第394話 拒む声
ブランを傷つけてまであの塔に入ることにこだわる必要があるのか。
静かに考え込むアルの腕にブランの頭が軽くぶつかってくる。
「――ブラン、本気でそれでいいって思ってるの?」
言葉がなくとも、ブランの目を見ただけで、何を言いたいのかすぐに分かった。それくらいの信頼関係をブランとは築いている。
頷くブランにため息をひとつ零し、アルはKHSⅡ型の方へと視線を向けた。
「本当にそれしか方法がないんですね?」
シモリは余計なことは言わない。
アルが必要としている情報さえ、こちらから聞かなくては答えないことが多いと、既に理解している。
念の為確認したアルに返ってきたのは端的な言葉だった。
『ありません。亜型魔粒子を含んだ竜血が鍵となることは、塔に結界が張られた時から決まっていたことです』
ふぅ、と息を吐く。
最終決断をする前に、まだ聞きたいことが残っていた。
「それほど希少なものを鍵とするなら、あの塔は基本的に人の立ち入りを拒んでいるということでしょうね。転送陣の管理以外にも、なにか役割があるのでは?」
クインが「ほぅ?」と興味深げな声を漏らす。
ブランはじっとアルの判断を待つだけだ。アルが行きたいと決めたなら、その障害を除きついて行くだけだと、その態度が物語っていた。
『……ソの通リでス』
珍しくシモリの返答が一拍遅れた。
まるでバグが起きてしまったかのように、声がブレている。
『――アの塔ハ、聖域ノ中の、さらニ隠さレた場所ニ続く転送陣ヲ有シているのデす』
聖域の中のさらに隠された場所?
アルは目を細めて考え込む。シモリの急激に変わった様子も含め、重要な情報がもたらされる予感があった。
「聖域に行ったことがあるが、そのような場所は知らぬぞ?」
『隠さレてイますかラ。あノ塔からデしか、辿りツくことはデきませン』
「そこには何があるのですか?」
問いかける。だが、返答はなかった。
そればかりか、ジジッと変な音が聞こえてくる。俄に危機感が押し寄せてきた。
「――シモリさん? 大丈夫ですか? 異常があるのなら――っ!?」
ドン、と圧迫感のようなものが伝わってくる。
じわじわと存在がかき消されていくような恐怖と不快感。
アルは咄嗟に手を握りしめて、意識が飛びそうになるのをこらえた。すぐさまアルを守るように身を寄せてきたブランに抱きつく。
【
威圧感のある静かな声が聞こえた気がした。透明感のある、おそらく女性と思しき声音。
聞き覚えはないはずなのに、なぜか懐かしく感じるのが不思議だ。
「理への抵触……?」
「……まさか、ここはこれほどまでの干渉がされる場所だったか。いや、本体があそこにあると聞いた時から、干渉される可能性は考えていたが――」
クインが苦々しく呟く。その顔はこわばっているように見えた。
これほどまでにクインが危険視し警戒する相手を察するのは容易なことだ。
「アテナリヤ……?」
ポツリとこぼれ落ちた言葉。
途端に威圧感が収束して消えていく。
後には何も残っていなかった。それまで通りの空間が広がっている。
緊張感から急激に解き放たれて、アルは喘ぐようにしながら呼吸を整えることに集中した。冷や汗が全身に滲んでいる。
「……消えた、な。シモリはいるか?」
『はい。ご用件をお伺いします』
クインの問いかけに、シモリは何事もなかったかのように答えた。
アルはクインと視線を交わし、眉を顰める。今はシモリの平静さの方が不思議だった。
「――あの塔から行ける、聖域の隠された場所について教えてください」
『質問が分かりかねます』
パチリと瞬く。予想外の返答だ。
だが、すぐに威圧感のある声が語っていた言葉を思い出して納得する。
あの声は【アクセス権の停止】と言っていた。つまり、今アルたちは深い情報を開示してもらう権利がない、ということだろう。
「……全情報へのアクセス権を求めます」
『審査が拒否されました。現在その機能は停止されています』
なんとも残念な言葉だった。
アルはブランとクインと視線を交わし、肩を落とす。最も知りたいことが曖昧にされて、消化不良な気分だ。
今分かるのは、これ以上シモリと話したところで、なんの情報も得られないだろうということだけ。
「あー……そういえば、精霊の王との会話でも、理で情報を遮られたんだった。どうして素直に情報を開示してくれないのかなぁ……」
アテナリヤの意図が分からない。
だが、アルに知られたくないことがあるのは確かだろう。
暫く考え込んで、諦めた。
手がかりがなくて、アテナリヤの考えを探ることの無謀さを感じるだけだ。
「……仕方ない。そろそろ引き上げようか」
「そうだな、ここにいても時間を浪費するだけのようだ」
それなりに情報は得られた。
聖域の隠された場所に行きたいと思うなら、あの塔の結界を自分の力で突破するしかない。その方法は既に示唆されている。
「――ブラン、僕、あの塔に入りたい」
ブランと見つめ合った。
鋭く見える目が、柔らかに細められる。『それでいい』と言われているように見えた。
「では、この森から出たらあの塔へと向かうことにしよう」
「うん。そろそろブランとおしゃべりしたいし、さっさと出ましょう」
ブランの首元を撫でる。頭を擦り寄せられて、くすぐったい。
相棒を傷つけるのは未だに戸惑うが、ブランがそれでいいと言っているのだから、ここは信頼するべきなのだろう。怪我はさっさと治してやろう。そもそもすぐに消えるのかもしれないが。
『森の外へお帰りになりますか?』
不意に尋ねられ、踵を返そうとした足が止まった。
ここでシモリから話しかけられるとは思わなかったのだ。
「……そのつもりですが」
用心しながら答える。
シモリとの会話はアテナリヤに聞かれている可能性が高いと思っておくべきだ。そうなると、余計なことに嘴を入れるような言動はしたくない。
アルにとって、アテナリヤは敵でも味方でもなく、信頼関係は無に等しいのだから。
『KHSⅡ型は森を囲む結界に通じています。その亜型魔粒子の流れに乗れば、すぐに外周へと辿り着くことができます』
「言っている意味が分からないんですけど」
シモリはなぜか、すぐに外へ向かえるよう手助けしてくれるつもりのようだ。だが、それが善意からの提案かは分からない。
『KHSⅡ型の上部をご覧ください』
上部。アルたちが視線を向けたのは、金属の箱体から上へと伸びて洞窟上部を貫く筒だ。
それは霧の結界を構築する亜型魔粒子を含んだ水分が流れている場所のはず。
『これは一種の転送装置として作用可能です』
「え……これが……?」
筒の一部が扉のように開かれる。
中を満たしていた白い霧がじわりじわりと洞窟を侵食し始めた。
大部分の霧はそのまま筒を上昇していくようだが、なにせもともとの量が多い。アルたちの足元から胴体、頭の上まで満ちてくるのにさほど時間はかからなかった。
「アル、っ!」
なにかに気づいたらしいクインが、アルの肩に腕を回し力強く抱き寄せる。ブランは霧を追い払おうとするように尻尾を振ったが、霧の勢いには勝てなかった。
「ガルルルッ!」
敵意に満ちた唸り声。
アルはその声を聞きながら、いつの間にか体が動かなくなっていることに気づいて焦っていた。
いったい何が起きているのか。急にシモリがアルたちに危害を加えようとするとは、あまり思えなかった。
むしろ、アルたちに亜型魔粒子の製造を見せようとしたときと同じ、気遣いの一種のような――。
ふ、と意識が遠ざかる。
体の感覚が失われ、今立っているかどうかも分からなくなった。クインやブランの声が遠い。
『お会いできて嬉しかったです。どうぞ次なる地へ急いで。聖域の隠された場所に、あなたが望むものの欠片がある――』
その声が響いて静かに消えていく。
「シモリさん……?」
気が狂いそうになるほどの白い霧に、アルの声は飲み込まれた。
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