた。

 竜血――ブランの場合は竜化魔物の血――は魔粒子を保持するのに優れた性質だったらしく、全く苦労することなくできたのはありがたいことだ。


『……ほーん。……まぁ、アルだからな。簡単にできて当然だろう』


 笑うように口元を歪めたブランが、起き上がり眠気を振り払うように身を震わせる。仕上げに伸びをした頃にはすっかり目が覚めたようだ。


「お前が偉そうにすることではないな」


 あぐらをかいて頬杖をつき、会話を見守っていたクインが、ブランの頭をパシリと叩いた。


『アルの功績は我のものと言っても過言ではない』

「いや、過言だよ? ブラン、そこの線引はちゃんとしてほしいな」


 ふふん、と胸を張るブランを、アルはじとりと見据えた。

 いったいいつからそんな不条理な状況が生まれたのか。わりと初めの頃からブランはそのようなことを言っていたが、アルがそれを認めた覚えはない。


『アルは我のものなのだぞ?』

「ブランのものになった覚えはないなぁ」


 心底不思議そうな顔をされるが、それはアルの方がするべき表情だ。

 呆れつつも、ため息をついて聞き流すことにする。ブランにとってこの会話が戯れの一環であることは、笑みの滲んだ目を見ればすぐに分かったから。


「――ほら、さっさと準備して。僕、早く塔に行きたいんだから」

『いったい何があるんだろうな。転送陣だけではなさそうだが』


 一瞬でブランの姿が消えたと思ったら、肩に慣れた重みがかかる。自分で歩く気はないらしい。どうせ転移魔法で行くのだからいいのだが。


「塔に行ったら、次は聖域か。聖域の中でも特殊な場所に着くということは、吾が案内の役割を果たせそうにないな」


 クインが少し残念そうに呟く。そして、立ち上がりアルの傍に近づいた。


「クインが傍にいてくれるだけで心強いですよ。なにせ、ブランは怠け者なので」

「ふむ。アルの警護は任せるがいい。愚息より役に立つのは間違いない」

『我はアルの成長のために見守ってやっているだけだ! 守るべき時は守るぞ!』


 プンプンと怒るブランを横目に、クインと目を合わせる。

 お互いが冗談で言っているのは分かりきっていた。アルにとって最も頼れる相棒がブランであることは、今更口にせずとも明らかな事実なのだから。


「……はいはい、ブランのことも頼りにしてるよ」

『完全に聞き流しているだろう!? 生意気めっ』

「肩で暴れられると落としちゃいそう……って、頭叩かないでよ」


 痛みのない抗議に密かに笑い、アルはクインに手を伸ばす。

 触れ合った瞬間に転移魔法を発動させれば、そこはもうメイズ国の都の外れだった。


『む……我はやはり、ここの空気は好かん』


 ピタリと動きを止めたブランが周囲を見渡してボソリと呟く。

 乾燥した空気は微細な砂を含み、確かに居心地はよくない。自慢の毛並みをごわごわにさせるのだから、ブランはなおさらそう感じるのだろう。


「そうだね。さっさと塔の中に入っちゃおう」


 アルの前に塔はない。姿が隠されているから。

 魔法で一旦隠蔽を取り払おうかと思ったが、結界を通り抜ければ問題ないだろうと、そのまま足を進めた。クインが隣を歩く。


「鍵の効果はどこまで有効なのだろうな」

「あー……それは確認してませんでしたね。もしかして、一人一瓶必要な可能性も……?」


 そうだったなら厄介だ。またブランに血をもらわなくてはならなくなる。

 アルは自然と顔を顰めたが、歩みは止めなかった。全員で通れないようならば、出直すだけだ。


『……お、変化があったな』


 ブランの声と同時に、目の前の空間が歪んで見えた。ぴたりと立ち止まる。

 観察するアルたちの前に、次第に塔の姿がはっきりと浮かび上がってきた。


「大体二メートル四方かな」


 結界に扉が開かれたように、一部分だけの景色が変わる。

 それはなんとも不思議に見えて、アルはじっと眺めた。アルが少し動く度に、開かれた範囲が移ろうのが面白い。


「結界が解除されるのではなく、一部分だけ開くのか。変な結界だな」


 クインがぽつりと呟き、アルに先行して歪む空間を通り抜けた。まるで水に潜るようにクインの後ろ姿が揺らぐ。


『開かれた状態ならば、何人でも通り抜けられそうだな。我の本来の姿では無理だろうが』

「サイズ的にね。そもそも塔に入れる大きさじゃないとだめってことでしょ」


 クインが振り返り「異常なし」と手招きした。相変わらず過保護だ。ブランと足して二で割ったらちょうどいい気がする。


 そんなことを考えていたら、ブランが察したように尻尾を頭にぶつけてきた。別にブランを貶したわけではなかったのだが。


 アルは肩をすくめながら、気負いなく歩みを再開する。

 結界を通る瞬間は、肌を水につけるような不思議な感覚だった。一瞬で失われたその感覚に意識を奪われるのを妨げるように、迫力のある塔の姿が視界いっぱいに飛び込んでくる。


「何度か見てはいたけど、思っていたより重厚な雰囲気?」


 均等に削られた大きな石が積まれてできた塔。入口の両端には松明があり、ほのかに周囲を照らしている。

 少なくとも、結界越しでは松明の存在は確認できていなかったのだから、アルが認識していた塔が偽りであった可能性が浮かび上がった。


「隠蔽した上で、それを解除しても偽りの塔しか見えず、真なる姿は結界を通る資格を持つものしか認識でない。――どれだけこれを隠そうとしていたのだか」


 クインが面白がるように呟く。

 そこには一切の警戒心がなかったので、アルは思う存分塔を確かめることにした。危険がないならば好奇心を優先しても構わないだろう。

 肩から聞こえた呆れたため息には気づかなかったふりをする。


「う〜ん……これは花崗岩かな。摩耗しにくいけど、手に入れられる場所が限られていたはず」


 塔の壁を軽く叩く。白に灰や黒が混ざった独特な色味だ。硬くて重そう。


「この辺でとれるのだろうか? 吾は見た覚えがないが」

「採石された記録はなかったと思います。ここより、グリンデル国の近くで採られた石の可能性が高いですね。昔は生きた森の近くに一大産地があったらしいですよ」

『なに……? 我は知らんぞ』


 クインとブランが目を合わせて首を傾げる。

 アルもそれは不思議だ。古くから生きた森を棲み処にしていたのなら、知っていてしかるべきである。


「たまたま採石される頃に森を離れていたか、眠っていたか……かな? 採石していた期間はあまり長くなかったみたいだから」

『……そういうことにしておこう』


 ブランは少し不満そうだった。不本意ながらも生きた森の管理主であるブランにとって、把握していない情報があるのは嫌だったらしい。

 アルは苦笑しながら、ブランの頭をくしゃくしゃと撫でた。


「そうして。――さて、外にめぼしいものはなさそうだし、そろそろ中を探索しようか」

『アルが立ち止まっていたから、我らは付き合ってやっていたのだ。さっさと進め』

「はいはい、付き合ってくれて、どーもありがとうございましたー」

『感謝の気持ちをこれっぽちも感じないぞ!』


 ブランと軽口を叩きながら、塔の入口に向き合う。

 とりあえず、塔の上部には前に認識した時と変わらず鐘があるようだから、そこまで探りながら進むことにしよう。

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