第350話 知りたい情報
魔の森の変化について触れたところで、ようやくこの場の変貌について話が進む。
「ここが魔の森から隔離された異空間のようになっているのも、それが理由ですか?」
「ああ。結界の維持管理には、莫大な量の魔力が必要だ。残念ながら、俺にはそれを賄うだけの魔力がない。管理自体は、難しくないんだが」
トラルースが宙に手を伸ばす。その手に纏いつくように、妖精が舞った。
妖精からトラルースへと、魔力が移っていくのが見える。
「――この空間は、マルクトが築き、そしてあいつの空間とも繋がっている。ここを核として、結界が築かれているわけだな」
「……魔力はマルクトさんに依存し、その管理権限は、トラルースさんにある?」
アルが呟くと、トラルースは目を細め、吐息のような声で「正解だ」と囁いた。
アルは内心で、難儀なものだと溢した。
トラルースの魔力が精霊にしては少ないことに、なんらかの意義があることは理解した。だが、他の精霊の支援がなければ大きな魔法が使えないというのは、アルの想像以上に苦労がありそうだと思わずにはいられない。
『この空間は、マルクトから送られる魔力の、一時保管所のようなものか』
「そうだな。ここの魔力濃度は、魔の森に比べても格段に高い。普通の人間が立ち入れば、毒になりえる濃さだ。だから、不用意に近づく者がないよう、さらに結界を敷いてある」
「それが、僕が目にした結界ですね」
フォリオが敷いていたものよりも強化された結界ということだろう。前までは、アルのように興味を覚えた者が、侵入も可能な状態だったから。
「――……んー、そうかぁ……世の中は、僕たちが引っ込んでいる間も、大きく動き続けているんですね」
アルは話が一段落したところで、そっとため息をつく。
異次元回廊が隔離された空間であるために、出入りする度に迷子になった気分になる。世界から取り残されているとも言い換えられる。
「フッ、そういうことは、多くの精霊も思っているだろうな。たいていは、引きこもりだから」
「あぁ……でも、あまりそういうことは気にしなさそうですね」
アルは精霊の森で出会った者たちを脳裏に浮かべ、苦笑した。
精霊たちは生まれてからずっと、浮世離れした世界で生きているようなものだ。寿命も人間とは違い、かなり長いようだし、外部の世界の変動なんて、さして気にとめていないだろう。
「……そうだな。ただ生きていることが、役目である者が大半だしな」
トラルースは呆れたように言い、肩をすくめる。
「生きていることが役目というのも、面白いあり方ですね」
「そうか? 俺からすると、怠堕な連中としか思わねぇが」
そういえば、トラルースは、以前この地で異次元回廊の入り口の管理を担っていたフォリオのことも、『怠け者』のように見なしていた気がする。そう言うくらいには、トラルースはマルクトのような研究熱心なタイプとは別の方向で、働き者なのだろう。
「――あ、アルが来たら教えてやろうと思っていたことがあったんだ」
お茶を一口味わったトラルースが、思い出したように言う。
アルは口に放り込んだチョコレートをもごもごと噛みながら首を傾げた。
「なんでしょう?」
「アルの追手、もうこの辺にはいねぇぞ。帝国も、グリンデル国もな」
「……わざわざ、その情報も集めてくれていたんですか?」
目をパチパチと瞬かせながら尋ねる。トラルースはソッと視線を逸らした。
「……帝国の情報を集めるついでだ」
『ほう? ついで、な?』
ブランがニヤニヤと口を歪め、トラルースを追及した。アルはその頭をパシリと叩いて、トラルースに微笑みかける。
「ありがとうございます。すごく、助かります」
「……それなら良かった。アルは、まぁ、俺たちの、大事な……――」
トラルースの言葉は、途中で曖昧に途切れた。だが、その意味は、しっかりとアルに伝わる。
ついでで情報を集めたわけではなく、アルの身を按じて、調べてくれていたのだと。
ブランに負けず劣らず、素直に心配を示すのが苦手らしい。その様子がなんだか微笑ましくて、嬉しくて、アルは目を細めた。
「トラルースさんは、クインの行き先を知っていますか?」
気まずそうなトラルースを見かねて話題を変える。
「クイン? ……あぁ、あのでかい狐か」
『聖魔狐だ!』
大雑把な表現に、ブランが遺憾を示す。聖魔狐としての誇りが、トラルースの言葉を聞き流せなかったようだ。
「聖魔狐な。分かってるって」
トラルースがブランに肩をすくめてから、アルを見つめて首を傾げる。
「――そいつなら、前に、異次元回廊内に入りたいと言ってきたから、通してやったぞ。入り口近くを彷徨いてて、明確に異次元回廊を認識していたし、アルの手紙も持っていたから、問題ねぇと思ったんだが」
それは、アルたちに先読みの乙女の情報をもたらすための帰還の際のことだろう。だが、アルが聞きたいのは、その後異次元回廊を出たクインの行き先だ。
「その後には、会っていませんか?」
「なんだ、すぐに別れたのか? ……その後なぁ……そういや、妖精がなんか言ってたな?」
トラルースが記憶を探り、妖精の一人に視線を向ける。
「――おい、お前、疾風が駆けたから、追いかけっこしたとか言ってなかったか?」
「疾風……追いかけっこ?」
首を傾げるアルの前に、一人の妖精が躍り出る。
『はいはーい。見たよ、聞いたよ、知っちゃったよ! 空駆ける白き巨獣の話を聞きたいって?』
『うるさい』
アルが反応に困っている間に、妖精がブランに叩かれ、テーブルに激突する。
ブランを叱るべきか、アルはさらに迷ってしまった。妖精のへこたれていない姿を見るに、問題はなさそうだが。
「……ブラン、話が終わるまでは、止めないように」
『本気で言っているのか? 絶対にこいつ、無駄口が多いタイプだぞ』
「……それはなんとなく分かっているけど、止めたら余計に時間がかかるから」
何故か湧いてくる疲労感に、アルはため息をつきながら、妖精に視線を向ける。トラルースは馬鹿らしそうに視線を逸らし、不干渉の姿勢を見せていた。
『もう、失礼しちまうんだから。俺っちの話を聞きたいんだろう? ならば、とくと聞くがいい~』
変な調子で語る言葉は、どことなく偉そうだが、剽軽な雰囲気がその印象を和らげる。ブランよりは苛立ちを煽らないが、別の意味であまり付き合いたいタイプではない。
「……うん、聞かせて。特に、白くて大きな魔物の行き先について」
『へいへい。期待されちゃあ、仕方ねぇ。これは、数日、いや一ヶ月、……数ヵ月前だったか?』
初っぱなから、話が混迷していく。
妖精が首を傾げてウンウンと唸っているのを眺めながら、アルは額を押さえた。
日頃付き合わないタイプ過ぎて、疲労のあまり頭痛がしてきそうだ。
「……いつの話かは、とりあえず置いておいていいよ。そんなに重要じゃないし」
そう告げながらトラルースを見る。トラルースは暫し考えた末に、「たぶん、二週間前だな」と呟いた。
答えが早くて、単純明快で素晴らしい。
『そうかい? それなら、俺っちの見たままを話そうじゃないか』
トラルースの言葉は聞こえなかった様子で、妖精が再び歌うように話し始める。話すと宣言したのは、これが二度目である。
アルは話を促すのが無駄に感じて、静聴することに決めた。
『――あれは、晴れた昼間のことだった。俺っちはドラグーン大公国の街で、串焼きを眺め、「これが人間の食い物か」って、興味深く思っていたんだが』
「お前の行動とかどうでもいい。というか、仕事中に、人間の街を彷徨くな。見つかったらどうするつもりだ」
トラルースは我慢しきれなかったようで、妖精を咎めた。だが、まったく反省した様子を見せない妖精に、大きくため息をつく結果になっている。
アルは、話がとんでもなく長くなりそうだと悟り、そっとお茶を淹れ直して、休息の時間を兼ねることにした。
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