第383話 冷たい空気
ゴロゴロゴロッ――。
アルは不気味な重低音により目を覚ました。
寝ぼけ眼で状況を理解して、ため息をつく。
暗いテントの中。
いつもならば傍で寝ているはずの相棒の姿はない。サイズを変えられない状況では、テントに入ることすらできない大きさだから。
「……雷かぁ……なんとなく不吉な感じ」
ぽつりと呟いて身体を起こした。
昨夜は夕食をとって早々に寝たので、早朝と思しき時間でも睡眠時間は足りている。それでもなんとなく憂鬱になるのは、久しぶりと感じるくらいに天気が悪いからだ。
「んん……雨は降ってないけど、時間の問題かな」
テントを出て伸びをする。心なしか湿っぽい気がする空気を肺いっぱいに取り込んだ。
「起きたか」
「はい、おはようございます、クイン。ブランはまだ――」
「クー」
屋根の下から空を見上げていたクインと挨拶を交わす。
ブランは目を瞑っていたが、起きているようだ。『おはよう』と言うように鳴くと、大きくあくびをした。
「さっさと移動した方が良さそうだな。雨が降るにしても、目的地でやり過ごした方がよかろう」
「地下に生きる者たちと接触できるところは、雨宿りできる感じなんですか」
「うむ。地下だからな」
「……なるほど? つまり、洞窟みたいなものですね?」
クインが頷く。
アルは「じゃあ、朝ご飯は歩きながらで」と提案して、すぐにテントを片付け始めた。雨の中での片付けは大変だから、できる限り避けたい。
「きゃん……」
ブランがしょんぼりと尻尾を下げているのは、朝ご飯に期待できないからだろう。
アルは気にせず、ブランの背にテントなどの荷物を括りつけた。携帯食料でも十分美味しいはずだから、すぐに機嫌は回復すると思う。
「では、行こうか」
準備が整い、クインの後に続く。いつ雨が降り出すか分からないから、自然と早足になった。
そんなアルの脚をブランの尻尾が叩く。『飯をくれ』の合図だ。もう思い出さなくても自然と理解できた。
「はいはい。これクッキーね」
あらかじめ荷物から取り出しておいた包みを開く。棒状にチョコレートやキャラメルでコーティングしたクッキーが大量に並んでいた。中にはドライフルーツやナッツを練り込んでいるから、食べごたえ十分な携帯食料だ。
お茶やミルクがあるとより食べやすいんだけど、と思いながら、ブランの口に放り込む。
もぐもぐと口を動かしたブランが、意外そうに目を見張った。そして、すぐさま追加をねだるように口を開ける。美味しかったらしい。
アルは追加をブランに食べさせ、クインにもいくつか渡してから、自分も食べてみる。
カリッとした食感と甘さが美味しい。でも、やはり口の水分が取られる。昨日汲んでおいた水を口に含むと、爽やかな風味で潤った。この水の美味しさは一日経っても変わらないようだ。
「――あ、空気が変わった……」
昨日感じたのと同じ、圧を掛けられるような空気が周囲に満ちる。
アルは僅かに眉を顰めたが、不快感は少し和らいでいるように思えた。二度目で慣れてきているということだろうか。
ブランは嫌そうに尻尾を揺らしたが、反応はそれくらい。今は意識の大部分がクッキーの方へと向かっているようだ。食い意地の張ったブランらしい。
「もう少し行けば見えてくるぞ」
「どんな感じに――」
聞き返そうとした言葉が止まる。クインの言葉がすでに理解できていた。
木々の隙間から見えるのは、僅かに地面が盛り上がり、丘のようになった場所。その頂点に大きな石が鎮座している。
明らかにこれまでの森の景色とは違う、異質な雰囲気だ。
「――この石、四角錐っぽいですね」
近くに寄るほどに、石が人工的に削られて形作られているものだと分かる。高さは十メートルほどだろうか。岸壁から削り出したのだろうかと思うような大きさだ。どうやって運んできたのか謎でもある。
「不思議だろう? 入口はこちらだ」
石に触れて見分するアルを、クインが手招きする。アルたちがいるのとは反対側が入口らしい。
ついていってみると、石に大きな穴がポカリと開いていた。今のサイズのブランでも悠々と入れそうだ。
「へぇ……小さな部屋になっていて、ここから下に行けるんですね」
躊躇なく中に入るクインに続き、アルは石の中を見渡す。ブランも入ると、少し窮屈に感じる。近くにある頭を撫でた。
地面には地下に続く階段があるが、覗き込んでもどこまで続いているのか分からない。
「――階段が狭いから、ブランは行けそうにないね」
『そうだな。我はここで待機か』
「うん。退屈だろうけど――」
返事の途中で言葉が止まる。思わず勢いよくブランを振り向いた。
今の声は間違いなくブランの思念だ。ブランも遅れてその事実に気づいたのか、きょとんと目を丸くしている。
「思念が、使える……?」
「ほう? まさか、魔法がここで使えるということか?」
クインが不意に外に向かって手を伸ばした。だが、何も起きない。
「――風の魔法は使えないようだが。体の中を魔力が循環している気はする。つまり、自分の身体に関する魔法は使えそうだな。その場合、思念は外に放つものだから、使えるのは不思議な気もするが……」
「あ、もしかして……ブラン、話してみて」
ある仮説が浮かび、アルはブランからできる限り離れて、再び思念を使うよう頼んだ。
不思議そうな顔をしながらブランが頷くも、声は聞こえない。暫くしてアルはブランに触れる。
『――えていないのか? おい、返事がないということは』
「今は聞こえているよ。たぶん、触れているときだけ思念が届くんだ。空気中に放たれるのではなくて、僕に直接魔力と共に流れ込んでいるんだと思う」
「なんと……そのような原理が」
感心するクインを横目に、アルはブランに首を傾げてみせた。
「変化はできそう?」
『……うむ。可能だろう。だが、この荷物は運べなくなるぞ』
「クイン、ここから先は長居する感じではないんですよね?」
「ああ。どれくらい地下に生きる者たちと話すかにもよるが、昼頃にはここに戻ってこられるだろう」
「じゃあ、必要最低限の荷物だけ持って、他はここに残していきましょう」
テキパキとブランから荷物を下ろす。持っていくのは一日分の食料と水。
念の為アイテムバッグを使えるか試してみるが、無理なようだったので潔く諦めた。
『では、変化しようか』
身軽になったブランがどこか嬉しそうに尻尾を振る。
瞬く間にその姿は消えて、見慣れた小さな姿があった。アルが手を伸ばす前にブランが駆け上がってくる。
「……やっぱり、そこなんだ」
『我の場所だからな』
いつも通りにアルの肩を陣取り、ブランは機嫌よく尻尾を揺らした。アルも伝わる体温が心地よくて、笑みをこぼして受け入れるしかない。
「思念が伝わってくるから、いいけどね」
「我は触れていないから思念が読めぬ。きちんと声に出せ」
「きゃん(面倒くさいな)」
鳴き声に被さるように思念が聞こえる。暫くは鳴き声を聞き流すようにしないと疲れそうだ。
「準備できましたし、行きましょうか」
「うむ。ついてくるがいい」
クインがさっさと階段を進む。その手にはアルが渡した松明。アルも持っているので、階段は随分と明るくなった。
「……なんか絵が書いてあるね」
『うむ。……これは人間のように見える。随分と原始的な生活をしているようだが』
壁面の絵を眺めながら歩を進める。
絵は古代の人間の生活を描いたもののようだ。ほとんど服をまとっていないような姿から、進むごとに現代に近づいていく。世界の歴史を記したものだろう。
途中からは多様な魔物の姿が出てきて、戦闘風景など興味深い。
つい足を止めそうになる度に、ブランが尻尾で頭を叩いてくる。『馬鹿』とは言われていないが、なんとなく苛立ってしまうが、これはアルが悪い。先に進むほうが重要だから。
暫く下り続けた後。
不意に湿った空気が頬を撫で、心臓が冷やされるような心地がした。
『む……着いたか』
ブランの声が聞こえるのと同時に、クインが広い空間を歩いていくのが見えた。壁に沿って歩き、ところどころにある松明に火をつけていっている。
「……広い」
松明に照らされた空間の予想以上の広さに、アルは目を丸くした。
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