第373話 ひとまずの成果

 霧の森内での動きを確かめた後は、ようやく探索開始だ。


「ブラン、疲れたのは分かるけど、肩でだらけないで。なんか重い」

「クー……」


 気の抜けたような鳴き声が返ってきて、アルは目を丸くした。

 いつもの偉そうな感じで返事が来ないと、なんだか調子が狂う。もしかして体調が悪いのだろうかと心配にもなる。


 つい探索の足を止めて、肩の上で寝そべるブランを窺うと、『なんだ?』と言いたげな眼差しが返ってきた。鳴き声の弱さに反して、さほど疲れた様子がない。


「腹が減ったようだぞ」

「え、そうなんですか? さっき食べたばかりなのに……」


 クインは鳴き声だけでブランが言いたいことが分かるらしい。ブランは頷きながら尻尾を揺らしている。

 アルの体感では、まだ昼ご飯の時間ではない。見上げたところで太陽は見えず、時を示す魔道具もこの森の中では使えないから正確な時間は分からないが。


「きゃんきゃん」

「――さっき動き回ったからだ、と言っているな。倅よ、食った分に相応しい働きはまだできていないと思うが」

「ヴーッ」

「……なるほど? この森に入る前に、生きた森の分身に力を多めに渡したのか。確かに、ここに入ったら暫く干渉ができなくなるだろうからな」


 ブランとクインの会話に耳を傾け、アルは考えもしなかった事実を知ることになった。


 日頃、ブランが『腹が減った!』と主張するのは、ただ単に本来の大きさの体に対して食べる量が少ないからだと思っていた。その割にはクインはブランほど食べないから不思議だったのだ。


 だが、クインの言葉から、ブランが普段働いていないように見えるときにも力を消費していたことが分かった。

 ブランが管理する生きた森は、ドラゴンから引き継ぐことになった場所だ。アルと旅に出るにあたり、生きた森にはブランの分身を管理主として置いている。

 その分身を維持し、ときに遠隔で操るために、ブランは常時力を使っていて、その力の源が食べ物であるようだ。


「そういえば、旅に出てからのほうが、ご飯をねだる頻度が増えたかも……?」


 記憶を遡り、ポツリと呟く。

 怠惰そうに見えるブランは意外と勤勉だったということか。だが、ブランはただ力を送っていただけで、さほど働いていなかった可能性が高いとアルは睨んでいる。


 なにはともあれ、ブランの空腹の理由は分かったし、それが仕方のないことであるのは確かだ。それならば、お腹を空かせたまま放置するのは可哀想だろう。


「――ブラン、焼き菓子食べる?」

「きゃん!」


 クインと話していたブランに声を掛け、バッグから焼き菓子が大量に入った包みを取り出す。途端に、ブランが包みに跳びつき奪って肩に戻った。


 その電光石火の勢いに、アルは目をパチパチと瞬かせて驚いた後、大きくため息をつく。

 我が物顔で焼き菓子を貪り食う姿にはまったく可愛げがない。可哀想だと思ったことが間違いな気がしてきた。


「……倅に、そのような甘い態度を取り続けるのは良くないと思うぞ? 際限なくねだって来かねない。ブランの食い意地の強さは、魔物で一番と言っても過言ではないのだから」

「分かっているんですけどね……。なぜか甘い対応をしちゃうんです」


 ブランの頭を撫でながら、アルはクインの言葉に肩をすくめた。

 なぜか、と言いつつも答えは分かっている。アルにとってブランは、いちばん大切な仲間で、親友で、家族で――一生を共にすると決めている相棒だからだ。


 ひもじい思いがつらいことだとアルは幼少の経験で知っている。ブランが食べ物で喜び、それを見ることでアル自身も嬉しくなるのだと分かっている。

 基本的に二人だけで完結した関係だからこそ、多少甘やかしたところで問題がないことも理解していた。


「……アルとブランがそれで納得しているならば、吾はこれ以上何も言わぬが」

「甘やかしすぎているときは、注意してくれると嬉しいです」

「そうか。頭に留めておこう」

「きゃんきゃん!」


 苦笑しながらも頷いたクインに、ブランが抗議するように鳴く。だが、アルもクインもその声を聞かなかったふりをした。

 ブランのことだから、『甘やかされてなんていない』とか『注意する必要はない』とか言っているのだろう。ブランは自分に甘い。


「さて、結界の観察をするのはどこでしましょうか」


 再び歩き始めながら周囲を見渡す。霧の森に入って暫く経ったが、景色はさほど変わらない。


「そうだな……。とりあえず、新たな動力源を使った鑑定道具が使えるか試すためにも、そこらへんで観察を始めてもいいのではないか?」


 クインが左前方を指す。そこにはこれまでと変わらず白い霧のような結界が存在していた。

 この森に入ったときに気づいたが、結界が濃い霧のような状態になっているだけで、森自体に霧は存在していない。霧を通り抜けた感覚を考えると、結界の厚さは五メートルほどだろうか。

 それほどの厚さの霧の結界を森の周囲に張り巡らせていると考えると、あまりの途方もない規模に目眩がしそうだ。使われている魔力量はいったいどれほどだろう。


「そこを選んだ理由はあるんですか?」


 クインが指した方へ近づきながら、アルは首を傾げる。

 実はこの森に入ってすぐの場所で実験を開始しようとしたところ、クインに止められたのだ。「あまり場所が良くない」との言葉に疑問を覚えつつも従い、アルは実験場所を探し歩いていたのである。


「うむ…………勘だ」

「え? 勘だけ、ですか……?」

「……クー」


 ぽかんと口を開ける。ブランも焼き菓子を食べるのを中断し、呆れた様子でクインに視線を向けていた。


「そうだな。だが、勘は捨てたものではないぞ? 吾は何度となくこの森を訪れているのだ。ここが良いという場所を提示するくらいはできる」

「理由は分からなくても?」

「勘だ」


 言葉を繰り返された。

 アルは少し呆れてしまいながらも、心の隅で少し納得する。というのも、魔物の勘の鋭さというのをアルはブランを通して知っているのだ。クインがここまで言うのなら、重視すべきだろう。


「では、ここで実験を始めますね」

「吾らは離れていた方がいいのか?」

「いえ、別にどこにいてもいいですよ。魔道具との間に立たなければ」


 頷いたクインが片手でブランの首根っこを掴み離れる。ぶらーんと垂れるブランの手の先で、焼き菓子の包みが揺れた。何があっても食べ物を手放さない執念を感じる。


 数歩離れたところから観察してくる視線を感じながら、アルは脇に抱えていた包みを開く。

 霧の森の中ではアイテムバッグも使えない可能性があったため、別で持ち込んでいたのだ。実際、アイテムバッグは開いても何も取り出せない状態だったので、アルの判断が正しかったと分かる。


「これをこうして――」


 変質魔力の魔石をセットした鑑定道具を地面にセットする。ドキドキしながらスイッチを入れてみると、ふわりと一筋の光が結界の方へ差した。


「動いた!」

「そうだな。まずは第一段階クリアということか。本当に変質魔力ならば使えるとは……変質魔力を生み出そうと考えることすら、ヒロフミがいなければできなかっただろうから、この結界を創り出した者も予想外の事態なのかもしれぬな」

「そうですね。なにはともあれ、ヒロフミさんのおかげです」


 アルはニコニコと微笑みながら、鑑定道具に繋がれた魔軽銀に視線を落とす。そこに少しずつ文字が浮かび上がっていった。


「――【遮断の結界。内部では魔力操作が封印される。外部からの魔力の影響を受けない。結界維持装置は結界の中心部に設置されている】……らしいですね」

「ほう……予想以上に情報が得られたな」


 クインが驚いた表情で呟く。ほとんど鑑定前から分かっていた情報とはいえ、こうして示されるとアルも嬉しい。


「この結界について詳しく知るには、結界維持装置を調べる必要がありそうですね」

「うむ。中心部だな。案内は任せろ」


 頼りがいのあるクインの返事に、アルはにこりと笑って頷いた。

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