第360話 駆けた先

 森を旅し続けて五日。慣れてきたブランが速度を上げてくれているので、そろそろ霧の森が見えてきてもおかしくないところまでアルたちは来ていた。

 時折すれ違う冒険者たちの話に耳を済ませたところ、クインがこの方面に来ているのは間違いなさそうだ。後は、今でもここに留まっているかが問題である。


「――ちょっと厳しい気がするな」


 アルは駆けているブランの背に乗り、風を感じながら、ポツリと呟く。

 クインの目撃情報は、どれも古いものばかりだ。メイズ国周辺にクインが興味を惹かれるものがなければ、早々に立ち去っているのが当然である。

 それに、アルを乗せている時でさえ、凄まじい速度で駆けているブランのことを考えると、同じ聖魔狐であるクインはより素早く移動していると考えられる。現時点でアルたちの目的地とは反対側の大陸端にクインがいたとしても驚きではない。


『霧の森の攻略のことか?』

「いや、クインがこの先にいる可能性のこと。……でも、霧の森も謎が多いから、調べるのは一筋縄ではいかなそうだなぁ」

『ふ〜ん? まぁ、そのときはそのときだろう。頑張れ』

「他人事だと思ってない? 頑張るのはブランもだよ」

『霧の森が、魔の森に含まれるかどうかで、我の能力の効果が変わってくるが――』


 不意にブランの言葉が止まる。アルは考えごとをやめて、視線を上げた。すると、進行方向に白く靄がかかった空が見える。


「あ。もしかして、霧の森?」

『そうだな。……思っていたより、規模が大きい』

「それは確かに……」


 駆ける速度を緩めたブランの言葉に、アルは深く頷く。

 霧の森とは、森の一部分に霧が立ち込めているのだと思っていたのだが、実際に見てみるとまったく違った。

 森が広がる視界の端から端まで、真っ白な霧に覆われていて、先が見通せなくなっている。トラルースがわざわざ【霧の森】と表現した理由がよく分かるくらい、森があるのかどうかすら分からない霧の濃さだ。


「――これ、このまま突入するのは、まずくない?」

『まずいかもしれないな。一歩間違えれば、外に出られなくなる』

「ブランの感知能力でも無理そう?」

『……うむ?』


 霧に限界まで近づいたところで、ブランが首を傾げた。アルも、同じように首を傾げて目を眇める。


「なんか、おかしい……」

『霧だというのに、濃淡がないからだろう。まるで、結界で空間が分断されているように、その先から突如白くなって――』


 ブランの言葉が途切れた。同時にアルも気づく。


「……それが、答えじゃない?」

『……そうだな。これは、結界だ。何者かの手が加わっている』


 深く頷いたブランが、面倒くさそうにため息をつく。アルだって同じ気持ちだったが、すぐさま前向きに思考を切り替えて、魔力の流れを調べた。


「うーん……魔力がここに集まっていることは分かる。これは、物理障壁がない結界だから、あまり魔力を必要としていないんだろうけど……この規模は凄いよね」


 分析結果を告げながら、アルは感嘆の息をこぼした。

 結界は魔法等の非物質を拒む性質と、物理攻撃等の物質を拒む性質の二種類に大別される。本来物質的性質を持たない魔力で無理やり物理障壁を作るタイプの結界は、非常に魔力消費量が大きい。精霊であっても、この霧の森の規模を覆うような結界を維持することは不可能だろう。


 だから、ここにある結界がアルたちの侵入を拒めるものではないとすぐに判断できた。だが、結界がどういう機能を持っているか探るには、まだ分析が必要そうだ。


『規模が凄い代わりに、大した作用がないならばいいが……鑑定はできんのか?』

「無理みたい。【濃密な霧を蓄えた結界】としか示されないから」

『見たままではないか、使えん』

「鑑定って、なんでこんなに結果にブレが大きいんだろうねぇ」


 ブランに能力をこき下ろされて、アルは苦笑する。だが、否定する言葉は持たなかった。アルも常々同じように感じていたので。


『鑑定をできる者はあまりいないから、研究が進んでいないんだったか?』

「うん。僕も、この研究は気が進まないな。これ、先天性の要素が大きすぎて、たぶん個人差が合って一般化できないものだと思う」

『ほーん……。面倒くさいが、地道に調べた方がいいか』


 鑑定の能力についての愚痴をやめ、ブランがゆっくりと動き出す。結界に沿って森の浅い方へと。


「そうだね。メイズ国に行くのが、本来の目的だし。ついでに、こっちの結界のことも分析を進めよう」

『ああ。あっちがメイズ国でいいのだな?』

「たぶん? 少なくとも、どっかの国には行き着くでしょ」


 ブランの確認に頷きながら、アルは進行方向に目を凝らした。まだ人里はおろか、森が途切れる地点さえ見えていない。随分と奥を進んできたようだ。


「――クイン、居てくれるかなぁ」

『さぁな。居なければ、勝手に聖域に行くすべを探すしかあるまい。遺跡に転移用の魔法陣のようなものがあるのだろう』

「トラルースさんはそう言ってたね」


 雑談を交わしながら、変化のない森の景色の中を進み続けた。

 暫くして、巨大な石で組んだような建造物が見えて少しホッとするくらい、単調な道のりだった。霧の森の領域から魔物が襲ってくることはなく、これまでの道中で目撃した魔物の気配さえ一切なかったのだから、それはそれで不思議である。


「……もしかして、ここは不干渉地帯?」

『どういう意味だ?』


 メイズ国と思しき場所へ、速度を上げて進んでいたブランが、アルの独り言を聞き咎めて疑問の声を上げる。


「そのまま。こっちの魔の森の魔物は、霧の森の方へ近づかないようにしているんじゃないかなって感じたんだよね」

『……それはそうかもしれんな。我も、少々忌避感がある』

「え?」


 アルはブランの後頭部をまじまじと見つめる。ブランにまで影響があるのだとは思いもしなかったのだ。だが、考えてみれば、ブランも魔物の一種なのだから、不思議はないのかもしれない。


「――そっか。……聞き忘れていたけど、ブランの能力でも霧の向こうは探れないんだよね?」


 ブランは森において感知能力が高まる特性を持っている。魔の森ではその性質も制限されることがあるようだが、それでもアルよりもよほど森の把握能力が優れているのだ。

 そのことを念頭において尋ねると、ブランは不本意と言いたげな雰囲気で頷く。


『……ああ。魔の森と違って、まったく把握できん。それが結界のせいなのか、それとも霧の森と言いつつ森ではないのかは分からんが』

「森ではない……?」


 アルにとっては新しい解釈がもたらされて、目を丸くして驚く。考えてみると、霧の中の光景はまったく見えないのだから、そこに森が広がっていると判断するのは早計だった。精霊であるトラルースが森だと言ったのだから、ある程度は信頼してもいいと思うが。


「――その可能性も考えておこうか。いざ入ってみて、地面がありませんでした、ってなったら救えない」

『何もない空間に落ちるのか。笑えないな』

「魔法が通常通り使えるとも限らないしね」

『……本気で、笑えないな』


 鼻で笑っていたブランの雰囲気が、深刻さを増した。高い能力を持つブランは、状況を楽観視することがよくあるが、今回は危機感を覚えているようだ。それは、魔物の本能が訴える予感なのかもしれない。


「とりあえず、あそこでクインを探してみよう」


 アルは気分を変えるように明るい声を出し、大きな建造物らしきものを指し示す。

 滅びた国の都が、遠くに見えていた。

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