第359話 小さな手がかり
午後はブランの速度調整に付き合っていたら、予想以上に長い距離を進むことができた。それは、アルの魔力操作技能が向上しただけでなく、ブランもアルを快適に乗せられるよう工夫するようになったからだ。
「ブラン、やればできるんだね」
夕方、野営のために下り立ったのは小さな泉の傍だった。
そこで魔物よけの魔道具やテントなどを設置したアルは、夕食を作りながらブランと会話する。
『その言い草はなんだ。我に不可能はないに決まっておろう!』
「でた、根拠のない自信」
『なに!? では、我ができないことを挙げてみろ!』
「料理」
『うぐっ……』
アルの端的な答えで、ブランは一瞬で口籠った。そして、悔しそうに呻き、アルを恨めしげに見上げる。
このやりとりってたぶん何度かしてるよなぁ、と思いつつ、アルは肩をすくめる。自信過剰で懲りない、良く言えばいつでも前向きでブレないのが、ブランの短所であり長所だ。
「さて、後は煮込むだけ――」
夕食の準備をあらかた済ませ、料理ができあがるまでの待ち時間に、アイテムバッグの中を探る。取り出したのは、転移箱と本、それと紙束だ。
転移箱の中を確認すると、一通の手紙が届いていた。
「あ、レイさんから返事が来てた」
『ほー。あやつ、生きていたか』
「縁起でもないこと言わないでよ」
『だが、昼間に聞いた噂話の感じだと、結構帝国の連中に睨まれるようなことをしている雰囲気だったぞ? 命が危険にさらされていてもおかしくない』
ブランにしては、世情をよく理解している言葉だった。アルは沈黙し、同意するしかない。にわかに不安が募ったので、慌てて手紙を開封する。
手紙に書かれている内容はさほど多くなかった。アルが送ったのが挨拶程度だったのだから、それも当然かもしれないが。
「……レイさん、元気みたいだよ。今はノース国内を転々としているみたい。なんか、僕の方が心配されちゃってる。『必要であれば、手を貸すから遠慮なく言ってくれ』だって」
『相変わらず面倒見がいいヤツだ。アルとは正反対だな』
「それは否定しないけど。僕だって、親しい人が困っていると知ったら、それなりに手を貸すよ?」
アルを軽く揶揄するようなブランの言葉に、苦笑して返す。間違ってはいないと思うし、ブランもアルを貶すつもりで言ったわけではないのが分かっているから、怒ることではない。
ブランはゆらりと尻尾を揺らし、目を細めて笑う。
『その親しい人、という範囲が狭いだけだな。我はそのようなアルの生き方が好きだぞ』
「どういう意味?」
『無闇矢鱈に同情や偽善で問題に関わろうとする軽率な行動を取らない生き方は、我が理解しやすいということだ』
「……なるほど?」
弱肉強食が常である魔物のブランには、人間社会の営み全般が非常に煩わしいものに思えるようだ。森での悠々自適な暮らしを好んでいるのは、アルもなんとなく察している。
「――今はアカツキさんたちのことがあるし、急ぐ旅になっているけど、いろいろ片付いたらまたのんびりしたいね」
『そう言いつつ、アルはやれ魔道具だ、やれ魔法研究だ、と忙しくするんだろう?』
「それはそれ、これはこれ」
ジト目で放たれた言葉を、アルは聞き流す。もう耳にタコができるくらい聞いているし、ブランも本気で咎めるつもりはない。ただのじゃれ合いだ。
レイの手紙を仕舞ったアルは、ヒロフミたちからの連絡の有無も確認した。
「んー……ヒロフミさんたちからの返事はまだみたい」
『外との時差を軽減させているとはいえ、すんなりと連絡はできないものなのだな』
「そうだね。まあ、空間が隔絶されているんだから、これは仕方ないよ」
肩をすくめたアルは、転移箱と一緒に取り出していた紙束をめくる。これは、異次元回廊内の白い空間に遺されていた、創世神が書いたと思われる文章の解読結果だ。未解読分はヒロフミたちに託して来たが、アルの方でもきちんと読み解きたいと思って、一部手元に残した。
「……つながりがない文章なんだよなぁ」
文章に目を通しながら、アルはポツリと呟く。未解読分に必要な情報があるのかもしれないが、考察を進めるのが難しいくらい、情報が断片的で困ってしまう。
『なんだ。そっちまで、手を出すのか。のんびり休んだらどうだ?』
「中途半端な状態は居心地が悪い気がするんだよ」
『ふん……せっかく良い風が流れているというのに』
紙束から目を離さないアルに、ブランが不満そうにボソリと呟く。テーブルの上で寝転び、すっかり寛いだ雰囲気だ。
アルは言われてみて気づいたが、確かに涼しい風が吹いていて気持ちがいいと感じる。
「この辺、ドラグーン大公国周辺とはちょっと気候が違う?」
『知らん。だが、魔力の質が少し違っている気がするな』
辺りを窺うように眺めたアルを見て、ブランが首を傾げながら鼻を上げる。そしてヒクヒクと震わせると、納得した様子で頷いた。
『――うむ。やはり違う。おそらく、ここはドラゴンの管理領域ではないのだろうな』
「リアム様の? そういえば、リアム様って、ドラグーン大公国周辺の魔の森の管理主だったっけ……。ここはその範囲から外れているのか」
『ああ。忌々しい気配がしないからな』
鼻面にシワを寄せて、ブランが唸るように言う。アルは目を丸くしてその姿を見つめた。
「ブラン、ずっとそう感じてたの? あの家でも?」
『無視できる程度だ。家の中では特に、あまりあやつの気配はしていなかった』
「……そう。リアム様が配慮してくれていたのかな?」
『ふん』
そっぽを向くブランに、アルは苦笑する。おそらくアルの考えは間違っていないのだろう。ブランは性質上ドラゴンを許容できないから、素直にリアムの配慮を認めることはできないようだが。
「それにしても、魔力の質か……あまり、劇的な違いはなさそうだけど――」
アルも空気中の魔力に意識を凝らすが、ブランほど明確に判断はできなかった。
ブランは匂いを嗅ぐように魔力の違いを察するが、どのように感じ取っているのか少し気になる。だが、残念ながら、聞いたところでアルが理解できるような返答はないだろう。
ブランは感覚を言葉にするのが不得意だ。魔物なのだから、人間の言葉を思念として操れるだけでも凄いことで、細かい表現が拙いことは仕方がない。
「ん?」
『どうした?』
思考を巡らせながら、紙束の文章を眺めていたアルは、ふと気になる言葉が視界に飛び込んできて、思わず声をもらした。
不思議そうな顔で体を起こしたブランに、文章を指して示す。
「ここ。【白き靄は入口を隠す】って書いてある」
『白き靄? だから何だ』
「これ、僕たちが向かっている、メイズ国の近くにある霧の森のことじゃない?」
『……んん? そうかもしれんが……霧なんて、結構どこにでも出るものではないか?』
「そうだけど、なんか引っかかるんだよね……」
ブランに否定されるも、アルは納得できないでいた。その感情を顔にそのまま表すと、ブランがパシッと尻尾をテーブルに打ち付ける。
『気になるならば調べれば良かろう。どうせ、メイズ国の遺跡を調べるのだ。森の方まで足を伸ばしても、なんの問題もない』
「そうだね、そうする。クインが捕まったら、このことも聞くとして……他にも関連する文章がないか見直さないと」
アルの意思を尊重してくれるブランの言葉に頷き微笑む。そして、気合いを入れて文章を精査し直そうとしたところで、ブランが不意に『ああっ!?』と声を上げたので驚いた。
「どうしたの?」
『鍋! 吹きこぼれているぞ!』
「え、あっ! まずい――」
アルは火にかけ放置していた鍋を見て、慌てて駆け寄った。会話と作業に集中して、すっかり確認を忘れていた。
幸い、吹きこぼれてすぐだったので、被害は最小限で済んだのだが、ブランにはジロリと睨まれてしまう。
『アル、今後、調理の最中によそ事をするのはやめた方がいいのではないか?』
「ブランは暇なんだから、鍋の監視くらいしてくれていたらいいと思う」
『む……』
暫く見つめ合い、責任を押し付け合う。そして、先に目を逸らしたのはブランだった。
『――甘味で手を打とう』
「さすがにその要求は受け入れないよ? ブランも働いて」
『日中、運んでやっているではないか!』
「それも結構楽しんでやっているよね?」
言葉の応酬の末、アルが作業中は鍋や火の管理をブランが担うことで話がついた。甘味という餌もなしに認めさせられたのは、結構な快挙である。
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