第371話 転移塔を形作るもの
翌日の朝。
ゆっくり眠って実験の疲れを癒やしたアルは、転移塔近くに置いた転移の印を目指して、転移魔法を発動した。肩の上にはブラン、繋いだ手の先にはクインがいる。
パッと景色が変わるのと同時に、乾いた風が砂を巻き込んで吹きかけてくる。
何かに阻まれることもなく辿り着けたが、森との空気の違いを強く感じることになった。この街は、なぜこれほどまでに乾燥した土地なのか。
『母は転移塔をみつけた後、どうしたのだったか』
「中に入ろうとしたが、無理なようだったな」
クインが前日の行動を繰り返すように、転移塔周囲の魔力を大量の水に変換して消費させ、現れた転移塔に近づく。
アルがいるからか、さすがに火の魔法は使わなかったようだ。周囲に水が撒かれて、乾いた風が少し改善されたのもありがたい。
「あ、そこから駄目なのか」
『うぅむ。塔の周囲五メートルほどか』
クインの足が壁に阻まれるようにして止まる。そのまま宙に手を翳して、転移塔の周囲をぐるりと歩いていった。円形に物理結界が敷かれているようだ。
『あ、見えなくなったぞ』
「代わりにクインの姿が見えるね」
クインが転移塔の裏側に回りかけた時に、認識阻害の結界らしきものが復活したようだ。転移塔が姿を消し、透過するようにクインの姿が見える。
「クインと同じでいいかな」
呟きながら、アルは水魔法を展開した。転移塔周囲の魔力を使って、メイズ国の街上空に雨をもたらす。十分ほど持続するよう魔法を組んでみた。これで転移塔の観察は捗るはずだ。
『お、風がいい具合に湿って、ちょうどいいな』
「そうだね。砂でザラザラになるの、結構不快だったし」
塔の周囲を辿っていたクインに合流して、物理結界の調査をする。
まずは鑑定眼。
「――【物理・魔法結界。動力源は中心に置かれている魔石】だって」
『ということは、たくさん攻撃を加えれば、いずれは壊せるということだな?』
アルの報告を聞いて、ブランが目を輝かせる。尻尾を振って、既にやる気に満ち溢れた雰囲気だ。実験で散々壊さないよう気をつけて疲れた鬱憤を、今ここで発散しようとしているのだろう。
「そうかもね?」
『では行ってくるぞ』
小さく首を傾げたアルを気にせず、ブランが駆けていく。クインが呆れた顔でその後姿を見送った。
ブランが結界に尻尾を叩きつけたり、火を吹いたりしているのを見ながら、アルはクインに問い掛ける。
「……いけると思いますか?」
「無理だろうな」
ブランの頑張りを無にするような返事があった。アルの内心の思いと同じである。
そもそも、クインは中に入るのは無理だったと既に言っているのだ。
昨日、転移塔を見つけたクインが、結界を壊そうとしなかったわけがない。その上で駄目だったということは、設置されている魔石がアルたちの想像を超える力を持っていることの証左である。
「でも、これほどの攻撃を耐えられる魔石って、どんな大きさが必要なんだろう……」
誰にともなく呟きながら、アルは眉を顰めて転移塔を凝視した。
魔石は含んだ魔力の量に応じて大きさが変わる。大量の魔力を消費する物理結界を維持し続けるには、途方もない大きさの魔石が必要だろう。あるいは、数でカバーしているのか。小さな魔石でも大量に使えば可能だろう。
「だけど、その魔石を誰が補充しているのか……。周囲の魔力から補充する感じかな。でも、この攻撃速度だと、絶対に補充は間に合わないはずだけど」
昨日のクインに引き続き、今日はブランからの猛攻だ。魔力を空気中から充填する方法を取っていたとしても、回復速度が追いつかないだろう。
考えながら転移塔を眺めていた時、キラリと何かが光っているのに気づいた。
「あれは……?」
「どうした? ……む? あの塔、石造りではなかったのか」
アルの視線の先を追ったクインが、意外そうに呟く。
石を積み上げてできたと思しき転移塔の端が、太陽の光を反射して黒光りしていたのだ。どうやら、黒い鉱石のようなものの外側に、石が貼り付けられているらしい。
その黒く光るものの正体に思い至った瞬間、アルは鋭く息を吸って固まった後に叫んだ。
「っ、ブラン! 攻撃をやめて!」
『な、なんだ……?』
結界に尻尾を打ち付けようとしていた動きがピタリと止まる。驚いた顔で振り向くブランを手招きしながら、アルは転移塔を指した。
「もしかしたら、転移塔自体が魔石でできているのかもしれない」
『は? そんなこと、ありえるのか……?』
足元に駆け戻ってきたブランが、ポカンと口を開ける。アルも正直同じような思いだったが、この可能性を無視することはできなかった。
「あそこの部分、貼り付けられた石が落ちて、黒い光が見えるでしょ? あれ、魔石に見える」
『あー……確かに、そう見えるな……』
ブランが渋い表情で頷いて、地面に座り込む。疲労感が滲んだ顔だ。
クインも「なるほど、そういうことか」と呟いて、苦い表情をしていた。
「さすがに一個の魔石を削って転移塔が造られているとは思わないけど、大量の魔石があの石の中にあると考えていいと思う。それが結界の維持に使われるものだったら、魔力が消費される度に魔石が消失して――」
『いずれ、転移塔自体が崩壊する』
アルの言葉を引き継いで、ブランが結論を告げる。
思わず三人で顔を見合わせてしまった。この結界攻略の糸口が見つからない。
結界の類の最も簡単な壊し方は、ブランがしていたように、攻撃をし続けて魔力を消費させることだ。
それが無理となると、外部から結界に干渉する魔法を行使する必要がある。だが、それは実は非常に高難度の作業だ。
『……アルから見て、あれを攻略するのは可能だと思うか?』
「現状では無理。こういう結界って、一定の方法で通り抜ける手段が用意されているものなんだよね。例えば、僕が普段使っている結界だと、僕自身だけでなくブランも効果対象外に設定して、通り抜け可能になっている」
『そうだな。出入りする度に結界を解除するのは手間だし、安全上も好ましくない』
ブランの横で、クインも頷いて理解を示す。その二人の様子を見ながら、アルは肩をすくめた。
「あれは、トラルースさんの言葉を信じるなら、誰もが使える転移塔だよ。ということは、中に入る手段は用意されているはず。でも、その手段を見つける手がかりを、僕たちは持っていない」
『トラルースは何も言っていなかったな』
「うん。トラルースさん自身もここに来たことはなかったみたいだし、仕方ないよ」
それぞれが思考を巡らせて悩む。
アルが掛けた魔法の効果が切れて、再び転移塔が姿を消しても、いい考えは生まれなかった。
「……手がかりがあるとして、それは街にあると思うか」
クインがポツリと呟く。その言葉につられるように、アルは視線を街に移した。
アルの魔法により湿った石の建物が並ぶ街並み。ところどころが欠け、崩れた様子に、あまり期待を抱けない。
手がかりを用意するとして、転移塔よりも崩壊する危険が高い街中に、そんなものを置いておこうなんて考えるだろうか。そもそもこの転移塔を誰が造ったのかも定かではないが。
『一度、探索してみて損はないだろうが……手がかりの心当たりもなく探したところで、見つかる気がしないな』
「そうだね。結界を通る資格を示すものの形って、なんでもありだから」
アルのように、魔力を識別の手段にしているなら無形である。誰もが転移塔を使えるという情報が確かなら、それはないだろうが。
有形だとしても、決まった形はない。対応する魔法陣が刻まれた魔石なのか、魔道具なのか、あるいはただの宝飾品や武器の類である可能性もある。
「――僕の剣も、ある意味、そういう資格を示すものだしね」
『ああ、精霊の森に入るために用意されたものだな。精霊銀などの特殊鉱石も可能性になるわけか……』
アルとブランの視線が剣に移る。
ノース国で手に入れた精霊銀製の剣は、アルのために鉱石が運ばれ、剣として形作られたものだ。ここに宿っていた妖精は、アルが精霊の森に辿り着いたのを見届けて、今は精霊の王のもとに戻っている。
「とりあえず、それで通れないか試してみるか?」
クインが剣を指し提案するので、アルは肩をすくめて歩き始めた。試す分には構わないが、成功する見込みは低い。
この剣が転移塔でも使えるというなら、精霊の森で何か聞かされていてもおかしくないはずだ。
「……やっぱり無理みたい」
周囲の魔力を再び水に変換して消費させ、現れた転移塔の周囲に広がる結界に触れる。硬質な感触が指先に当たって、すぐに離れた。これ以上無駄に魔力を消費させるのはよくない。
打つ手がなくなってしまい、アルはため息をついてクインたちに合流した。
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