第364話 霧の森とは
全身を洗ってさっぱりした後は、夕ご飯の時間だ。
『飯だ、飯だー!』
水嫌いなブランが、丸洗いされても珍しく上機嫌なのは、毛並みがふわっふわのサラサラに戻ったからだ。入浴中、『もうあの街に行きたくない』とぼやくほど、砂埃にまみれているのは不快だったようである。
アルも同感だったが、行かないわけにはいかないので返事は控えた。とりあえず、さらなるご機嫌取りに、夕ご飯は大量の肉を出すことにする。
メインは
揚げている時から食欲をそそる香りが辺りに漂っていて、腹が鳴る音が響く。ちなみに言うと、その音は三箇所から聞こえた。つまり、アルも例外ではない。
メインに加えて、蒸し森豚のサラダとミソスープ、コメをテーブルに並べたら、夕ご飯の準備は終わり。
いそいそと椅子に座るクインと、テーブルの上で今にもカラアゲの山に顔を突っ込ませようとしているブランを見て、アルも席につく。
「では、いただきます」
『肉ー!』
「……いただこう」
語彙力のない叫び声と共に、ブランが肉にかぶりつく。揚げたてのカラアゲは火傷しそうなほど熱いだろうに、一切気にした様子がない。火を吹くことができるのだから、口の中まで耐熱性があるのだろうか。
クインはブランを横目に眺め、呆れた雰囲気だったが、カラアゲに惹かれているのは同様らしく、いそいそとフォークでカラアゲを突き刺して口に運ぶ。
「……! 美味い」
ほわっとクインの顔が緩む。目尻を下げ、至福の表情だった。それを見ていると、アルも嬉しくなってくる。
『中までしっかりと味が染み込んでいるんだ。旨いだろう』
「そうだな。美味いぞ」
ブランがクインに同意を受けて、嬉しそうに尻尾を振る。作ったのはアルなのだが、何故ブランが誇らしげなのか。
もしかしたら、母親にアルを褒められるのを喜んでいるのかもしれない。そう考えると、遠回しにアルのことを自慢しているように思えて、少し面映ゆい気分になる。
「……たくさんあるから、遠慮なくどうぞ」
文字通り大量に揚げたカラアゲを勧める。といっても、ブランたちにかかれば、一瞬で無くなってしまいかねない量なのだが。作り足すべきだろうかと少し悩む。その場合、下味をつけた肉は使いきってしまったため、別の料理を作ることになるだろう。
「ありがとう。――それで、精霊から聞いた聖域への転移魔法陣の話を聞かせてくれないか」
「ああ、そうですね。たいした情報はありませんが……」
クインはブランほどご飯に執着する性質ではないようだ。味わうようにゆっくりとカラアゲを食べつつ、アルに視線を向ける。その横で巨大なカラアゲの山を見る見る内に切り崩していくブランとは大違いの冷静な態度である。
「――僕が聞いたのは、メイズ国に聖域への転移魔法陣があるということです。転移塔と言われる、遺跡のような姿だと聞いたので、クインが言っていた、先読みの乙女のための転移魔法陣と同じものかと思っていたのですが」
さらりと説明して、カラアゲを口に放り込む。ほどよく熱が逃げ、じゅわりと肉の脂が口内に広がった。ガツンとしたガーリックの味と、奥深いショウユのコクが、肉自体の味とよく合う。カラアゲ一口で、コメを何口も食べられそうだ。
「……そうか。吾は実際にその転移塔らしきものを見ておらぬから、確かなことは言えぬが……。吾が知る、先読みの乙女のための転移魔法陣は、やはり他の者では使えぬものだと思う」
「そうですか。別物ってことでしょうかね」
首を傾げながら考え込む。だが、あまりに手がかりが少なすぎて、結論を出すのは難しかった。
『別に、同じだろうと、別だろうと、どちらでもいいだろう。使えるならば、それでいい』
「身も蓋もないけど、間違ってもないね」
アルは苦笑しながら、ブランの言葉に頷く。ブランが満足げに頷いた。
『それより、母よ。あの霧の森の情報はどれくらい持っているのだ? 我らはあの森を探索すべきか迷っているのだが』
「ふむ? あの森は、結界に囲まれていて、霧が満ちている以外は、さほど普通の森と変わらぬよ。魔物が忌避感を持つのは、森を囲む結界の効果だ」
クインの説明に、アルは「へぇ……」と頷きながら食事を進める。蒸し森豚のサラダはレモン風味のドレッシングでさっぱりと食べられる。カラアゲで油っぽくなっていたから、ちょうどいい口直しだ。
そんな食事の感想はともかく。クインの説明は興味深い。何故そのような普通の森に結界を敷いてあるのかが謎である。そもそも誰がそんな結界を作ったのか。
「地下に生きる者との接触を制限するためかな? でも、そもそもその存在は知られていないわけだし……?」
ブツブツと呟きながら首を傾げる。考えをまとめるには、まだ情報が足りない。
そんなアルの思いを察したように、クインが視線を向ける。
「あぁ……言い忘れていたが、あの森の名は【死した森】だ。吾らが暮らしていた【生きた森】の対極にある存在と思っても構わない」
アルの思考が一瞬止まった。目を見張りクインを無言で見つめる。勢いよくカラアゲを食べていたブランも、口を開けた状態で固まり、クインを横目で窺っていた。
「……それは、どのような意味で、対極にある存在だと?」
「神が創りし生きた森は、生ある者に恵みをもたらすために存在していると聞いたことがある。かつてはドラゴンに管理させてまで、その保全に努めていたのは間違いない」
「そうですね。それは、僕も精霊に聞いたことがあります」
アルが頷くと、クインは説明を続ける。ブランが間抜けに開いていた口を閉ざすついでにカラアゲを放り込み、もぐもぐと頬張った。
「うむ。神の慈悲により、生き物は数を増やしたが、同時に人間の傲慢さが目立つようになった」
「……魔物が誕生した理由ですね」
「そうらしいな。魔物の誕生と同時期に生まれたのが、そこの死した森のようだ」
クインが霧の森がある方を顎で示す。アルは既に暗闇に沈んでいる森の方へ視線を移した。
「……先ほど、普通の森とさほど変わらないと言っていましたが」
「うむ。見た目は霧が満ちている以外は変わらぬ。ただ、植物以外の生きた存在はない。あそこは、植物の保全を行っている場所なのだ」
「植物の保全?」
首を傾げながら、アルはクインに視線を戻した。クインが目を細めて、アルの視線を受け止める。
「さよう。……万が一、人間の愚かさによって世界を壊す必要がある場合に、世界の再生を円滑に行うための保険として生じた森なのだ」
「……世界を壊して再生するために、生き物の情報を除いた世界の基礎を保存している、ということですか」
アルがなんとか理解してまとめると、クインは苦い表情で頷く。「地下に生きる者の話では、そういうことらしい」という言葉が返ってきて、情報源が明らかになった。
『世界を再び創るには、ゼロからよりも、一がある方が楽だということか』
「そうらしいな」
ポツリと呟いたブランが、最後のカラアゲを口に放り込みながら、不愉快そうに尻尾を揺らす。あまり食事に相応しくない会話になってしまった。
「……もしかして、あの森は、魔力減少の影響を受けない?」
いろいろと考えていたアルは、ふと思いついた考えを独り言のように呟く。悪魔族が世界崩壊のために魔力を消失させる技術を使っていることと、死した森が世界再生のために存在しているという話が、やけにリンクする気がした。
「あぁ……言われてみれば。あの森は、外部からの魔力影響を受けないようだ。ある種、この世界と隔絶された空間と言えよう。こちら側が魔力消失により滅びに向かっても、あの森は残ることができるかもしれぬな」
クインが納得した雰囲気で頷く。
どうも思っていた以上に霧の森は世界にとって重大な意味を持っているように思えてならない。アルはじっと考え込んだ。
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