第380話 意外な襲来者
昼食後。
軽く駆けながら森の中心部を目指す。
「とりあえず川沿いを進んでいますけど、目的地から逸れるようなら教えてくださいね」
「もちろん。今のところはこの方向で問題なさそうだ」
クインに断言されて、アルは少しホッとする。
太陽さえ厚い霧に覆われてろくに見えない現状で、方向を確かめる術はクインの感覚しかない。一度迷子になればこの森から出ることすら難しくなるだろう。
「地下に生きる者と連絡がとれるのも、森の中心部付近でしたよね?」
「そうだ。吾はこの森の結界の核となるものを目にしたことがないから、少し違う場所なんだろうな」
クインが小さく首を傾げる。
同じ森の中心部と言っても、広大な森の範囲を考えたら、知らなくても無理はない。だが、アルは少し違和感を覚えた。
クインはブランより注意深くて慎重な性格だ。森の中で人工物と思しきものが近くにあれば、すぐ気づいてもおかしくない。
それなのに、クインはその存在をまったく知らなかった。
もしかしたら、森を守る根幹をなす結界の核は、一目では分からない状態で存在しているのではないだろうか。
「……森の中で目立たない状態……?」
ふと、クインが森の木々に関心を持っていなかった様子を思い出した。
慣用的な言い回しで『木を隠すなら森の中』ということがある。物を隠すには、同種の物の群がりに紛れ込ませる方法が最適だという意味だ。
今回は、その言葉そのままに、木の中に結界の核となるものが存在している可能性があるのではないだろうか。
「……グルルッ!」
考えながら駆けていた足が急停止する。ブランが目の前に飛び出してきたのだ。
「ブラン、どうし――ッ!?」
問い掛ける言葉の途中で、巨大な葉っぱのようなものが近くの地面に墜落した。肉厚な葉は二枚貝のような姿だ。
衝撃で砂埃を巻き上げている光景を眺め、アルは目を丸くする。
「……何ごと?」
「敵襲だったようだ。だが、吾はこのような魔物を知らぬが。第一、この森では魔法を使えぬはず」
姿を消していたクインがアルの傍に降り立った。
もしかしなくとも、アルたちを狙っていたと思われる巨大な葉っぱを退治したのはクインだろう。
ブランが万が一の場合の防御に回り、クインが攻撃する。言葉はなくとも見事なコンビネーションだ。
「あー……これは、魔物ではありませんね」
「なに?」
「きゃん……?」
クインとブランがきょとんとした顔でアルを見つめてくる。
人型と聖魔狐の姿という違いはあれど、さすが親子といいたくなるくらい似た雰囲気だ。それがなんだか微笑ましい。
アルは密かに心を和ませながら、地面に倒れた肉厚な植物に近づく。
茎の部分が折れていて、すでにこの植物が生きていないことが分かった。二枚貝のように合わさっているところをこじ開けてみる。
「この中を見てください。奥に液体があるでしょう?」
「……あぁ、あるな」
「あれ、消化液らしいです。これは、食虫植物の一種で、甘い香りで虫を誘い、ここで捕食するんですよ」
こわごわと中を覗き込んでいるクインに説明する。
アルも図鑑でしか食虫植物のことを知らない。これまで通ってきた森は、そうした植物が育つ環境ではなかったからだ。
こうして見てみると、物珍しさも相まって非常に興味深い生態である。
生き物がいないこの森の中で、この食虫植物は何を捕食して生きていたのだろうか。
「――気候に合わない植物が存在している以上、この森の中だったらどんな植物でも生きていられるのかもしれないけど。虫を捕食しなくても生きていけるなら、この生態保たれる意味って……?」
「生き物を襲う機能が維持される理由……。ひとつ、怖いことを言ってもよいか?」
珍しくクインがニヤリと笑う。アルはその後に続く言葉が容易に想像できた。
この食虫植物をクインが倒した理由を考えれば、自ずと答えは導き出される。
「――この森に迷い込んできた人間をえさにしている、という可能性があるのではないか」
「僕も同じことを考えました」
アルが冷静に頷くと、クインは少しつまらなそうに肩をすくめた。
脅かそうとしたのを咎めるように、ブランがクインの肩に頭突きをする。クインはそれを軽くいなしてじゃれあっていた。
「――まぁ、この森が植物を保全するために存在しているなら、ただ変化が起きないようにしているだけという可能性はありますけど。この倒れた食虫植物の後には、また同じような植物が生えるんですかね?」
茎を辿り根本を観察する。見事に切れてしまっていて、再生する気配はまったくない。
全体で植物が保全されていたら、一本二本くらい植物がなくなっても構わないということだろうか。
「新たな植物がすぐさま再生してこないというところは、魔の森と違うな」
「そうですね。……なに、ブラン」
じとりとした目を向けられていることに気づいて、アルはブランを振り返った。何もおかしなことは言っていないはずだが――?
「――もしかして、僕が昔、森を破壊していたことをあげつらってる?」
魔の森で幾度となく森の木々を切り倒して破壊じみた行動をした自覚はある。それをブランに咎められたことも。
「言っておくけど、魔法を使えない状態で、さすがに昔みたいなことにはならないからね?」
ムッとして告げる。ブランは『どうだか』と言いたげな表情でそっぽを向いた。
もっと文句を言いたいところだが、そんなことに無駄に時間を使うような状況ではない。
アルはため息とともに鬱憤を飲み込み、再び食虫植物に向き合った。
「この植物、珍しいし採取できたら良かったんだけど……」
「アイテムバッグが使えない状況ではどうにもならんな」
クインの言葉が現状を物語っていた。非常にもったいないが、このまま捨て置くしかないだろう。
「無駄に命を奪ってごめんね……」
「活用できぬとはいえ、襲ってくるものを野放しにはできぬのだが」
クインが少し不服そうに言うのを聞きながら、アルはポンポンと茎の部分を叩いた。
すると、不意に感触がなくなる。
「え……消えた……?」
食虫植物の姿が霞むように消えていき、後には何かがぶつかったような跡だけが地面に残っていた。
「……ほう。新たな植物は生えてこなくとも、死した植物はこの森に吸収されるわけか。どこか別の場所で生えているのかもしれぬな」
そう呟いたクインは、地面に落としていた視線を川の方へ移す。そして、流れていく先を眺めるように目を細めた。
その隣で、ブランも同じような表情をしている。
「……なにか、異変がありましたか?」
「アルは気づかなかったのか? さっきの植物が消えた途端、何かの力が川の方へ移っていき、水に溶け込んでいったぞ」
思いがけないことを聞かされ、アルは目を丸くした。まったくそんな気配を感じなかったからだ。
つくづく、魔物と人間の感覚の違いを感じる。魔力が封じられていても、そうした基礎能力は変わらないのだ。
「……この森、普通の人間が突破するのは困難ですね」
「方向を把握することさえできぬようだからな。だが、普通の本能しか持たぬ魔物は、この森に入ってくることさえ叶わぬが」
「つまり、クインとブランというイレギュラーがいるからこそ、僕らの探索は成り立っているわけですね」
アルは改めてそのことに気づいて、おもしろいめぐり合わせだと思った。
「――さて、この場に観察するものはなくなったわけですし、探索を進めましょうか」
「そうだな。新たに襲ってくるものがあれば、遠慮なく倒すぞ」
「……もったいない気がしますが、安全第一ですね」
アルはブランからジッと視線を向けられて、「できれば倒さずになんとかならないか」という言葉を飲み込んだ。
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