第352話 旅の前に必要なこと
トラルースがアルを見つめて首を傾げる。
「そもそも、アルは聖域への入り方を知っているのか?」
「あ、その問題がありました。というか、正確な位置も知りませんね」
「だろうな。俺でさえ知らねぇから」
アルが自分のうっかりを恥じると、トラルースが軽く頷いた。
「――魔物がそれを知ってる方が、本来おかしいことだ」
「え……でも、聖域の柱となった精霊と親しくて、というような話を聞きましたけど」
トラルースがクインに対して懐疑的な雰囲気だったので、アルは庇うように告げる。それに対して、トラルースは「ふ~ん……?」という返事だった。
「――まぁいい。だが、世界中に聖域へ至るための転移塔があると聞くから、アルはそれを探すか、クインを頼るかしか、聖域へ行く手段はねぇはずだ」
「転移塔というのは、先読みの乙女だけが使える転移魔法陣がある場所では?」
「……だけ? いや、あそこは、資格があれば誰にでも使えるはずだ。先読みの乙女用のものもあるかもしれねぇが」
トラルースは不思議そうな表情だった。クインから聞いた情報とは少し異なるが、聖域に至るための手段があるならば喜ばしいことである。
「転移塔は、古い遺跡のようなもので間違いないですか?」
「そうだな。それは合っている」
アルはなるほど、と頷き、詳しい場所を尋ねた。
「――転移塔がある場所で、一番分かりやすいのは、メイズ国だ」
「あ、それ、クインが向かった方ですね」
「そういうこと」
ようやく、トラルースがクインを追えと言った意味が分かった。
そこでクインに会えれば良し。会えなくても、転移塔を使って先に聖域に行ってみればいいということだ。
答えが出てみればスッキリする。アルはブランに微笑みかけた。
「じゃあ、明日から、メイズ国を目指そうか」
『……それは、いいが』
なぜだか、ブランは複雑な表情である。
『――そこ、とんでもなく遠いんじゃないか?』
察しがいい。
アルは頷き、ブランの肩をポンと叩く。
「うん、だから、頼りにしてるよ、ブラン」
『…………やっぱりかぁあー! 我は人間を運ぶ畜生ではないぞ!』
「移動の足になってくれるって、言ってたじゃない」
今さらの嘆きを、アルは軽く受け流した。
メイズ国。滅びた古都とはどんな場所であるか、楽しみである。
『俺っち、ついていってやろうか?』
「いらないです」
『ただの邪魔だ』
「アルたちの負担になるようなら、本気でマルクトに送り返すぞ」
暫く黙って話を聞いていた妖精が、嬉々とした表情で口を挟んだが、総否定を受けて、つまらなそうにそっぽを向いた。
◇◆◇
トラルースにお暇を告げ、アルたちは旅に出る前に自分たちの家に帰ってきた。
再び長期で留守にするわけだが、家を整えておくに越したことはない。それに、魔の森に張られているという結界も観察したかった。
「……すごいなぁ」
家の庭から、上空を見上げる。妖精やアカツキのように、雲を観察しているわけではない。マルクトの結界を目視で確認しているのだ。
結界を観察するのは難しい。魔力の流れが普通とは異なった膜上になっているだけで、目立つものではないからだ。
だから、じっと目を凝らしても、なんとなく違和感があるという風にしか感じられない。
「これは、帝国の人たちも、どうして魔の森に入れないのかと、困惑するだけかな。ああ、もしかしたら、フォリオさんが張っていた結界みたいに、結界範囲を飛び越えてしまう機能があるのかも? でも、そうなると――」
ぶつぶつと呟きながら考察を繰り返す。この時間が、アルにとっては何よりも楽しい。
『おい! 掃除を放り出して何をしてるんだ! 綺麗にすると言ったのはアルだろう!』
ブランが家の窓から顔を出す。白い毛が、無惨に灰色に染まっていた。家にたまった埃のせいだ。
アルの体感とは異なり、異次元回廊の外では、長い時間が過ぎ去っていたようである。つまり、家の中は、埃まみれ。
「……前は、アカツキさんのおかげで、楽ができたんだけどなぁ」
アルはアカツキのダンジョン能力の便利さを再確認して、肩を落とした。アカツキと共に過ごして慣れていたので、久々の不便さに少しうんざりしてしまう。
『アル!』
再度呼び掛けられて、アルは家の中に戻った。気分転換はこれまでのようだ。
「……よし、決めた。アカツキさんに頼らず、家の管理ができるように、魔道具を作ろう」
モップを持って廊下を拭きながら呟く。
家中の埃を落としたところで、空腹を訴えるブランには作り置きのブラウンシチューとパンを渡す。ブラウンシチューには大量の肉を入れているから、ブランから不満はあがらない。
そして、アルはというと、部屋に籠って魔道具作成の時間である。掃除で体力を消耗したとはいえ、お菓子をたくさん食べたので、お腹は減っていなかった。
アルの何倍も食べているくせに、空腹を訴えるブランの方がおかしいのである。
「――ここで、こうして、こうで……」
手元には一冊の本。開いたページに描かれているのは、魔法陣に似た図だ。だが、アルが普段使う魔法陣とは様式が異なる。
これは、ヒロフミからもらった、
ただし、
「なるほどねぇ……これが、こうなるのか」
本を眺めてたまたま見つけたのは、空間洗浄の
現在アルは、この
「ヒロフミさんたちは、
独り言をするのは、アルが思考するときの癖だ。研究は一人でするが、魔法陣開発の時は、こうしてしゃべって思考を整理する。
「魔法陣も、紙に書いて魔力を流せば一応使えるけど、効果が限定されるもんなぁ」
魔物解体用の魔道具を作ったときのように、魔法陣の試作として紙に書いて発動することはあるが、それは常用できない。紙に触れているものにしか、効果を示すことができないからだ。
「あ、でも、呪いようの、特殊な紙が必要なのか」
ぺらりとめくった先に書かれていた記述に、アルはふんふんと頷いて納得する。どんな技術にも、一長一短があるものだ。
『アル、どんな調子だ? 明日出発できそうなのか?』
ご飯を食べ終えたのか、ブランがひょっこりと顔を出す。家中の掃除でブランも苦労していたから、珍しくアルの魔道具研究に文句を言う気配がない。
「うん、できそう。ヒロフミさんがくれた本にね、便利なのがあったんだ。今はこれを分析して、魔法陣へと最適化の最中」
『……なんだ、よく分からんが、できそうなら良かった』
首を傾げるブランに苦笑して、アルは紙に向き直る。まだ調整が終わっていないが、予想外に良い調子で進んでいる。ヒロフミが丁寧に本に解説をつけていてくれたからだ。
古代魔法文明の立役者は伊達じゃない。魔法が使えずとも、そちらの方面への理解が深いから、この本を読み込む上で、アルが欲しいと思う解説が当たり前のように記されている。
「――よし、これでいいかも!」
アルが作業をやめたのは、夜も更けた頃だった。
集中していて気づかなかったが、ブランが足元で眠っている。うっかり踏んづけそうになったアルは、ぎょっとした。
「……寝床で寝ればいいのに」
敷物や布団の類いは、アイテムバッグに仕舞ってから出立していた。だから、取り出すだけで、清潔なままの寝床が、既に寝室に据えられている。
それなのに、なぜブランは床で寝ているのか。
「一人寝が寂しかったのかな?」
くぅくぅと寝息を立てているブランを見下ろし、アルはそっと微笑んだ。
普段偉そうなことを言って、アルを振り回すこともあるブランだが、実は結構寂しがりな性格である。長いときを独りで生きてきた反動なのかもしれないが、アルと離れて行動することを、あまり好まない。
「まぁ、たまに一人で散歩するくらいはしてるけど」
アルが触っても起きないのを確認して、ブランの体を抱え上げる。傍には、移動式の寝床を用意していた。蔦で編んだ大きな籠の底に、柔らかいクッションを敷いたものだ。
その寝床にブランを寝かせ、少し離しておく。魔道具を検証するから、万が一の場合の安全確保をしているのだ。何度も魔法陣の出来は確かめているから、失敗する可能性は低いが、念のため。
「――さて、ちゃんと動いてくれるかな?」
アルは円筒上の魔道具の側面にあるスイッチを押す。
魔石から広がった魔力が部屋中を包み込んでいった。
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