第381話 クインの献身

 暫く駆けている間に、幾度となく食虫植物に襲われた。どうやらこのルートは食虫植物が群れている場所だったらしい。

 クインはこれまでに会ったことがなかったと言っていたので、森全体に生息しているというわけではないはずだ。


「――それにしても、多すぎる……」


 食虫植物が現れる度に、クインが退治してくれる。それはありがたいが、探索が中断されてしまうのはいかんともしがたい。

 なかなか進まない道行きに、ブランが少し苛立っている雰囲気を漂わせていた。


「大きさが通常のサイズだったら、もっと軽く倒して行けるんだけどなぁ」


 アルはクインに倒されたばかりの食虫植物を眺め、ポツリと呟いた。

 改めて脳内から図鑑の内容を引っ張り出して思い出したのだが、食虫植物のサイズは大きくともせいぜいアルの腰元くらいだったはずなのだ。アルの身長の十倍になろうかというような巨大さではない。


 いったいどうしてこんなに巨大化しているのだろうか。

 それとも、これが昔ながらの大きさだというのか。


「――昔ながらの植物が保全されているとするなら、以前はこのサイズの植物が結界の外にも生えていたっていうこと?」

「吾は見たことがないがな」

「となると、生えていたとしても、相当昔ということに……。そもそも、この森はいつから存在していたんでしょう?」


 今更ながらの疑問を呟く。クインは軽く首を傾げて「さぁ」と返した。


「気付いたときには存在していたからな。吾は常に世界を移動していたわけでもない」

「そうですよね」


 あてにならない答えだったが仕方ない。

 アルは肩をすくめ、先に進むために歩き始めようとした。その脚にブランの尻尾が触れる。


「……『飯をくれ』?」


 その合図が意味することを思い出して呟く。ブランの目がキラキラと輝いた。先ほどまでの苛立ちを期待が上回っている。

 クセで空を見上げても、どこに太陽があるかは分からなかった。だが、体感で昼食からだいぶ時間が過ぎた気がする。つまり、お茶の時間だ。


「……あ、ペシェブロンを仕込んでいたんだったね」


 ブランが何度も頷く。尻尾がブンブンと揺れていて、ブランの期待が感じ取れた。

 アルは苦笑しながら周囲を見渡す。

 お茶の時間を提案したのは自分だ。それに、少し疲れが溜まってきたのも事実。気分転換にここで休憩を挟むのもいいだろう。


「休むのなら、そのあたりがいいのではないか?」


 クインが指したのは、より小川に近づいたところだった。ちょうど草がほとんどなくなっていて、簡易のテーブルを広げるには十分な広さである。


 周囲の警戒をクインとブランに任せて、アルは素早くお茶のセッティングをした。

 ブランから下ろしたテーブルを広げ、椅子を一つ置く。テーブルには二人分のティーカップ。ブラン用はボウルでいいだろう。

 そして、ペシェブロンと水が入った瓶を取り出してみる。


「あ、だいぶ茶色になってる」

「きゃん!」


 ペシェブロンの果汁と水が混ざり合い、紅茶より薄い色合いだ。

 ブランがクンクンと鼻を動かし、嬉しそうに鳴いた。アルにも甘い香りが感じ取れるくらいだから、ブランにとっては涎を垂らしそうなほど美味しい香りに違いない。


「はいはい、今注ぐからねー」


 ブラン用に一瓶全てを注ぎ、もう一瓶をアルとクインのカップに注ぐ。少し余ったが、飲みたい人が飲めば良い。たぶんブランになるが。

 お茶請けは漬けていたペシェブロンとチーズを載せたクラッカー。このくらいは消費しても大丈夫……のはずだ。


「よし、これでよし。どうぞ飲んでみて」


 一応鑑定の道具で安全を確かめた後、いざ実飲。

 ガブガブと飲み始めたブランの様子から、すでにその美味しさが伝わってくる。


 アルもカップを近づけて香りを楽しんだ後、少し口に含んでみた。


「……なるほど。ペシェブロンの甘い香りがいいね。でも、後を引かない甘さで、飲むとスッキリする。これは水の効果もあるのかも?」

「そうだな。澄んだ味がする」


 クインが満足そうに目を細めてお茶を楽しんでいた。気に入ったようでなによりだ。帰りにもペシェブロンを見つけられたら、採取してもいいかもしれない。


「あ、漬けていたペシェブロンもとろりとして美味しい。甘さも残っているし、チーズの塩味と相性抜群だよ」


 アルがそう言うが早いか、お茶に集中していたブランが皿の上のお茶請けを口に放り込んだ。

 舌で絡め取って食べる姿が新鮮だ。普段の小さい姿だと器用に手を使って掴むのだが、今のサイズだと難しいのだろう。


「くぅくぅ」

「なに、その鳴き方。気に入ったってこと?」


 ブランの甘えるような声。目を細めた顔はご満悦そうでなによりである。

 アルはクスクスと笑いながら、自分用のクラッカーを分けてあげた。ここまで喜ばれると、作りがいがあるというものだ。


「余ってるペシェブロンは腐る前に消費しないとね。夜に余裕があれば、何か一品作ろうかなぁ」

「きゃん!」


 ブランの目がキラキラと輝く。食いしん坊はアルの呟きを聞き逃さなかったようだ。

 アルはクインと顔を見合わせ、思わず微笑み合う。ブランの感情に素直なところは好ましい。


「そのためにも、できれば早く目的地に着きたいところだけど……」

「吾の感覚では、少なくとも夜まで歩けば、地下に生きる者たちのところまでは辿り着ける気がするが」

「あ、そうなんですか? 思ったより近いですね」

「うむ。やはり結界の内外では距離感が狂っているのだろう。森自体は外周より広くない」


 クインの考えにアルも頷く。早く目的地に着けるならありがたい。


「それなら、もうひと頑張りしましょうか」

「そうだな。地下に生きる者たちのところは危険がないことを確かめている。そこで野営するのが良かろうよ」


 お茶を飲みきり、お茶請けを空にしたところで、アルはすぐに片づけを始めた。

 少し休憩をとったことで、疲れはだいぶ癒やされた気がする。ブランも夜ご飯への期待から気合充分なようだ。


「では、行きましょうか」


 再びクインを先頭にして歩き始める。

 暫く進むと、川の流れと目的地の方向がズレてきた。


「どうする? こちらに進めば、地下に生きる者と連絡がとれる場所に着くが」

「そうなんですね……。クインは目的地に川はなかったと言っていましたもんね。この川の流れる先が気になるんですけど、目的地優先にしましょうか」


 少し残念な気分だが、そう決断した。

 そんなアルの後ろ髪を引かれる様子を見て取ったのか、クインが苦笑しながら近くの木を見つめる。


「……ここにはいつでも戻ってこられる。川の探索は後からしよう」


 そう呟いたクインが、身軽な動きで樹上に駆け上がった。

 これまでも食虫植物を倒す際によく見てきた光景だ。しかし、今ここに食虫植物はいない。


 クインの行動の意味が分からず見上げていると、凄い衝撃音が聞こえてくる。何度も繰り返される音と共に、地面が揺れるような感覚が足元から伝わってきた。


「え、なに……?」

「……クー」


 戸惑うアルの横で、ブランがため息のような声をもらす。

 クインが上っていった木の幹が、半ばから折れて倒れていく光景を、アルは呆然と見守った。


「――よし。これで目印ができたな。吾の血も擦り付けてきたから、暫くの間はここを目指して戻ってこられるだろう」


 トン、と軽い音と共に戻ってきたクインは、どこか満足げな表情だった。

 アルはクインに文句を言いたい気分だ。しかし、クインがアルの望みを叶えるために行動してくれたということも理解できる。


「……とりあえず、その傷の手当をしましょう」


 血を擦り付けてきた、という言葉通りに、腕に血が滲んでいるのを見咎めて、アルは低い声で呟いた。

 クインはアルの不機嫌さを感じ取ったのか、戸惑った雰囲気だ。何故アルが怒っているのか理解できないらしい。


「クーゥ」

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは。吾は最善の行動をだな――」

「クイン自身を傷つけてまでしてほしいとは思っていなかったんですけど」


 ブランと喧嘩するクインの言葉を遮り、アルはじとりとした目で伝える。

 きょとんとしていたクインが、次第に少し申し訳なさそうに眉尻を下げていくのを見て、溜飲が下がった。


 念の為に用意していた傷薬をクインに塗る。この薬は絶大な効果があるから、明日には治っているはずだ。


「……心配をかけたか」

「当たり前でしょう。クインは僕の仲間なんです。いたずらに傷ついてほしいわけがない」

「そうか。……うむ、そうだな。これからは気をつけよう」


 クインが顔に僅かに嬉しさを滲ませて頷く。

 納得してもらえたならば何よりである。


「……言い忘れていましたけど、僕の希望を叶えてようとしてくれて、ありがとうございます」

「ふふ、構わぬ。喜んでもらえたならば、吾にとっても嬉しい。仲間とは助け合うものなのだろう?」


 クインはそう言って満足げに笑った。

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