第379話 森探索と昼食
荷物の中にあった空き瓶に水とカットしたペシェブロンを仕込んで、再び歩き始める。
小川の両脇はあまり草が生えていないから歩きやすい。その点でも、川に沿って行くことを提案したのは良かったと思う。
「まだ森の中央に向けて進んでいますか?」
「そうだな。時折小川がカーブしているが、概ね進行方向に問題はあるまい」
クインが頷くのを確認して、アルはちらりと小川を見下ろす。
静々と流れ行く水は、どこまで進んでも水量に変化がない。この水はどこまで行くのだろう。そして、なんのために存在しているのだろう。
「周囲の木々のため、というにしては、地面へと浸透しているようには見えないし……」
アルの呟きに応えるように、ブランが足元の土を少し強めに掘った。
むき出しになった土は湿っていない。かといって、乾燥しているわけではないから、木々が生育するのに十分な土質ではあろう。
周囲の木々は、既に植生を変えていた。
背の高い針葉樹林は寒冷な地域で生えるものだ。他にも寒冷地に適した植物が所狭しと森を埋めている。
いくつかは貴重な薬草だったので、少し採取させてもらった。アルは薬草を使う機会が少ないが、売れば高値がつく。
「南から、一気に北に来た感じ。進行方向的には、北から南に変わる方が正しいんだけど」
「世界をそのままに移しているわけではないのだろうな」
アルの独り言にクインが答えた。
この森が世界中の植物を保存するために存在しているのならば、現在の植物の分布を正確に再現している必要はないのだ。
「それにしても、整理されていない分布を見ると、図鑑のページがぐちゃぐちゃになってしまっているように感じます。なんだか、落ち着かない……」
ポツリと文句を呟くと、ブランがチラリと視線を流してきた。アルが体調を崩しているわけではないことを見て取ると、すぐに関心をなくしたようだが、その気遣いが少し嬉しい。
「その感覚は、吾にはよく分からぬな……」
苦笑したクインが肩をすくめる。
クインはそもそもアルのように図鑑や本を見るという習慣がない。だから、理解してもらえるとはアルも始めから考えていなかった。
暫く黙々と歩く。景色に変化がないと、まるで永遠とこの森が続いているように思えてきた。
そのことに少し疲れを感じ始めた頃に、柔らかいものが脚に触れる。
「ブラン、どうしたの?」
「クー」
鳴き声と共に、どこかから『グルグルグル』という重低音が聞こえてきた。凶暴な魔物の唸り声のようなその音の出所は、ブランのお腹だ。
それに気づいたのと同時に、アルはブランの意思表示の合図を思い出す。
「……あぁ、もう昼時なんだね」
見上げた空に太陽の姿はない。魔道具である時計も動いていない。
その状況でもっとも正確に時間を知らせるのが、ブランの腹時計ということか。
「昼か。携帯食料なら、歩きながら食べるか?」
「キャン!?」
クインの問いに、ブランが即座に悲鳴のような鳴き声を返す。そして、アルの意思を確かめるように顔を窺ってくる。アルは思わず笑ってしまった。
「いえ。クインが想像しているような携帯食料は、保存期間が長いですし、最後の方にとっておきましょう。まずは、早めに消費する予定で持ち込んだものです。ちょっと調理しないといけないので……あのあたりで休憩にしましょうか」
アルは小川の傍の少し開けた場所を指す。
そこなら、ブランでも十分に寛げるだろうし、調理道具を広げることもできる。
「クー、クー!」
「ほぅ。そういうものも持ってきていたのか。よし、では、午前中はだいぶ歩いたし、しばしの休息としよう」
あからさまに喜ぶブランを横目に眺め、クインが微笑んで頷く。だが、アルは少し不満である。
携帯食料自体も、アルは工夫を凝らして作った。だから、ブランが落ち込むような出来の食事ではないはずだ。でも、イメージの悪さは食べるまで拭われないのだろう。
できたての食事が美味しいのはアルも同意するが、後々には携帯食料の味に良い意味で衝撃を与えてやろうと、密かに意気込んだ。
本日の昼食は、チーズと薄切りローストビーフを挟んだサンドウィッチとオニオンスープだ。
チーズとローストビーフ、バゲットは軽く炙って温めているので、熱々とろとろで見るからに美味しそう。香りも食欲をそそる。
オニオンスープは固形のスープの素をお湯で溶かしたものだ。
オニオンはほとんど形がなくなるまで煮込んでいるので、スープはほぼ具なしに見えるが、一口飲めば驚くほどの旨味が口いっぱいに広がる。
「ほう。このサンドウィッチ、肉が薄いかと思ったが、たくさん挟んでいるから食べごたえがあるな」
「チーズのとろとろ感もいい感じですね。結構お腹に溜まる……」
美味しいが、アルにはバゲットを半分に切った量で十分だった。だいたい手のひらの二倍弱の大きさだろうか。
ブランはその五倍ほどの量をペロリと食べきっていた。なんといっても、一口が大きい。
普段の小さな見た目だと、たくさん食べる姿に違和感を覚えるときもあるが、今の姿だとさもありなんと思ってしまう。それだけ、ブランは体格自体が大きいのだ。
本来の姿はもっと大きいことを考えると、食べる量に文句を言う気もなくなる。
「ブラン、食事の量は足りた?」
無言で食べ終えて、名残惜しげにスープが入っていた器を舐めているブランを見る。なんだか憐れに思えて仕方ない。
「クー……」
ブランはわざと憐れに見えるようにしているのかと思うくらい、しょんぼりと耳を伏せながら、アルを上目遣いで窺ってきた。
アルは苦笑してその頭を軽く撫でる。
たぶん、必要最低限の食事量にはなっているのだ。だが、完全に空腹が解消されたわけではない。
普段なら遠慮なく追加の料理を頼んでくるだろう。今回は持ち込んでいる食事の量に制限があるから、珍しく控えめな主張になっている。
「このバゲット、今日中に食べきっちゃいたいから、あげるよ。挟むのはチーズとハムでいい?」
ローストビーフは既に食べきっているが、保存食用のチーズとハムはまだ十分に量がある。
「キャン!」
ブンブンと尻尾が振られた。キラキラと輝く瞳を見れば、答えは聞こえずとも分かったも同然だ。
アルは手際よく追加のサンドウィッチを作り、ブランの皿に載せた。
「……アルはブランを甘やかしたくてたまらないのか? この程度で飢えるわけでもあるまいに」
クインが呆れたように言う。一方で、残っていた自分用のスープをブランに渡していた。バゲットは乾いたパンだから、水分が必要だと配慮したのだろう。
アルはその行動を見て、『クインも結構甘い気がするけど』と思いながら、肩をすくめて聞き流した。
「食事もあらかた終わったし、探索を再開しようか。午前中はほとんど変化がない道のりだったし、急ぎ足で進んでみる?」
「クー……キャン!」
ブランに問い掛けると、少し悩んだ顔だったが、すぐに頷く。その際にクインと視線を交わして意見交換をしていたように見えた。
「もしかして、まだ警戒が必要だと思っている?」
アルは既に散歩気分だったのだが、ブランはそうではなかったのかもしれない。この森のことをよく知るクインに意見を聞こうとしたのはその表れなのだろう。
「ここは吾が普段使う道ではないからな。絶対に安全とは言えない。だが、行き帰りに消費する食料の量などを考えると、多少急ぐくらいが安全だと思う。ブランもそれに同意している」
「なるほど。用心深いですねぇ。ありがたいですけど。じゃあ、警戒しつつ急ぎ足ということで」
クインの説明はもっともだ。
アルは頷いた後、昼食の片づけを終える。調理道具は都度片付けていたから、後は荷物をブランに積み直すだけで出発できる。
午前中は水と浄化石の発見くらいしか成果がなかった。午後はなにか良いことが起きればいいのだが。
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