第363話 変化の不思議
メイズ国の都を横切るように、ブランとクインが空を駆ける。足場にする度に壊れていく建物に、ブランは珍しく慎重な足取りだった。
アルはブランの背に乗り、メイズ国を見渡す。
「まったく人気がない。廃墟そのものだね」
『ふん。そんなもの、こうして観察せずとも分かっていることだ』
ブランが不満そうに言う。よほど廃墟を踏んで駆けるのが嫌だったようだ。アルはブランの首筋を軽く叩くように撫でる。
「でも、さっきみたいな、結界に隠された塔が他にもあるかもしれないし」
『……それを言われたら、否定はできんが』
『結界に隠された塔?』
横から視線を感じる。クインが不思議そうに目を瞬かせていた。
「ええ。さっき、僕たちがいたところの近くに、隠蔽された上で結界に囲まれた塔があったんですよ。まだ中を確認できていないのですが、聖域に赴くための転移魔法陣があるのではないかと思っています」
『なんと……。先ほどの話は、そこに繋がるのか。精霊があると言っていたのなら、その可能性は高いな』
クインが僅かに背後を振り返り、考え込むような雰囲気で呟く。
『母よ。その建物、危ないぞ』
『っ……言うのが遅い!』
ブランの冷静な声音が聞こえるのと同時に、クインの体勢が崩れた。駆けるための足場にした建物が崩壊したのだ。
凄まじい音を立てて瓦礫が地上に落ちていく。アルは咄嗟に耳を塞いで目を瞑った。ぶわりと土埃が舞い上がる。ブランが駆け抜けてくれたおかげで、すぐに突破できたとはいえ、髪に砂がまとわりつく感覚は正直不快だ。
『――不覚……』
目を開けると、横にクインの姿が見えた。瓦礫を避けて、他の建物を足場にして追いついてきたようだ。落ち込んでいるというより、悔しそうな表情なのが、ブランと同じタイプの性格だな、と感じさせた。
「もうすぐ森につきますから」
アルは苦笑して、宥めるように告げる。実際、アルたちが野営地として考えていた森は、ブランたちの速度ではすぐに着くような距離にあった。
『……うむ。美味い飯でも食べながら、詳しい話をするとしようか』
「はい。僕も、クインのお話を聞いたいです」
気分を切り換えて告げるクインに同意する。
それから暫くしてブランが降り立ったのは、霧の森から少し離れた森の中だった。木々に遮られて、白い霧の姿は見えない。
「――思っていたより、離れたところにしたんだね」
『あの廃墟の街の近くだと、乾燥した空気と砂埃が鬱陶しい。霧の森の近くだと、落ち着かん』
端的に言われて納得する。ブランは霧の森に忌避感を覚えると言っていたのだ。そんなところで呑気に野営できるはずがない。
アルはとりあえずアイテムバッグから魔物よけの魔道具を取り出す。テントや調理用の魔道具なども設置したところで、バサバサになった髪を触りながら少し考えた。
「……食事より先に、身綺麗にするかな」
『む。……風呂は嫌いだが、今回は致し方ないか』
「吾もそうしたい」
小さな姿に変化したブランが、ごわごわになった毛を舐めて整えようとして、顔をしかめていた。すぐにペッペッと唾を吐き捨てているので、口の中に砂が入り込んでしまったらしい。水嫌いのブランが即座に風呂に同意するくらい、不快感を感じているようだ。
クインは人型に変化して、ブルブルと頭を振った。長い髪がもつれて、よりぐしゃぐしゃになる。そんなことをしても砂埃は落ちない。眉間に皺を寄せ、ため息をついている。
「クインも使うとなると、ちゃんとしたのを使わないとね」
呟きながら、アイテムバッグから魔道具を引っ張り出す。お湯が出てくるものと、湯船代わりになる大きなたらいだ。その魔道具を設置した場所の周囲には、大きな布を張り巡らせる。
『……そこまで手をかけるなら、一度家に戻ればいいのではないか?』
「家?」
呆れた目をするブランと、きょとんと目を瞬かせるクインに視線を向け、アルは肩をすくめた。
「まだ旅は途中だから。家に戻るのは、なんか違う」
『……変なこだわりだが、理解できなくもない』
転移で家まで一瞬なのは分かっているが、それはそれ、これはこれ。緊急時でもないのに、旅気分を放棄する気にはなれない。
理解を示したブランに頷きながら、アルはクインに視線を向ける。
「ドラグーン大公国の近くの魔の森内に、家を作ってあるんですよ。お風呂とか台所とか寝室とか、凄く快適に整えたんです。実は、転移魔法で一瞬で帰れます」
「……そうか。まぁ、帰るかどうかは、アルの好きにすればいいと思う」
クインはアルのこだわりを理解できなかった様子だが、人間の生活にあまり関心がないのかどうでも良さそうだ。それより、まとわりついている砂埃の方が気になっている様子で、声に僅かに苛立ちが滲んでいる。
「はい。先に、クインがお風呂を使ってください。その魔道具のスイッチを押すと、上からお湯が降ってきますから」
「ほーぅ……面白いものを作っているな」
アルが苦笑しながら魔道具の使い方を説明すると、クインが首を傾げつつ即席のお風呂場に入っていく。せっかく張り巡らせた布を開けたままお湯を被ろうとするので、アルは勢いよく閉じた。
元が魔物で、人間の姿はまやかしのようなものだとはいえ、女性の入浴シーンを見るような趣味は持っていない。
「さて。クインが出てくる前に、下ごしらえだけしておこうかな」
調理台に向き合い、食材を並べ始めるアルを、ブランがなんとも言えない眼差しで追う。
『母を、人間のように扱うのは、違うと思うが』
「人間として扱っているわけじゃなくて、ただ単にマナーの話だよ」
『我のことは丸洗いするくせに?』
「ブランを一人で入浴させたら、ろくに洗わないで出てくるでしょ。それに獣の姿かどうかは、結構重要だよ」
大きめに切った
コメを洗って浸水させて、いつでも炊けるように準備したら、下ごしらえは終わり。
『……母が元の姿だったなら、どうしたのだ?』
「大きすぎるから、洗うの大変そうだねー。今のブランくらいのサイズになってくれたら、丸洗いできるかな」
『性別が変わるわけではないのだが……不思議だ』
首を傾げるブランに、アルは苦笑する。人間としての価値観を持っているアルにとって、見た目は気にするべき点だ。人間の姿なのか、魔物の姿なのかは、大きな違いがある。
アルが口を開こうとしたところで、クインが布を掻き分けて出てきた。全身がずぶ濡れだ。
「さっぱりしたぞ」
「……あー。とりあえず、魔物の姿で身震いしてくるか、この布で吹いた後に乾燥用の魔道具を使うか、選んでください」
アルは痛むような気がする頭を押さえながら、クインに布と魔道具を示す。使い方まで教えると、ふんふんと頷いて聞いていたクインが、嬉々とした雰囲気で使い始めた。
「――クインの服って、どういう感じでできているんだろう」
『抜け毛で作っているのではないか?』
「え、もしかして、人型に変わる度に大量に毛が……?」
『禿げてはいないぞ』
何故かじとりとした眼差しでブランに睨まれた。ブランに言われたままで想像すると、アルの言葉は的外れではないと思うのだが。
『――元々の体は大きいのだ。毛の一本もあれば、小さき人の身に合わせた服くらい、容易に作れる』
「へぇ……それって、どんな魔法を使っているんだろう」
ブランの説明に素直に感心して、抑えきれない興味を示すと、ため息が聞こえてきた。
『知らん。そもそも、魔物が使う魔法は感覚に頼ったものだ。人間は使えんだろう』
「……確かに。残念」
心底そう呟きながら、アルはブランを抱き上げて風呂に向かう。『お前の魔法への好奇心は留まるところを知らないな』という呆れた声は聞こえなかったことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます