第362話 隠された先にあるもの

『夕食が優先だ!』

「でも、正体不明のままだと、気持ち悪くない?」


 沈思黙考の末、塔の方へ歩き始めたアルの上着を、ブランが噛んで引き止める。

 その仕草は、あたかもアルの身を心配しているように見えたが、実際は言葉にしている通り、トラブルが起きて夕食を食いっぱぐれることを危惧しているだけだ。


『いいか? あそこに結界があり、隠蔽さえされているというなら、脅威度はそっちの霧の森と変わらんのだぞ? 無計画に飛び込むやつがいるか!』

「でも、あれが目的の遺跡である可能性が高いと思わない? 聖域に行くための遺跡なんだから、あれくらい隠されているのが当然だと思うし」

『だ、だからといって、ほいほい行こうとするな!』


 ブランから叱られて、アルは肩をすくめる。その意見が正しいとは分かっているのだ。ただもう少し近くまで行って、結界について調べたかっただけである。

 だが、ブランはそれさえも拒絶する雰囲気なので、少し不思議だった。


「ちょっと、近づくだけ。ね?」

『駄目だ。……嫌な予感がする』

「嫌な予感?」


 声を低めたブランに、アルは表情を改める。どうやら夕食だけが探索拒否の理由ではなさそうだ。

 それに、ブランの魔物としての警戒センサーに何かが引っかかっているなら、それは把握しておくべきだと思った。


『……うむ。我は、あそこに近づくべきではないと思う』

「それは、霧の森の結界に感じるものとは違う警戒感?」

『う……ん? 似ているような、違うような……』


 ブランが首を傾げて曖昧な答えを返す。アルが強硬に進もうとしないのに安心したようだが、それでも眉間にシワを寄せているところを見るに、警戒感はより募っている雰囲気だ。


「……そう。ブランが言うなら、遠目に観察してから行動を考えようかな」

『うむ、それは問題なかろう』

「正直、ここからだとほとんど解析できないんだけどなぁ。鑑定眼も機能してくれないし」


 ぼやきながら目を凝らす。どこが結界の核になっているかも判断できない。隠蔽用の魔力を散らすのは、短時間なら可能そうだ。


「――よし、とりあえず、魔法で魔力を消耗させてみるか」

『消耗とは、なんだ?』

「空間の魔力の量は、理論的には一定ということになっているけど、一時的な変動は当然存在するんだよ。魔法を使えば、当然使用可能な空間の魔力量が減る。消耗っていうのは、それを利用して、隠蔽用の魔力のリソースを一時的に枯渇させようってこと」

『……ほーん?』


 あまり理解していない感じの返事があった。アルは苦笑しつつ、魔法を発動する。

 とりあえず、霧の森への検証の意味も込めて、風の魔法を使った。塔の周囲に満ちる隠蔽用の魔力を風の性質に転変させ、霧の森へ突風を向ける。


『――おわっ!?』

「おっと……予想以上に……」


 狙い通り多くの魔力を消費して、かまいたちを伴った風が霧の森に向かったのはいいのだが、その影響はアルたちにも及んでしまった。

 風と共に巻き上がった砂埃や小さな石が、アルたちの肌を刺す。顔の大部分を布で覆っていて良かったと、心底安堵した。


『……アル』

「ごめんごめん」


 すっかり土色に染まってしまったブランには、恨めしげな声を向けられたが、アルは目の前の光景に目を凝らしていたため、生返事のような謝罪になった。ブランも視線の先に現れたものに気づき、そちらに意識を奪われていたようで、追及の声は上がらない。


『あれが、塔、か?』

「うん。ブランにも見えたってことは、隠蔽用の魔力は、結界を隠していただけではなくて、視覚も誤魔化していたってことかな。……僕に効いていなかった理由が分からないけど」

『あ、見えなくなったぞ』

「空間の魔力が回復したみたいだからね。すぐに隠蔽を再開できるって、結構凄い魔法が使われている気がする……」


 アルは軽く眉を顰めた。どうにも、メイズ国の文化度とこの塔周辺にかけられた魔法の技術力の高さがつり合っていないように思える。


「――やっぱり、これは聖域への移動手段に、メイズ国とは関係なく造られたものかな」

『鐘を鳴らす用の塔である必要性が分からんが。音がなっては、隠蔽の意味がないだろう』

「……それは、そうだね。となると、メイズ国の人は、この遺跡の存在は知っていた可能性が高いのか。それなら、隠蔽する必要性ってなに……?」


 考えても答えが出ない。

 一応隠蔽を取り払った際に、結界の魔力構造は読み取れたので、それを後で解析してみたら何か答えが見つかるかもしれない。


『ここでウダウダしていてもどうしようもないだろう! そろそろ野営の準備をするぞ』

「……そうだね。ここに転移の印を置いておいて、いつでも来れるように――」


 アルの言葉が途切れた。同時に、ブランが体勢を低くして、霧の森の方に警戒の視線を向ける。

 ざわりと空気が揺れるような、不思議な感覚があった。


「何が……」


 ブランに尋ねようとしたところで、霧の森に白い影があるのが見えて、口をつぐむ。その影は次第に濃くなり、アルたちの方へ近づいてきているように感じられた。

 アルはいつでも回避できるよう、ブランの背に手を掛けて備える。


 ザワザワと風で木の葉が擦れるような音がした後、霧から浮かび上がるように、その姿が見えた。


「――……クイン?」

『何をやっているんだ、こんなところで』


 思わず体中から力が抜ける。ブランも気が抜けた声で、胡乱げに問いかけていた。

 霧の中から現れたのは、人型のクインだったのだ。アルたちを見て目を丸くしたクインは、次いで愉快そうに口元を歪める。


「これはこれは、アルとブランではないか。久しぶり、とも言えぬ再会だが、吾の後を追ってきたのか?」

「一応、そうですね」


 緊張感がない挨拶に、アルは苦笑してしまう。ブランは遠慮なく『驚かせるんじゃない』とぼやきながら、体勢を戻して大きくあくびをしていた。


「何やら森の外部が騒がしいと思うて様子を見に来たのだ。会えて幸いだったな」

「はい。クインは、なぜその森に?」

「ここは特殊な森なのだ。ほれ、前に言っただろう。地下に生きる者らとの連絡を取れる場所の話を」

「あ、もしかして、ここが?」

「さよう。森全体というわけではなく、その場所がある、というだけではあるが」


 クインの説明に納得した。そもそも、クインは情報を集めに、アルたちより一足先に異次元回廊から立ち去っていたのだ。


『ん? では、聖域に至るための遺跡を目指してここに来たわけではないのか』

「何を言う。ここに先読みの乙女のための遺跡はなかろう。広がるのは廃墟の街だけだ」


 ブランとクインが真面目な表情で向かい合い、首を傾げた。

 アルは二人の間で、認識の違いがあることを察する。


「……もしかして、クインが知る、聖域に至るための転移用魔法陣は、やっぱり先読みの乙女専用のものということですか?」

「それ以外にあるのか?」


 クインがきょとんとした表情で返す。

 アルはブランと顔を見合わせて肩をすくめた。トラルースから話を聞いた時に違和感を覚えていたのだが、両者が言っていた遺跡は別物だということだったのだ。


「……精霊のトラルースさんに聞いた話では、聖域に至るための魔法陣がここにあるようなんです。しかも、先読みの乙女以外も使えるようで」

「なんと……それは知らなかった。まさか、このようなところにそんなものがあるとは……。地下のあやつら、隠していたのか……?」


 クインの顔が盛大に顰められている。今すぐ踵を返して地下に生きるものに文句を言いに行きそうになっているのを見て、アルは咄嗟にクインの腕を掴んで引き止めた。


「とりあえず! 一緒にご飯を食べませんか? そろそろ夕食の時間ですし、クインの話を聞かせてください」

「……うむ。アルが望むなら、そうしよう」


 まんざらでもない表情で、クインがアルの頭を撫でる。ついでにブランの頭を撫でて、たいそうご満悦な表情だ。やはり、人型の状態だと感情がありありと伝わってくる。


「というわけだから、ブラン、ひとっ飛びお願いね?」

「ふむ? 倅よ、頼むぞ」

『おい。アルはともかく、母は自力で行け!』


 ブランの鬱憤が吹き出すような声に、楽しげな笑い声が返った。

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