第353話 想定外の事態

 新しい魔道具を試し、その成果に満足したことでぐっすり眠っていたアルは、翌朝すごい勢いで叩き起こされた。


『アル! 起きろ、アル! なんかおかしいぞ!?』

「ん……な、に……?」


 薄目を開けた途端に、ブランの顔が視界いっぱいに見えた。焦点が合わないくらい近くて、アルはぎょっと目を見開く。おかげで眠気が覚めた。


『寝ぼけている場合かっ。家がおかしなことになっているんだぞ!?』

「……おかしなこと?」


 ブランの顔を押しやりながら、ベッドの上で体を起こす。部屋を見渡してみるも、夜中に眠りについた時と比べても異変はないように思える。


「――どこが?」


 真剣な顔でブランを見下ろすと、半目でじとりと睨まれた。


『よーく見ろ。――空気がおかしいだろう?』

「空気……?」


 改めて周囲を見渡す。今度は目の焦点をぼかすようにして――。

 感覚が解放されるように視界が開けると、空気中に様々な色が漂っているのが見えた。魔力眼で見た世界の姿だ。

 そして、ブランが『おかしい』と言ったものの正体に気づく。清らかすぎる魔力だ。


 普段、魔の森に漂う魔力は、濁っている状態や澄んだ状態が混在している。魔の森が魔力の浄化作用を持つという役割上、浄化される前と後の魔力が空気中に存在しているからだ。


 魔の森内に築いたアルの家も例外ではなく、昨夜までは濁った魔力も存在していた。


「……あっ。これ、もしかして、空間管理魔道具の影響かも」

『空間管理魔道具?』


 きょとんとするブランを抱えてベッドを下り、昨夜研究に励んだ部屋まで向かう。

 部屋の中には、作動させた魔道具があった。近づくと、より澄んだ空気が漂っているのが分かる。

 その空気に清々しさを感じながら、アルはブランを魔道具の横に下ろした。


「これが、昨日作っていた魔道具だよ」

『ほーん……?』


 まったく理解していない雰囲気で頷くブランに、アルは苦笑する。

 ブランは魔道具を手でツンツンとつつき、鼻先を近づけてにおいを嗅ぐような仕草をする。そんなことで魔道具を理解することはできないと、アルは思うのだが。


「……指定した空間の中を浄化する機能があるんだ。ヒロフミさんにもらった、このまじない指南書の、このページにある理論をもとにしていて――」


 つらつらと説明してみるも、ブランはゆらりと尻尾を揺らすだけでほぼ無反応だ。ちゃんと聞いているのかと、アルが疑問に思ってきた頃にようやく、『……ほう』という吐息のような相槌が返ってくる。


「ブラン?」

『それで、まとめると、どういうことなのだ?』

「……それはないでしょ……」


 長々と説明した時間が、一瞬で無駄になった。アルは思わず肩を落として脱力する。それを見たブランが、首を傾げて不思議そうにしているのが恨めしい。

 アルだって、最初から分かってはいたのだ。ブランが魔道具の原理になんて興味がないことを。それでも、聞く努力くらいはしてくれると思っていた。


『腹が減った。この空気の変化が、アルの魔道具による変化で、異常ではないというなら、我はどうでもいい。朝飯にしよう』

「危機管理として、それもどうなの?」


 あまりにもアル任せなブランの判断に、アルは渋面をつくる。だが、ブランは一切気にした様子を見せず、むしろそれが当然と言わんばかりに『ヤレヤレ』と首を振った。


『アルを信頼していると受け取ればいいだろう。間違いではないのだから』

「……正確に言うと?」

『説明されたところで理解できるとも思えんし、今すぐ害があるようにも感じられないから、問題は後回しにして飯を食いたい』

「飯……」


 ブランの言い様は、魔物としての直感を重視していると言えば聞こえが良いが、その実態は、ただ空腹に負けているだけに思えてならない。ここまでくると、アルを叩き起こしたのも、朝食をねだるためではないかと疑ってしまう。


「――はぁ……。分かったよ。朝食ね」


 アルはため息をつきながら踵を返した。少なくとも、魔道具に異常は発生していないと確認できたから、この部屋に留まる必要性はない。

 ブランをテーブルの上に置きっぱなしにしたが、勝手に下りてついてきた。


『ああ。だが、一応聞いておきたい。部屋を掃除する魔道具を作った結果、空間の魔力を浄化する機能ができたのは、狙ってのことか?』


 珍しく、真剣な声音でブランが尋ねてくる。それをアルは横目で見下ろして、僅かに首を傾げた。

 先程までまったくやる気のない態度だったのに、やけに深刻そうな雰囲気である。何が気になっているのか分からないが、これにはアルも真摯に答える必要性を感じた。


「ううん。むしろ、本来はあり得ない。だって、異次元回廊内でのサクラさんのことを思い出してよ。アカツキさんがヒロフミさんに託されたまじないを使うまで、サクラさんは異次元回廊内で生じた魔力の穢れの影響を受けていたんだよ? 異次元回廊の環境管理をまじないに落とし込んだ理論を使っているのに、魔力まで浄化されているというのは、違和感があるでしょ」


 アルの言葉に、足元をトコトコと歩いていたブランが思案げに視線を彷徨わせる。


『……それはどうだろう。ヒロフミは、魔力を浄化する術さえも得ていた。ならば、異次元回廊の環境管理を模したまじないに、その術を組み込んでいてもおかしくないのではないか』


 アルの足が止まる。数歩遅れてブランも立ち止まり、不思議そうにアルを振り返った。


「言われてみれば、そうだね。理論の説明にそんな記述がなかったから、てっきりヒロフミさんも想定外のことなのかと思ったけど……。いや、僕が魔法陣に作り変えた際に、浄化機能が強まって、ヒロフミさんの想定以上の効果が出た可能性も……?」


 呟いて思考を整理したところで答えは出ないし、ヒロフミに答えを尋ねることもできない。


「――いや、連絡手段はあるけど、こんなことで使ってもいいもの?」


 アルは渡されていた連絡手段を手に、首を傾げる。文章を送ることができる道具だが、異次元回廊との時差がある以上、いつ返信がくるかは定かではない。


『連絡したければすればいいだろう。問題ないという報告だけでも、あれらは喜ぶに決まっているのだからな。――それより、飯!』


 いつの間にかアルの背後に戻っていたブランが、足をグイグイと押してくる。その力に自然と歩みを再開すると、ブランはフンッと息を吐いて、居間に駆けていった。一足先に向かって、アルが朝食を準備している間、うたた寝を満喫するつもりに違いない。


「まったく、ご飯の催促ばっかり……」


 アルは呆れてため息をつきながらも、ブランの言葉に一理あると認め、後で連絡を取ることに決めた。


 調理場に着いてすぐに朝食の用意を始めたアルは、忘れていた疑問を思い出し、ブランに視線を向ける。うつらうつらとしながら、窓辺で朝の澄んだ空気を満喫中のようだが、完全に寝ているわけではないので声を掛けても無視はされないだろう。


「――ブラン。なんで、浄化機能が狙ってのものかなんて聞いたの?」

『ん……? ああ……』


 寝ぼけたような返事の後、ブランが頭を持ち上げる。じとりと半目で見つめられたが、アルは咎められるような心当たりがないので、きょとんと首を傾げた。


『――魔の森の魔力浄化機能を高めるような技術、誰かに知られたら面倒くさいことになるぞ』

「誰かに……?」

『精霊どもは、わざわざアルを頼らんだろう。それくらい、やろうと思えば自力でできる。だが、ここの管理主はどうだ? 穢れた魔力が世界的に増大している現状で、魔の森の負担は増している。つまり、魔の森は確実に拡大を続けていて、それは魔の森の管理主も無視できない事態だと思わないか? あの、人間贔屓のヤツは特に』


 ブランが言わんとしていることを、アルは一瞬で理解して、少し頬を引き攣らせる。


「え、つまり、リアム様が、あの魔道具を欲しがる? ……よくよく考えると、他の人に知られたら、まずい気も……?」

『アルが人間の救世主と祭り上げられたくないなら、早急にあの機能を制限するよう、調整すべきだな。下手したら、精霊の領分に土足で踏み込んだようなものだと、トラルースあたりから叱られかねないぞ』

「それは、気づいた時に言って!」


 アルは調理道具を投げ出して、研究室となっている部屋に駆け込んだ。

 リアムが突然訪問してきていないから、ブランの危惧は考えすぎかもしれない。だが、可能性がゼロではない以上、対策しておくに越したことはないだろう。


『飯は!?』


 驚愕の声で訴えられても、今のアルには、それに答える余裕はなかった。

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