第390話 結界の正体

 早速質問を再開することにする。


「シモリさんの本体はどこにあるのですか?」


 まずは資格がなくて答えを得られなかった問いから。

 期待しながら待っていると、すぐに答えがもたらされた。


『神の座のある場所です』

「……それは、わかりやすく言うと……?」

『異次元回廊の最奥に位置しています』

「あー、あそこですか……」


 行ったことはないが、存在は知っている。行く気は今のところない。

 アテナリヤに創られたと思われるシモリがそこにあることは、まったく違和感のない事実だった。


「……ほぅ……あの地に、お前のようなものがあったとは知らなんだ」

「クインは行ったことがあるんでしたね。どういうところですか?」


 かつて、クインはブランを永遠の命から解放するために、異次元回廊に挑戦したのだ。そして、試練後に訪れた神の地にて、『試練の役目を務めれば、ブランを解放する』という言葉にのせられて、異次元回廊に囚われたのである。


「さて……吾はさほど覚えておらぬが。上も下もなく、気が狂いそうな場所だったような――」

「えー……それは、行きたくないですね」


 ますます行く気をなくしたアルに、クインは「それでいい」と頷いた。

 ブランやヒロフミたちも含めて、アテナリヤを知る者たちは皆、『会うべきではない』という雰囲気を出す。例外は精霊だけだ。


 アル自身、会えば不利益を被る危険性が高いと認識しているので、接触つもりはまったくない。たとえ、アテナリヤに会えば、ヒロフミたちの帰還方法がすぐに分かるかもしれなくとも、だ。


 ヒロフミたちだって、アルの身を危険にさらせなんて言わないだろう。

 彼らとの協力関係は、あくまでもアルが安全にこなせる範囲である。それに加えて、アルの興味が向くか否かも重要だ。


「シモリさんについてはひとまずそれでいいとして……重要なのは結界についてですね。これで発生させているんですよね? どのような原理ですか?」


 気を取り直して質問を続ける。触れるのは銀の箱だ。今もそこには大量の水が飲み込まれ、どこかへと消えている。


『KHSⅡ型の原理をご説明します。――霧の森内では定期的に雨が降ります。それは一度地中で濾過され、森の六ヶ所に存在している湧水装置から地表を流れていきます』

「あの白い泉と小川のことですね。ちょっと逸れますけど、白い石で浄化する理由はなんですか?」


 説明を遮り尋ねる。これも疑問に思っていたことだ。


『外的影響を排除するためです』

「……例えば?」


 端的すぎて上手く理解できない。

 難しい顔をするアルの横では、すでに飽きたらしいブランが視線を彷徨わせていた。相変わらず甘い匂いの元を探しているようだ。あまりの執念に、アルは少し呆れる。


『例を挙げるのでしたら……穢れた魔力や森を破壊する目的の毒素、でしょうか』

「雨を通して、内部に干渉される可能性がある……?」

『森内はまんべんなく水が巡っています。そのため、森を破壊するためにもっとも効率的な方法は、雨に除草剤を混ぜることです』


 思わずぎょっとする。そんなことがあり得るのか。


『小川を形成する白い石は周辺の土壌の浄化も行っています。除草剤がまかれても、効果が発現する前に無効化が可能です』

「これまでにそのようなことが起きたんですか……?」

『私が管理を開始してから一度ありました。除草剤ではないようでしたが』


 除草剤ではなくても毒素だったということだろう。

 雨に混じっていたというそれは、この森を狙ったものなのか否か。


 アルの脳裏に浮かんだのは、寂れたメイズ国の光景だった。

 悪魔族が破壊した際に、その余波がこの森にまで及んでいないとは限らない。


「それは、メイズ国が襲われたことと関係がありますか?」

『この森の外にそのような国があったことは認識していますが、私の管轄外です』

「なるほど……」


 全情報へのアクセス権があったところで、シモリが知らないのならば答えが得られるわけがない。

 あっさりと疑問を棚上げして、アルは結界の原理の説明を続けてもらうことにした。


『KHSⅡ型には、森の生育に使われなかった水が流れ込みます。その水を蒸発させ、魔粒子と混合させることで、亜魔障壁が形成されます。亜魔障壁を森の外周に巡らせることで、この森の結界は成立しています』

「一気に分からなくなった……。亜魔障壁というのはどういうものか、詳細を教えてください」


 聞いたことのない言葉だ。アルはなんとか理解に努める。

 シモリはあまり人間と接していないのか、説明が端的で、こちらから問いかけないと十分な情報が得られないようだ。


『亜魔障壁とは、亜型魔粒子で構成された障壁です』

「亜型魔粒子ってなんですか?」

『世界で用いられる魔粒子とは異なった構造を持っている魔力構成単位です。この森内で唯一使用可能な魔力源となっています』


 アルの頭に思い浮かんだのは、この森に入るために実験を繰り返したときのことだ。

 シモリが言っている亜型魔粒子とは、雪の結晶の構造のような形をしている魔粒子のことだろう。


「……なんとなく分かりました。その亜型魔粒子と水を混ぜる理由は?」

『亜型魔粒子は空気中で霧散する性質を持ち、その場に留まることができません。留まらせるには魔粒子で構成された物質による器が必要です。蒸発した水分は亜型魔粒子の器として使用されます』

「つまり……霧の結界は、霧自体が器で、内包される亜型魔粒子が外部からの魔力干渉を妨害している?」


 理解した内容をまとめる。すぐに『その通りです』と返答があったが、結界の機能はそれだけではないようだ。


『――また、霧の結界から生じた微粒子は森内の空気中を漂い、魔粒子を吸収しています』

「あ、そのせいで、森の中では魔力が使えないんですね?」


 謎が解明された。

 つまりこの森内に存在しているのは、アルたちが日頃使っている魔粒子ではなく、亜型魔粒子だけ。しかも、魔粒子はただちに空気中で吸収されてしまうので、魔法などで放ったところで効果が発現されない。


「……異なる世界にいるようなものか」


 クインがポツリと呟く。アルもその意味が理解できた。

 ここはヒロフミたちが生きていた世界に近いのかもしれない。見た目ではなく、その存在のあり方が。


 ヒロフミはニホンでも、呪術というもので魔法のような力を行使できていたらしい。一方でサクラやアカツキにそのような力はなかった。

 アルたちの現状は、サクラたちのような能力で、ヒロフミのような呪術による補助道具を持っているようなもの。


「この結界の要は、亜型魔粒子を含んだ水分ということか……」


 元々、結界の原理を知りたいと思ったのは、悪魔族が行っている世界の破壊行為を防ぐためだった。彼らは世界から魔力を奪い去り、崩壊させようとしている。


 だが、もしこの結界を世界中に展開したら、アルたちは魔法を使用できなくなるということだ。

 あらゆる場面において魔道具が使われている現状で、そんなことをすること自体が世界の破壊行為に近い。


「――あー……使えなかったかぁ」

「咄嗟の状況で展開すれば、身を守る程度のことはできようが。後は、魔力を奪い去る魔道具に直接使うかだな」


 アルの落胆に気づき、クインが慰めようとしてくれる。

 それをありがたいと思いながらも、なかなか使用は難しそうだと苦笑した。


「僕が悪魔族の作戦実行中に居合わせたら、そういうこともできるんでしょうけど……。万が一の場合に備えて、一応持っておくのはいいですね」

『KHSⅡ型と同様のものをご希望でしたら、用意可能です。使用範囲は半径十メートルが限界ですが』


 予想外な提案だった。

 目を見張るアルたちに気づかなかったのか、シモリは勝手に行動を始める。


『――物質転移が行われます。……KHS携帯型が転移しました』


 その言葉が放たれた時には、KHSⅡ型の隣に小さな銀色の箱が現れた。


『結界形成に使用可能な水は既に充填されています。使用持続時間は二十分。再展開には水の補充が必要です』

「……その水は、普通の水でいいの?」

『亜型魔粒子で構成された水が推奨されます。通常の魔粒子で構成された水の場合、亜型魔粒子への変換に三十一日かかります』

「それでも、使用可能なだけ十分だよ……」


 あまりに呆然としすぎて、敬語を忘れた。シモリはそのようなことを気にする感性は持っていないようだからいいが。


 銀色の箱を手に取る。

 中にたっぷり水が入っているためか、結構な重量があった。


「……これ、本当にもらって良いんですか?」

『もちろんです。全情報へのアクセス権に付属している権利です』


 シモリの発言に裏はなさそうだ。

 アルはありがたく受け取ることにしたが、驚かされたことにため息がこぼれ落ちた。

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