第361話 荒廃した都
白い霧が満ちる空間を横目に駆けること半刻ほど。森を抜けたところで、乾いた地面に下り立ったブランに騎乗しながら、アルは周囲を見渡した。
土色のレンガのような建材で造られた建物が所狭しと並んでいる。多くの建物が風化や侵食によりボロボロと崩れていて、道には建材の欠片が散らばっていた。
「……これは、歩くのも、結構注意がいりそうだね」
『そうだな。とりあえず下りろ。ここからの道は、我のこの大きさは厳しそうだ』
「うん。でも、この街中だと、クインはいなさそうだし、周囲を見て回ったほうが良さそうだね」
ブランから地面にトンと下りる。すぐさま変化したブランが、肩に乗ってきたので、その背を撫でながら探索を始めた。
廃墟と化した古の国メイズの都。
人気がない街並みを見て、アルはクインに会えることへの期待値を下げた。クインの巨体では、この街はあまりに不便すぎる。長居する場所とは思えないのだ。
乾いた風が砂を巻き上げ、吹き付けてくる。アルは目を細めて、アイテムバッグから取り出した手ぬぐいで口元と鼻を覆った。話す度に口の中がジャリジャリする気がしたのだ。
ブランも嫌そうに身震いして、瞬く間にバサバサになった毛並みに顔を顰めている。
『……我の美しい毛並みが――』
「ジャリジャリしてるね。ここまでとは思わなかったなぁ」
『これはひどいぞ。ここが廃墟になった理由が分かった』
「廃墟になった理由は、明確には分かってないんだけどね」
乾燥した気候だけが、国が滅びた原因になったとは思えない。
アルは森と廃墟の街の間を歩きながら、「う〜ん……」と首を傾げる。建物の壊れた感じは、魔物に襲われたからという風にも見えず、謎が深まる。まるで、この街の住人が、ある時一斉に街を放棄してしまったように見えた。
『国が滅びた理由はどうでもいいが、肝心の遺跡はどこにあるのだ? この街自体が遺跡のようなものだが、まさか、それもこのくらい壊れているとか言わないだろうな』
「僕は見たことがないから、なんとも言えないけど」
『万が一壊れていたら、ただの無駄な道のりだったということになるではないか……』
寂れた街並みを見てから、ブランのテンションが如実に下がっている。アルはそれを横目に流し見て、苦笑をこぼした。
「まぁ、その場合は、精霊の森に行って、話を聞いてみればいいし」
『またあやつらのところか』
「マルクトさんが、異世界への転移方法を調べてくれているかもしれないから、いつかは行かなきゃいけないしね」
『それはそうだが……あそこは魔物もいないしつまらん』
拗ねた雰囲気でため息をつくブランの頭を、アルはポンポンと撫でて宥めた。
マルクトは魔法に関する知識が豊富で、アルにとってはとても興味深い相手だ。話すのは楽しいに決まっている。一方で、ブランが精霊との接触に興味がないこともよく理解できた。
「まぁ、とりあえず、この周辺に目的の遺跡があるか確認して、ちょっと街中も見て回ろうかな」
『そっちの森はどうするのだ』
ブランが鼻先で示す。アルは視線を森の方へ向けて、数舜の間答えを迷った。
この街側から見ても、森の姿は上手く捉えられない。魔物が襲ってくる気配すら感じず、謎の空間と言うしかないのだ。
アルはブランと力を合わせれば、たいていの状況は上手く躱すか、あるいは攻略することができると思っている。だが、ここまで事前情報がない場所へ、考えなしに飛び込むのには二の足を踏む。
「……後回し、かな」
結局、答えを出さなかったアルに、ブランはフンッと鼻を鳴らしただけだった。少なくとも、反対はしていないようなので、それでいい。
暫くテクテクと歩いても、景色にはさほど変わり映えがなく、次第に飽きを感じ始めた。ブランは、観察することさえやめて、ブツブツと砂埃に文句を言うばかりだ。
アルも、ここに来たのは間違いだったかなと考えてしまうくらい、あまり良い環境ではないし、求めた手がかりも一向に見つからない。
「……どこで野営するか、考えておいた方がいいかも」
『森の中か?』
「霧が満ちてないところを目指すとなると、戻ることになるよね……」
既に、街以外は濃い霧しか見えない。戻るならば、ブランに騎乗していくのが一番楽なのだが、果たして働いてくれるだろうか。
アルが視線を向けると、ブランは渋々とした様子ながら、頷いてくれた。ブランも廃墟や霧の森で野営はしたくなかったようだ。
「――じゃあ、ついでの街の上も飛んでもらって、観察しようか」
『図々しいな!』
「効率的だと言って」
この街に来たときには、そこまで観察できていなかったのを思い出して、アルはニコリと笑って提案する。ブランの手間が大きく増えるわけではあるまいし、あまり強く拒絶されることはないと踏んでいた。
読みどおり、文句を言いつつも空を駆けるために変化しようとするブランを見て、アルは「ありがとう」と感謝を伝える。
「――今日はよく働いてくれたから、夕食に甘味を……」
『甘味だと! よい心がけだな!』
ブランの尻尾が砂を巻き上げながら、バッサバッサと振られる。それから、咄嗟に顔を背けたアルは、視界にふと気になるものが飛び込んできて、凝視した。
『甘味〜、甘味〜! 今夜は甘いもの天国だ〜』
「変なテンポで歌わないで。――それより、あれ、何かな?」
上機嫌で歌いながら、ブランが『さっさと乗れ』と言うように体を擦りつけてくるので、頭を叩いて興奮を鎮めようとする。ついでに気になったものを指差すと、ブランの動きがピタリと止まった。
『あれ、とはなんだ?』
「あれだよ、あれ。あの、小さめな塔みたいなの。上部に鐘があるから、時報用の建物かも」
『時報……』
「時を知るための魔道具を持たない人のために、街では定刻に鐘がなるんだよ。昼頃に聞いたことなかった?」
『気にしたことがないな』
「そう。一応、魔物暴走の際の、警戒を促す役割もあるんだけど」
アルは説明しながら、塔らしき建物の方へと歩く。
それは街から少し離れたところにポツンとあり、その位置に違和感を覚えて気になったのだ。普通、時報用の鐘は街の中心部に置かれることが多い。その方が誤差なく街全体に音を響かせることができるからだ。
塔の正体が気になってぼんやりと歩いていたアルは、不意に袖をクイッと引かれてたたらを踏む。振り返ると、ブランの細められた目と視線が合った。
「――どうしたの?」
珍しく警戒を露わにしているブランを見て、アルは驚く。
『言っておくが……我には、アルが言う【あれ】とやらが、見えないぞ。この街沿いに、建物はない』
「え……」
思いがけない言葉だった。
アルはブランと塔を交互に眺めて、再び「え……?」と呟く。何度見ても、塔はそこにあり、それが存在しないものだとはとても思えなかった。
「――どういうこと?」
『それは我が聞きたい。疲れて頭がおかしくなったか? 確か、シンキリョーとかいうやつがあっただろう』
「それを言うなら、蜃気楼ね。でも、ここは蜃気楼の発生条件には合わないよ。そもそも、僕に見えて、ブランには見えないという状況は、蜃気楼では説明つかないし」
『では、幻覚か』
なんだか嫌な単語が聞こえて、アルは顔を顰める。だが、ブランと会話することで、少し答えが見えてきた。
「……幻覚というより、一種の結界かも」
『結界?』
目を丸くするブランに頷く。魔力の流れを意識して塔の方を眺めると、そこにうっすらと魔力が集っているのが分かった。
「うん、やっぱり、そうだ。結界用の魔力の外側に、さらにそれを隠蔽するように薄く魔力が張り巡らされている。これは、普通の人では気づかなそう」
『……我が、それに気づかなかった、と?』
ブランが不満そうに唸る。魔物として、そのような脅威を察知できなかったのが悔しいのだろう。
だが、これに気づくのは至難の業だ。ブランが落ち込む必要はない。むしろ、アルが結界の存在を無視して、塔の存在に気づけた方がおかしいのだ。
「……どういうことだろう」
アルはじっと立ち尽くして、これからの行動を思案した。
――――――
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