霧の森

第377話 探索開始

 翌朝。

 装備の最終確認をしたアルたちは、再び霧の森に入ることにした。

 今回の目的は霧の森内の探索及び、中心部にあるらしい結界の動力源について探ること。そして、地下に生きる者たちから何か情報を得られないか探ること、だ。


『――どうして、我が、荷馬のようなことをせねばならんのだ……』


 中型サイズになったブランがグチグチと文句を言う。その背にはたくさんの荷物がくくりつけてあった。しっかりと固定されているから、もし戦闘を行うことになってもさほど邪魔にはならないだろう。


「だって、荷物が多いんだもん。僕だって少しは持っているし、ブランが持っているのはほとんど食料だよ? 半分以上がブランが消費する予定のものなんだから、文句を言わないでよ」


 予想通りのブランの愚痴をアルは受け流す。返した言葉に嘘はないから、ブランはそれ以上抗議することはできないようだ。


「荷物くらい、文句を言わずに運べばよかろう。まったく、吾が倅は、心が狭いのか、怠け者なのか――」

『我が悪いみたいに言うな!』


 ブランがクインにガウッと吠える。だが、クインはどこ吹く風で聞き流していた。母は強い。


「はいはーい。お話はそこまでにして、中に入るよ。ブランは言い残したことはないね?」

『……山ほどあるが、聞く気ないだろう』

「建設的な意見ならいくらでも聞くけど」


 じろりと睨まれて、微笑み返す。

 こうしたやり取りを暫くできなくなると思うと、少し寂しさを感じてしまうのが自分のことながら不思議だ。


「――ブランも問題ないようだから、入りまーす」


 アルが告げると、クインが先行して森に入る。昨日言っていた通り、危険がないかクインが確認してくれるつもりのようだ。


『我はアルの傍に控えていればいいようだな』


 クインの後ろ姿を確認したブランが、歩を進めるアルの少し後ろを歩く。背後の警戒をしてくれているのだ。

 霧の森内には敵対生物がいないだろうという話だったが、それが絶対というわけではないのはアルも承知している。だから、二人の行動をありがたく受け取った。


「……この白い霧。濃すぎて、歩いていると不安になるよね。いずれ通り抜けられると分かっているから進めるけど」


 結界に突入すると、自分の足元さえ見えない白い闇に覆い尽くされる。


 前方を行くクインが地面を踏みしめる音や、傍のブランが動く気配を感じられるから疑問もなく歩を進められるが、そうでなかったら引き返してしまいたくなるだろう。

 そういう意味でも、この結界は生き物の侵入を防ぐ効果があるのかもしれない。


「――あ、もうブランの声聞こえないのか……」


 返事がなく、独り言のようになっているのに気づいて、少し声のトーンが落ちた。二度目だから分かっていたこととはいえ、やはり少し寂しい。


 不意に柔らかいものが腕に触れた。

 白い闇の中に目を凝らすと、キラリと輝く黒い瞳が見える。どうやらブランが顔を擦りつけていたらしい。


「えぇっと……これの意味は――」


 昨夜教えられた合図を思い出してみても、該当するものがみつからない。ということは、これは合図ではないのか。


「もしかして、慰めてくれてる? 僕が不安がっていると思って?」

「クー」


 普段の小さい姿のときより、幾分か低い鳴き声が聞こえた。それがまるで『寂しがり屋の仕方ないやつめ』と言っているように聞こえて、アルは苦笑する。


 ブランの相変わらず偉そうな感じには文句を言いたくなるが、その気遣いが嬉しくもある。

 アルはブランの頭を撫でて受け流すことにした。


「あっ、霧が晴れていく……」


 前方にうっすらと木々が見える。その手前にはクインの姿も。

 アルは心持ち歩くスピードを早めた。多少足元が見えるようになったから、用心して歩く必要性が下がったのだ。


「――おまたせしました。クインは随分早く進んでいたんですね」

「そうだろうか? 吾はこの結界を通り慣れているからかもしれんな。アルの手を引いてやれば良かった。気が利かなくて、すまぬ……」


 クインに合流した途端、申し訳なさそうに言われてしまう。

 アルも確かにそうすれば良かったと思わなくもなかったが、こうして問題なく着けたのだから、クインを責める必要性はないだろう。


「気にしないでください。それより、早速向かいましょう。できれば、定期的に水を得られるルートがあるといいのですが」


 ブランに載せている荷物の中には、飲料水ももちろん存在している。だが、必要最小限の量にしているので、他で得られた方がいいのだ。


「もちろん、そのことは考えてあるぞ。水の匂いがするのはこっちだ」


 クインが頷き、歩き始める。

 アルはブランと顔を見合わせて、肩をすくめてから後に続いた。まさか、水場を探す手がかりが匂いだとは思っていなかったのだ。


 ブランは当然のような顔をしていたが、アルの思考はクインの姿に惑わされていたのだろう。人型でもクインは魔物の時同様に鼻が利くようだ。


「昨日も見ましたけど、やっぱりこの森は興味深い植生ですね」

「そうなのか? 吾は植物についてはあまり知らぬ。だから、アルが何を面白がっているのかもよく分からんな」


 不思議そうな声のクインに、アルは「あぁ、そうか……」と言葉をこぼす。ブランがチラリと視線を向けてきたので、その頭をポンポンと撫でた。


 その後、脇に生える木や草を指さしてクインに示す。特徴的な葉の形は、図鑑で見たことがあるものだった。


「あの辺の植物は、普通ならもっと温暖で湿潤な地域で育つものなんですよ。この環境には適していないのに、健康そうなのが不思議です」

「ほぅ、そうなのか。そういえば、あれは暑いところで見た気がするな」


 クインがアルの指の先を追って、植物を眺める。あまり興味なさそうにしながらも、記憶を遡って話に付き合ってくれた。

 ブランと話ができない分、クインと会話できるのがありがたい。黙々と探索するのは、あまり慣れていなかった。


「クインは暑いところにも行ったことがあるんですね。南の方ですよね?」

「うむ。精霊の森の近くに、な。暑いから、すぐに立ち去ったが」

「そうなんですね。グリンデル国と近いところですか?」

「大陸から突き出た半島になっているところだ。度々、突然の雨が降るから、鬱陶しいのだ」


 アルは大陸地図を記憶から引っ張り出して確認する。

 確かに、この辺に生えている植物は、クインが言ったところでよく存在しているものだ。


 それにしても、クインの行動範囲の広さに驚く。今いる霧の森の対極に位置する場所にまで足を伸ばしているとは。


「精霊の森って、南に存在しているのに、中はそんな感じがしないですよね」


 ふと思い至った感想をもらすと、クインがチラリと視線を寄越した。


「そんな感じ、とは? 暑さか、湿気か」

「どっちもです」

「……ふむ。吾が知る限りだと、精霊の森の外辺部は、暑くて湿気があるところもあるようだが、中は違うのだな」


 意外な意見にアルは驚いて目を瞬かせた。


「あ、そうなんですか? 僕は直接中に向かったので、外辺部については知らなかったんですけど」

「吾は逆に、中を知らぬからな。てっきりあのような植物が生えているのかと思っていた。精霊たちも暑いところを住処にするとは酔狂なものよと感じていたが。なるほど、中は快適なのか」


 クインが納得したように頷く。よほど精霊の森周辺の環境は、クインに合わなかったらしい。

 アルは苦笑しながら、今度は外から精霊の森に向かってみようと決めた。ここからは遠いが、ブランの脚があれば容易に可能だろう。


「グー……」


 唸り声と共に、腰元を鼻で突かれた。勢い的には、叩かれたくらいの威力があったが。

 これは事前に取り決めた合図にはなかったので、ブランの感情を示しただけだろう。つまり、アルが考えていたことへの抗議。


 なぜ読み取られてしまったのか不思議だが、付き合いの長さによるものだと思えば納得できなくもない。


「……別に、ブランを乗り物扱いするつもりはないんだよ? 信頼している相棒だからね。ただちょっと旅を楽にしたいなぁって思っているだけで」


 アルが言い訳めいた言葉を挙げ連ねると、ブランは呆れた顔で再び激突してきた。懐柔するには、少々足りなかったようである。

 いざとなればブランが頼みを受け入れてくれるだろうと分かっていたので、アルは肩をすくめて受け流し、探索に集中することにした。

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