第382話 異質な気配

 小川から逸れて駆けていると、どんどんと暗くなってきた。空を見上げても太陽を確認できないが、おそらく夕刻なのだろう。


「暗い状態で不慣れな道を行くのは危険だよね……」


 魔道具が使えないので、松明を灯して進む。すでに視界には闇が迫ってきていた。

 ブランが『どうする?』と言いたげに視線を向けてくる。


「あと少しで地下に生きる者たちと連絡を取れる場所だ。そこまでは進もう。あの辺りは食虫植物もおらぬし、安全だ」

「クインがそう言うなら、それで構いませんが」


 足を止めないクインに従い、アルは前方を眺める。

 どうやって距離感を把握しているかは分からないが、この森ではクインの感覚が頼りだ。


「……クー」


 不意にブランが不可解そうに鳴いた。アルと同じように行く先を眺めていたのだが、僅かに進む速度が鈍っている。


「ブラン、どうかしたの?」

「地下に生きる者たちの気配を感じ取っているのだろう。吾らとは相容れぬ存在だからな」

「ここに住んでいるわけではなく、連絡が取れる場所というだけなのに、気配が分かるんですか」


 ブランに代わって答えたクインに、アルは目を丸くする。

 そんなに敏感に察するほど、忌避感があるとは予想していなかった。


「そういうものなのだ。この感覚こそが、広い世界で限定された場所を探し出すのに役立つわけだが」

「……もしかして、クインはこの森に入った時からそれを察して、目印にしていたのですか?」


 クインが迷いなく進んでいた理由が分かった気がする。

 アルの問いかけに、当然のように頷きが返った。


「ブランはまだ感じたことがなかったから、ここまで近づかねば分からなかったようだが。吾は幾度となく来ているからな」

「へぇ、道標としては便利ですね」

「ああ。アルも、慣れれば分かるようになろう」


 クインに断言されたところで、アルはその自信がまったくない。現時点で、ブランたちが感じているらしい気配を、まったく把握できていないのだから。


「……二人が分かるなら、僕が気付けなくても問題ないと思いますけど」


 そう呟いたところで、空気が変わった気がした。

 思わず足を止めそうになったが、クインもブランも進み続けるので後に続く。


「――これは……? まるで、水の中に入っているような……」


 空気が質量を持って押し寄せてくるような、なんとなく不快な圧迫感だ。思わず眉を顰める。

 そんなアルの背中をブランが尻尾で叩いた。まるで『気合いを入れろ』と言うような仕草だが、これには意味があったはず。


「『警戒しろ』? なにか危険があるの?」


 ブランが首を傾げる。その顔を少し険しいように思えた。


「うーむ。少し近づきすぎたか。あまり不快さが強いと、休むことができないだろうな。――よし、吾の寝床までは我慢してくれ」


 クインが悩ましげに呟いた後、一転して朗らからに告げる。進む方向を少し変えたので、地下に生きる者たちとの連絡場とは離れたところに向かうことにしたようだ。


 アルはこの森についての知識がほとんどないので、慣れたクインに文句なく従う。

 暫く進むと、不快さは薄れた。それと同時に、前方に建造物らしきものが見えてくる。


「あれは……?」

「吾の寝床だ。この森は雨が降ることがあるからな。念の為、屋根を作ってあるのだ」


 クインが言う通り、それは木切れと葉っぱを組み合わせた簡易のタープのようなものだった。

 寝床と言うには、地面に落ち葉が敷かれているだけで、あまり快適そうではない。雨宿りをする場所という方が適切に見える。ただ、今のブランでも悠々と寛げそうな広さはあった。


「これはありがたいですね。僕はテントがありますけど、ブランは入れませんし」


 足を止め、屋根を見つめる。観察ついでに、周囲に松明をつけていくと、一気に明るい空間になった。


「クゥ」


 ブランがホッと息をつくように鳴く。不快感が和らいだのか、それとも慣れたのか、警戒心が薄れたようだ。


 クインがブランの頭を撫で、落ち葉の上に腰をおろす。その横で身を伏せたブランの荷物から、アルはテントを取り設置を開始した。


「いい野営場所ですね」

「だろう? この周囲に危険なものもないしな。ただ吾やブランは、少々不快感を覚えようが……慣れれば問題あるまい」


 ブランが伏せていた目を上げてクインを軽く睨んだが、ため息とともに文句を飲み込んだ。

 アルは苦笑しながらも、安全を優先してくれた二人に礼を告げる。

 そんなアルの脚に、ブランの尻尾が触れた。


「えぇっと……『ご飯くれ』?」

「クー」

「旨いご飯で帳消しにしてやろう、とは吾が息子ながら傲慢なことよ。アルの安全が何よりも重要だと、素直に言えばよかろうに」

「キャン!」


 ブランがクインに対して抗議するように鳴く。だが、その心情はクインによって明かされてしまっていたので、照れ隠しの八つ当たりにしか見えなかった。


 アルはじゃれあうブランとクインを眺めて微笑ましくなりながら、サクサクと野営準備をする。おやつの時間に、ペシェブロンで一品作ろうかと言ったことを叶えるためにも、準備は迅速に。


「テントは張ったし、夕食は簡易で、べシェブロンは……ジュースにでもしてみようかな」

「ほう、茶以外に、ジュースにもなるのか」


 興味津々な眼差しを向けてくるクインに微笑みかける。その横で、ブランは無言のまま瞳を輝かせていた。

 ジュースは少し手抜きに思えるが、ブランが文句ないようなので良かった。


「水につけるのとは一味違った感じになると思いますよ」

「楽しみだな」


 のんびりと待つクインとブランを横目に、アルはすぐに夕食を準備した。

 メインはホワイトシチュー。これは野菜と干し肉を煮込み、固形ルーを加えたものだ。固形ルーは簡単に味つけできるので便利だ。

 これにバゲットを添えて、出来上がり。


 ジュースはペシェブロンを布で包み、重石をのせて絞り出すことにする。きっと食べている間に出来上がるだろう。


「ブラン、先にご飯だよー」


 ペシェブロンの甘い香りに誘われて、ワクワクとした表情で覗き込んでいるブランを呼び寄せる。甘いもの以外の食事も好きなのですっ飛んできた。


「クー」


 シチューが入った皿に顔を突っ込み、貪るように食べるブランは満足げだ。

 ブラン用は大鍋のような皿に相応しい量だから、好きなだけ食べてほしい。バゲットをあらかじめ浸しているから、満腹感もあるはずだ。


「身体が温まっていいな」

「そうですね。ここ、気温は春とか秋くらいでちょうどいいですけど、日が落ちると少し肌寒く感じますし」


 クインが軽く頷く。

 闇が満ちた森は、昼とはまったく違った雰囲気だ。生き物の気配がなく、静まっているのが少し怖く感じる。


「――あまり、長居したくない場所ですね」

「うむ。目的を果たしたら、すぐに出ればよかろう。明朝に地下に生きる者と話し、その後川の流れる先を探るので良いのか? それとも、この周辺を歩き、結界の核を探すか?」


 アルは暫し悩む。

 地下に生きる者と話すのは決定事項だ。その後、結界の核をどう探すかが問題である。

 クインが言うように、ただ歩き回って見つけ出せるものなのだろうか。


「……地下に生きる者に、結界について話を聞いてみます。結界の核の場所を教えてもらえるようなら、その探索が優先ですね。手がかりがなかったなら、川の流れ行く先を探しましょう」

「そうか。それが良いだろうな」


 明日の方針が決まったところで、三人とも食事を終える。といっても、最後のデザート代わりのジュースが残っているが。

 布で濾すように絞り出したジュースは、甘く芳醇な香りが強い。それぞれに注ぎ分けると、クインとブランが香りを楽しむように目を細めた。


「クー……」

「お茶のときとはまったく違う、主張の強い香りだな。――ほう、味は少しスパイシーだ」


 一口含んだクインが目を丸くする。

 アルも飲んでみると、甘さとともにシナモンのような香りが鼻に抜けた。口に含まないと香らないとは不思議なものだ。


「僕も初めて飲んでみましたけど、こんな感じになるんですね。ちょっとクセになりそうです」

「吾は茶のほうが好きだな……」


 クインの口には合わなかったようだ。

 ブランは不思議そうに首を傾げて舐めていたが、それなりに気に入ったようなのでよかった。


「このペーストとアプルを混ぜてパイを焼いたら、いい感じの味になりそう……」


 思わずこぼした感想に、ブランが『作れ!』とねだるような目を向けてきたが、アルは気づかなかったふりをした。

 今の状況で作れるわけがない。


 空を見上げる。星も見えない空は暗黒の闇のようで不安になるが、クインとブランがいてくれるから、恐れることはない。


「――地下に生きる者たちと、どんな話ができるかなぁ……」

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