第393話 必要なもの

 ふ、と気づいたら、アルたちは小川の流れる洞窟にいた。

 気分の悪さはほとんどなくなっている。


「……やっぱり本物の体がいいね」

「当然だな」

「クークー」


 クインとブランが同意してくれた。

 それぞれ動きを確かめるように手足を動かす。

 こちらに意識がない間、この体がどのような状態だったのか分からない。だが、関節のこわばりなどはなさそうだ。


『キビの種と砂糖はKHSⅡ型の隣に転送してあります』


 シモリはアルたちの様子を気にしていないようだ。

 地面には木箱が二つ。その上に一つ置かれた小さな布袋の中身が種だろう。


「ありがとうございます。――ブラン、背にくくりつけるからね」


 ブランの背に乗っている荷物を動かし、バランスを調整した。背に緩衝材代わりの寝袋を敷いて、その上に木箱をくくりつける。

 だいぶ重量が増したはずだが、ブランは平気そうだ。ブランが望んだことなのだから、文句を言われたとしても聞くつもりはない。

 布袋はアルの荷物にしまっておく。


「これでいつでも出発できるね」

「だが、まだ塔のことを聞いていないぞ」

「あ、そうだった……」


 これはうっかりしていた。

 ただ分身体に意識を移されるなんて異常としか言えないような体験をしていたのだから、忘れても仕方ないと思う。


「――シモリさん、滅んだメイズ国の都の傍に隠された塔があることはご存知ですか?」

『はい。世界に散らばっている転送陣を管理している塔です』

「管理している……?」


 予想外の言葉にアルは目を丸くした。クインとブランも不思議そうに首を傾げている。


「――詳しく説明してください」

『承りました。……世界には聖域に赴くための転送陣が用意されています。その転送陣が適切に作動するよう、その塔では各地の転送陣の状態の確認や修繕を行っているのです』


 まさか、いつか行きたいと思っていた転移ポートのある遺跡の大元が、あの塔だったとは思わなかった。


「では、その塔からは聖域には行けないのでしょうか?」

『行くことは可能です。塔内部に転送陣が存在しています』

「先読みの乙女なら使えるものですか?」

『いいえ。他の転送陣とは異なり、塔に入れた時点で使用許可を得ることができます』


 他の転送陣が先読みの乙女限定というのは間違いないようだ。

 それにしても、塔に入れたら使える、というのはあまりにも使用者を限定しているように思える。そもそも塔を見つけることすら難しいのに、周囲に張られている結界の解除方法が分からない。


「シモリは塔への入り方を知っていますか?」

『はい。鍵が必要です。鍵の作成には亜型魔粒子の操作をしなければなりません』

「……塔を囲む結界は亜型魔粒子で構築されているのですか?」


 半ば確信しながら問いかける。

 地下に生きる者も、塔の結界と霧の森の結界に関連があると言っていたのだ。塔の結界が霧の森の結界同様、亜型魔粒子をなにかに含ませて構築されていても不思議ではない。


『ご推察通りです。塔の結界で亜型魔粒子の器になっているのは竜血ドラゴンブラッドです』

「なにっ!?」


 アルが返事をするよりも先に、クインが驚愕に満ちた声を上げた。ブランがそのことに驚いたのか体をビクッとさせた後、クインを睨む。


「きゃん!」

「……驚かせたのは悪かった。だが、これは吾が驚いても仕方ないだろう? だって、竜血だぞ? ドラゴンの血だぞ?」

「クー?」

「ブランは竜血の重要性を知らぬのか……」


 クインの呆れたような視線がブランを刺した。魔物としては竜血というものは常識だったらしい。

 アルはクインの袖をクイクイと引いて尋ねる。


「竜血ってなんですか?」

「……そやつが答えぬようだから教えるとだな」


 チラリとKHSⅡ型の方へ視線を流した後、クインが口を開く。

 言われてみれば確かに、不思議とシモリが説明をしてくれなかった。アルがクインに問いかけたのを察したのだろうか。


「――竜血とは文字通りドラゴンの血だ。万病に利く薬だとか、不老長寿に導くとか言われる。基本的にはそれは呪いだが」

「呪い?」

「ブランを見れば分かるだろう」


 あ、と声を漏らして、アルはブランを見つめた。ブランは嫌そうに顔を背けている。

 よく忘れてしまうのだが、ブランはドラゴンを食べてしまい、魔物の枠から追い出され、永遠の命を得ることになった。ブラン自身が望んでいなかったその長き生は呪いと言っても過言ではないだろう。

 正しく、神から下された罰である。


「……そっか、ドラゴンは神の下僕。それを害して得られるものが、喜ばしいものとは思えませんね」

「その通り。ドラゴンの血を飲んだ重病者は確かに健康を得る。その代わり、ドラゴンを傷つけた者は命を落とし、血を飲んだ者は生の喜びを失う」

「生の喜びを失う……?」

「感情を失うようなものだ。生きる屍とも言える」

「……救いがない」


 アルは眉を寄せた。

 せっかく病を克服できたのに、生きたいという思いを失って、どう生きていけるというのか。


「それがドラゴンを害するということだ」


 呟くクインも苦々しげな口調だった。

 クインがブランを思ってそう言っているのが伝わってくる。


「……それで、そんな物騒なものが、結界を構築している亜型魔粒子の器、ということですか?」

『はい。竜血は豊富に魔粒子を含有できます。また、竜血は無色透明であり、大量に集まると周囲に不可視霧を発生させます』

「あ、その不可視霧というのが、塔を隠しているもの?」

『その通りです』


 なんとなく塔の結界について理解できた。塔を隠す機能は結界の余波だったのだろう。


「結界を通るために必要な鍵とはどのようなものですか?」

『亜型魔粒子を籠めた竜血です』

「は……? 竜血なんて、どこで手に入れればいいんですか……」


 初手からくじかれたような気分だ。

 ドラゴンを傷つけるつもりなんてアルにはない。


『隣にあるのでは?』

「え、隣……?」


 左にいるのはクイン。

 視線を向けると、首を横に振られた。それは当然だ。クインは荷物なんて持っていない。


 右にいるのはブラン。

 目が合った途端、首を傾げられた。ブランが持っている荷物は全てアルが用意したもので、内容は把握していないからだろう。


「――いや、僕、竜血なんて荷物に入れてないですよ?」


 困惑しながら告げた。

 だが、シモリからの返事は予想外のもの。


『いえ。私が言っているのは、その竜化魔物のことです。その血は十分、竜血として機能するでしょう』


 ハッと息を呑んだ。

 竜化魔物とは初耳だが、なんとなく意味は分かる。ブランのようにドラゴンを食べて能力を得た魔物を指すのだろう。

 そうした言葉が存在するということは、ブラン同様にドラゴンを食べてしまったものが他にもいるのかもしれない。


「……ブランの血が、鍵の器になる……?」

『はい。私の測定に間違いがなければ、確実に』


 測定とはなんだと言いたい気分だが、それより真っ先に浮かんだ感情は不快だった。


「僕に、ブランを傷つけろ、と言っているのですかっ……」


 絞り出すような声になった。怒りが滲んでいる自覚がある。

 クインが気遣うような視線を向けてきていることには気づいていたが、それに対応する余裕がなかった。これほど怒りを感じるのは初めてかもしれない。


「クー」


 手に柔らかいものが触れた。ブランの毛だ。

 ゆっくりと視線を落とす。丸い目がアルを見上げて細められた。まるで『我は別に構わんぞ? 気にするな』と言っているようだった。


「っ……でも……!」

『私は結界を通る方法を求められ、説明しているだけです。実行することを誰かに求めることはありません』


 それはそうだ。アルがシモリに怒りを抱くことは理不尽だと分かっている。それでも、感情がそれを納得できない。


「……血の量はどれほど必要なのだ」

『この瓶にいっぱいです』


 ふ、と手のひら大の瓶が地面を転がった。どこかから転送してきたようだ。

 その瓶をクインが拾い上げる。


「ふむ……この程度ならば、大した出血量ではないな。だが、ブランは今不死身のはず。血は出るのか?」

「クークー」

「なるほど、すぐ治るのか。ではこの瓶いっぱいに血を集めるにはそれなりの傷が必要だろうな……」


 アルを置いて、会話が続いていく。

 まさか、と思いながらアルはクインを見上げた。


「……ブランの血を、使うつもりですか……?」


 声が震える。アルにとっては到底受け入れられない方法なのに、クインもブランもあっさりと納得しているのが不思議でたまらなかった。


「それが手っ取り早いだろう。ドラゴンを見つけて狩るのは危険が大きい。……いや、もう一つ手はあるな。ドラグーン大公国のドラゴン。あやつに頼んでもいいかもしれんが」


 ちらりと視線を向けられる。

 アルは黙り込むしかなかった。確かに頼めばくれる気がするが、その見返りにとんでもないものを要求されそうな予感がする。


「きゃんきゃん!」

「ブランはあやつの協力を得るくらいなら、自分の血を使えばいいと言っているぞ?」

「ブラン……」


 アルはどうにも決断できなかった。

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