第395話 久しぶりの解放感
見渡す限り白い闇。
手のひらを翳しても、ほとんど輪郭しか分からない。
「ここは、どこ――?」
緩やかに感じられる空気から、ここが洞窟の中ではないと察していた。
そうなれば、考えられる可能性は一つだけ。
「霧の結界内部だな」
「クイン。近くにいるんですね」
伸ばした手を掴まれる。あまり触れた記憶がないから自信はないが、クインの手のはずだ。ほっそりとしているのに力強い。
「クー」
存在を主張するような鳴き声の後、アルの胴体に尻尾が巻きつけられる。ふわふわな拘束に思わず笑みが漏れた。
正直に言って、二人がちゃんと傍にいてくれて安心したのだ。
「洞窟から出てきたのは、シモリさんが言っていたように、転送陣のような効果ということですかね」
「吾らがあの筒を通り抜けたとは思えぬから、不思議だがな」
「んー……体に不具合はない気がしますが、ちょっと心配ですね」
霧に乗せられて、アルたちの体がそのままにここに転送させられたとは思えなかった。だからといって、分身体に意識を移された感じもしない。
「僕の転移魔法は、転移先と空間を接続させて飛んでいるようなものなのですが、この場合はどういう――?」
命の危険がない限り、たいていの状況下でアルが魔法技術に強い関心を寄せるのは、どうにも抑えられないことだった。
ああでもないこうでもない、と考察するアルの背を、ブランの尻尾が叩く。前につんのめるほど力強い。
「ちょっ! 危ないでしょ、ブラン」
「きゃん」
「ブランの言う通り、この状況で考え込むのは些か危機感が足りないと吾でも思うぞ」
呆れたような鳴き声に続いて、クインからもお叱りがあった。
アルは頬を掻いて視線を逸らす。といっても、そもそも二人がどこにいるかいまいち見えないし、二人もアルの様子は見えていないから意味はないだろうが。
「……すみません、気をつけます」
「反省したならば良かろう。――それより、いつまでもここにいる意味はない。外を目指そう」
すっと手を引かれて歩き始める。クインが先導してくれるようだ。
アルはどこに進めば外に出られるかも分からないから、そうしてもらえるのはありがたい。
「クインはここからでも地下に生きる者たちの気配を感知できるのですか?」
「遠すぎるが、注意深く探れば分かる程度だな」
「なるほど。魔物は敏感ですね」
ブランも頷いている気配があって、アルは感心した。
ぽつりぽつりと話しながら歩いて暫し。霧が途切れた。
「外だ――」
『ぬああぁっ! 我はもうここには来たくないぞー!』
久しぶりに思える声が聞こえてくる。鬱憤を晴らすような叫びだったが、うるさく感じなかった。
「ブラン、思念が使えるんだね」
『外に出たからな』
ブランがぶるぶると体を震わせる。まるで体にまとわりつく霧を払い落とそうとするかのような仕草だ。もちろん、霧がついてきているわけはない。ただ気分の問題だろう。
「ここ、どこなのかな?」
アルには見覚えのない景色が広がっている。
どうせ運んでくれるなら、メイズ国の方へ送り届けてくれたら良かったのに。外がいきなり崖になっていないだけでもありがたい話かもしれないが。
『んー……メイズ国から一時間ほど進んだところだな。魔の森とは逆側だ』
「あ、ブランには結界の周囲の確認を頼んだもんね。それにしても、よく覚えているもんだけど――」
地面にはポツポツと草が生える。ここはメイズ国より雨量があるようだ。ところどころに立つ木は、いくつか果物を揺らしていた。
アルはその木の果物が貪られた形跡を見逃さない。
「……ブラン、確認を頼んだ時、ここで果物食べて遊んでたね?」
『なんのことだ?』
すっとぼけられたところで事実は明白。だが、アルが怒ることでもない。
ブランがきちんと役目を果たしたことはアルも知っているのだ。
「まぁ、いいけどさ。――それより、さっさとメイズ国に戻ろうか」
あっさりと流したアルの横で、ブランは密かに安堵の息をついている。
怒られたくないなら、怒られるようなことをしなければいいのに。アルは苦笑しながらクインに視線を向けた。
「ん? 吾に乗るか?」
暗に変化して元の姿に戻ろうか、と提案するクインに首を横に振り、いつの間にか離れていた手を伸ばした。
「いえ。転移で戻ります。手を」
「ああ、それが簡単か」
クインの手を掴み、ブランに声を掛ける前に、身を寄せられるのを感じる。
アルはそのぬくもりにふっと微笑み、転移の印を追った。
「……いける」
長く魔力を使うことを封じられていたから、なんらかの不具合が生じないかと慎重になっていた。だが、思いの外違和感もなく魔力が動き始めるのを感じる。
転移の魔法陣を映した目をパチリと瞬かせる。
その一瞬で視界は一転した。
「――あー……帰ってきたって感じがする……」
乾いた空気が頬を撫で、ひっそりとした廃墟群に目を細める。
ここはメイズ国の都の傍。塔があるすぐ近くだ。
「ふ……随分と時間が過ぎていたようだ。もう日が暮れそうだぞ」
「そうですねぇ。久々の日差しをもっと感じたかった……」
沈み行く太陽に目を向ける。
そろそろ野営の準備に取り掛かった方がいい時間だ。となると、ここに転移するより魔の森の中の方が良かっただろうか。
乾燥して砂埃の舞うこの地は、寝泊まりするのに相応しい環境とはいえない。
『腹が減った』
「言うと思った」
暫く振りに言葉で聞いた要求に、つい笑みがこぼれる。
呆れることは多々あるが、ブランの食欲に忠実なところは愛嬌といえなくもないのだ。
『飯食うぞー!』
「そうだねぇ。思ったより、用意していた保存食、減らなかったから今晩消費してもいいんだけど……」
『できたての飯が食いたい!』
グッと圧力さえ感じそうな強い眼差しを受け、アルの笑みは苦笑に変わる。
なんとなくそう要求されることは分かっていた。今回作った携帯食料はいつ消費されることになるだろう。どこかで売り出してもいいかもしれない。
「……仕方ないなぁ。そんなに言うなら、作ってあげようか」
『愛してるぞ、アル!』
「っ……随分と素直なことで――」
久しぶりに言葉を交わせる喜びのせいか、ブランの感情表現が直接的だ。愛してるなんて初めて聞いた気がする。
アルはこみ上げてくる感情を抑えきることができず、思わず笑みを零した。好かれている自覚はあったものの、言葉にされて嬉しくないわけがない。
「仲が良いのはいいことだ」
満足げに頷いたクインが、ブランに手を伸ばす。一つ一つ荷物をアイテムバッグに収納していくのを見て、アルも慌てて同じように作業をした。
いつまでもブランに大荷物を背負わせているのは忍びない。ブラン自身はあまり気にしていなかったようだが。
「――よし。野営は魔の森の方でいいな?」
「ええ。もう一度転移しますよ」
身軽になったブランが変化して小さくなる。アルはすぐさま肩に上ってくるブランを受け止めて、クインに手を伸ばした。
再びの転移。
さて、今晩は何を食べようか。
精神的に疲れたし、ゆっくり楽しめるものがいいかもしれない。
『アル、飯は肉だぞ、肉! あ、魚もいいが……。いや、メインは肉だ!』
転移の間際に耳元で騒がれて苦笑する。
久しぶりに感じる肩の重みが、なんだか心地よかった。
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