第387話 意外な行き先

 クインがつけた目印を見つけ、改めて小川を眺める。

 雨が降ったはずなのに、水は一切濁ることなく、そして溢れることもないようだ。


「……どこかで水量の管理もされているということかな」

「そうだな。常に一定の川幅で、深さも変わっていないように見える。不思議だ」


 アルの横では、クインもまじまじと小川を観察していた。

 ふと目が合ったので、アルは肩をすくめる。クインの疑問に答える言葉を持っていなかった。


「帰りに余裕があれば、また地下に生きる者に話を聞きに行ってもいいかもしれないですね」

「クー」


 ブランが鳴く。顔を顰め、嫌そうな声だ。

 どうしても不快感を感じずにはいられない地下に生きる者のところへ、再び赴きたくないのだろう。会話できない時間が長引くことへの不満かもしれないが。


「とりあえず、ここの結界の秘密を解き明かすのが優先だから。ブランがどうしても嫌なら行かないよ」

「……きゃん」


 ブランが視線を逸らす。アルに妥協させるのも、なんとなく納得いかないと言いたげだ。

 だったらどうすればいいのか。アルは苦笑して肩をすくめた。


「後のことはそのとき考えればよかろう。それより、さっさと行くぞ。空の様子が見えないから、いつまた雨が降るかも分からぬ」

「そうですね。では、この小川を辿りましょう」


 クインに促されて、急ぎ足で進む。

 川の周囲はそれなりに見通しが良いから進みやすい。それに、この周辺にはもう食虫植物が生えていないらしく、襲ってくるものは皆無だった。

 それはそれでつまらない気もしてくるが。


「ちょっとずつカーブしてますね」

「だから先が見えないのだな。いったい、どこまで続くのか――」


 変化が現れたのは、クインがそう呟いた時だった。


「お……?」

「なにかありまし……た、ね……」


 大きなカーブを曲がった先に、珍しい光景が広がっていた。

 小川をせき止めるように、大きな木が生えているのだ。よく見ると、根っこの隙間を通り、地面に潜り込むように小川が続いている。

 木の下が洞窟のようになっているのだ。


「面妖な光景だな」

「そうですね。これ、僕たちも通れるのかな……」


 根っこに手をつき覗き込む。

 入口は狭いが、奥は広くなっているようだ。ブランでも通れそう。ただ、結構な急斜面なのが気がかりだ。小川が滝のように流れ込んでいるのは、壮観な眺めだが。


「縄梯子で伝い下りますか」

「吾らはそれでいいが、ブランはどうするのだ?」


 クインとアルの視線がブランに集まる。

 ブランは鬱陶しそうにしながらも、アルたちと同じように地下を覗き込んだ。


「……クー」


 ブランの手が小川を掻く。

 深さを確かめるような動きの後、四肢を小川に浸けて、再び地下に目を向けた。


「きゃん」

「滝を行くのか? ならば、荷物は吾らで運ぼう。濡れてしまっては悪くなるものもあろうからな」

「多少の雨程度なら大丈夫ですけど……。そうですね。安全優先で」


 早速縄梯子を伝ってクインが地下に下りる。

 アルはブランから下ろした荷物に縄をくくりつけ、地下へと下ろしていった。ブランが力を貸してくれるから、思っていたより楽にできる。


「――これで最後です」

「ああ。……うん、確かに受け取ったぞ」


 荷物が安全に辿り着いたら、今度はアルの番だ。

 ブランに見守られながら、ゆっくりと地下へと下りていく。荷物を下ろしているときにも思ったが、予想以上に深い。


「……よいしょ、と」


 ようやく地面に足が着く。すぐ近くで滝が流れ落ちているから、飛沫で全身が湿るような感覚がした。


「荷物は離れたところに置いたぞ」

「ありがとうございます」


 振り返ると、広い洞窟が見えた。地面には小川が続いている。鍾乳洞のように、ところどころ氷柱のような形の突起物があった。

 岩壁は不思議とキラキラと輝いている。よく見てみると、小さな輝石の欠片が岩にまざり、光を放っているようだ。


「ブラン、下りてこい」


 洞窟内の観察に勤しむアルの横で、クインが上に向かって声をかける。

 その後の展開が容易に想像できたので、アルは慌てて洞窟の奥へと進んだ。


 ――ザバッザバッ!


「……きゃん」


 滝を流れ落ちるように、ブランが滑り下りて来た。全身が濡れそぼち、ふわふわ感の失われた体はいつもより小さく見える。

 嫌そうになき、すぐさま小川から出ると、すぐさま体を震わせる。アルが止める隙もなかった。


「……ブラン」

「やってくれたな……」


 アルは布を片手にブランをじとりと見据えた。クインは髪に跳ねた水滴を指先で払い、苦笑している。


「……クー」


 悪気はなかったのか、ブランは気まずそうに目を逸らした。

 仕方ないことなのはアルも分かっている。だから、ため息ひとつで許し、布でゴシゴシと拭ってやった。


 大体乾いたところで荷物を積み直し、気を取り直して先へと進む。


「ここから先も、小川を辿って行けばいいんですかね」

「それしかあるまい。分かれ道があったらその時考える」


 簡単に方針を確認しながら歩く。

 松明の明かりが壁の輝石に反射して、一本だけでも十分な視界が確保できていた。アカツキのダンジョンほどではないが、侵入者に都合のいい環境だ。


「うーん……どこかから水が落ちてくる音がしていますね」

「ん? 確かにそうだな」


 クインと顔を見合わせ、急ぎ足で音の確認に行く。先程通ってきた滝の音ではないのは双方ともに分かっていた。


 暫く進んだ先で、洞窟は二股に分かれていた。一方からは別の小川が流れてきている。


「……なるほど? つまり、森の中の小川はこの洞窟でつながっている可能性が高いということですか」


 別の小川の流れてきた方を探ろうにも、さすがに奥まで松明の明かりは届かない。

 だが、耳を澄ますと滝の音が聞こえる。十中八九、アルたちが通ってきたような滝があるはずだ。


「そのようだな。となると、この小川を辿っていけば良いのに間違いはなさそうだ」

「きゃんきゃん!」


 不意にブランが鳴く。なんだか嬉しそうだ。

 きょとんと見つめるアルの横で、クインが呆れた表情を浮かべる。


「……甘い匂いがする、だと? 吾には分からぬが……ブランの食い意地の力を甘く見るわけにもいかぬな」

「どういう判断基準」


 思わずツッコミをいれてしまったが、あながち間違ってはいないかもしれない。ブランは食に関しての能力とやる気が高いから。


「――甘い匂いね……。それは果物みたいな?」


 ブランが首を横に振る。


「きゃん!」

「砂糖を少し焦がしたような匂い? それがどういうものか、吾には分からぬが」


 クインに視線を向けられて、暫く考える。


「……僕も分かりませんね。キャラメリゼみたいな感じかもしれません。こんな洞窟でそういう匂いがするのは不思議ですけど」

「そうだな。まぁ、どうせ目的地なのだ。さっさと行けばよかろう。危険な気配はないのだからな」

「ええ。――ブランも急ごうと言っていますしね」


 背を鼻先で突かれ、アルは僅かにつんのめる。

 そんなに急かさなくたって、いずれ辿り着くだろうに。ブランは早く匂いの元に行きたくてたまらないようだ。


 アルとクインは呆れながらも歩を進める。

 踊るような足音がついてくるのが少しおもしろかった。

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