第349話 精霊のスケール

 そこでふと、マルクトの妖精にしては、アルが知る者とは性格が違うことに気づく。

 マルクトの傍に侍る妖精は、もっと大人しく頭脳派な印象だった。


「皆さん、僕とはお会いしたことがないですよね?」

「だろうな」


 ポツリとこぼした疑問に答えたのはトラルースだ。

 なんとも言えない表情で妖精たちをチラリと見た後、肩をすくめる。


「――俺の仕事用に、あいつが生み出した妖精だからな」

「へぇ……」


 アルは頷きながら、妖精たちに視線を向ける。興味津々な眼差しを向けられるのが、気になって仕方ない。

 妖精たちの無邪気な様子には、幼ささえ感じて、トラルースの仕事用に生み出されたという言葉に、深く納得した。マルクトの傍にいた妖精たちとは違い、ここにいるのは生まれたばかりの者たちばかりなのだろう。


『結局、お前の仕事とはなんだ? ここが様変わりしているのも、それが理由なのだろう?』


 アルがぼんやりと妖精たちを観察している横で、たらふく甘味を食べて、ご機嫌になったブランが尋ねる。

 それが聞きたかったのだと、アルも思い出した。帝国がやらかしていることへの衝撃が大きすぎて、つい忘れてしまっていたのだ。


「……ああ、そうだな」


 トラルースが頷く。再び妖精たちを横目で窺っているが、誰も反応を示さなかった。

 妖精たちはみな、アルの観察を終えて、今はブランに纏わりついている。特に揺れる尻尾がお気に入りのようで、じゃれついては、ブランに鬱陶しそうに振り払われていた。


「――俺が、異次元回廊の入り口を見張る役目を負っているのは変わらねぇ。それに加えて、今は帝国の動向を探り、まとめて報告する務めがある」

「それで、帝国の情報について詳しいんですね。先程のが、報告書ですか?」

「そうだ」


 アルは、ここに来て最初に目にした、トラルースの作業風景を思い出す。精霊文字で綴られた記録は、精霊ならばどこででも閲覧できるものだったはずだ。既に、他の精霊たちも、確認しているのかもしれない。


「ここが様変わりしている理由は?」


 尋ねながら、アルは周囲を見渡した。以前は殺風景ながらも人間が暮らすような部屋だったのに、今では草原世界である。どこまでも続きそうに見えるが、きっと端があるのだろう。

 限界はどこだろうかと、好奇心がくすぐられた。


『変わっているのは、ここだけでなく、魔の森もだが。よく、ドラゴンの許可を得られたものだ』


 ブランが妖精にパンチを食らわせながら、呆れた雰囲気で呟く。

 弾き飛ばされた妖精は嬉々として再びブランに纏わりつき、攻防に終わりがなさそうだ。

 ブランも心から嫌がっているわけではなさそうだから、遊んでやっているのだろう。


 アルは微笑ましく思いながら、トラルースに視線を戻した。


「帝国の者が、ドラゴンの領域を侵犯しているからな。それを抑制するためとなれば、あいつも許可くらい出す」


 トラルースが面倒くさそうに呟く。

 アルは片眉を上げ、トラルースを眺めながら、その言葉を意味するところを考えた。


「……もしかして、この魔の森内でも、帝国の人間がなにかやらかしたのですか?」


 異次元回廊から出てきたばかりのアルは、この森の状態をまだ把握していない。だが、さほど異変は感じなかったのは確かだ。マルクトに施されたという魔法以外には。

 帝国の者たちは、いったい何をして、ドラゴンの領域を侵犯するなんてことになったのか。


「帝国の者どもが、魔族を探していたことは知ってんのか?」

「魔族を? そんなことも、ありましたねぇ。――って、え? そのせいで、なにか起きたのですか?」


 帝国の者が魔族を探し、ドラグーン大公国にやって来ていたことは、以前ソフィアから聞いている。彼女は、魔族の血をひくという執事のヒツジや、メイドのメイリンを庇護下におき、帝国から隠している様子だった。


 帝国が魔族を探す理由はよく分からない。だが、その結果、魔族であるサクラたちが隠遁する異次元回廊を探り、入り口がある魔の森の治安を乱してもおかしくはないだろう。


「ああ。愚かなことに、数の利により、異次元回廊を見つけ出そうとしていてな」

「え、でも、入り口を通るには、精霊――トラルースさんの手助けがなければ、無理ですよね?」

「それを、あいつらは知らねぇ。それに俺の務めとして、異次元回廊の存在を知り、試練に挑もうとする者は、すべからく送り出さなければならねぇんだ」


 異次元回廊に、帝国の者を送り出すこと。それは、サクラたちに危機が迫っていることを意味する。

 アルは目を見開き、慌ててどうなったのか聞き出そうとした。


「まさか、もう中に――!?」

「入ってねぇよ」


 トラルースがバッサリと断言する。その言葉に、アルは心の底から安堵した。


「――というか、あいつらは、魔族が魔の森の奥地に隠れ潜んでいると考えているだけで、異次元回廊の存在を知り得たわけじゃない」

「……なるほど。まだ条件を満たしていないんですね。でも、異次元回廊の存在を知るって、なかなか難しいことな気がするんですけど。僕はフォリオさんに聞かされたとはいえ、人間世界にそのような話は広がっていませんよね? いや、ソフィア様たちなら……?」


 グルグルと思考が巡る。サクラたちの安全を気に揉んでいるからだが、どうにも落ち着かない。


 アルの感情は、トラルースやブランにも手に取るように伝わったようで、二人は視線を交わして肩をすくめた。


「ドラグーン大公国の王族とその庇護下にある者は、金のドラゴンであるリアムと精霊の約定により、異次元回廊に関する理から外されることになっている。つまり、王女たちは望まなければ、試練に挑む必要はない」


 そこで言葉を区切ったトラルースが、僅かに目を細めた。


「――同時に、異次元回廊に関する情報を、外部に洩らすことは禁忌とされている。彼らは帝国の者たちに、情報を洩らしはしねぇんだ。帝国の連中は、偶然異次元回廊の痕跡を見つけない限り、試練を受ける資格は得られないってことだな」

「そういう事情があったんですね……」


 アルはかつてソフィアから異次元回廊内の情報を聞かされたことを思いだし、頷く。

 そんなアルの肩に、ブランが跳び乗った。


『というかだな。帝国の連中が異次元回廊内に入ったところで、そうそう奥まで辿り着くことはないだろう。白の空間の謎を解くのも、その後の探索を進めるのも、一朝一夕でできることではない』

「……そう?」


 ブランの発言には、アルは正直首を傾げてしまう。クインに与えられた試練はともかく、その他の部分で苦労した覚えは、あまりなかったからだ。


『馬鹿。……誰もが、アルのようなアイテムバッグを持ち、食料を大量に保存しているわけではないし、相次ぐ魔物の襲撃に、まったくのダメージを受けずに進めるわけでもない。そのへんの人間が入ったところで、一ヶ月も経たずに脱落するのが自明の理だ』

「ああ、そう言われてみると、そうかもしれない。でも、今はクインの試練もなくなっているんだし、万が一ということも……」


 アルがなおも心配していると、ブランはやれやれと言いたげに、首を振った。


『アルは気づいていなかったようだが、あいつが解放された時点で、新たな試練の番人は、きちんと用意されていたぞ。サクラに抜かりはない』

「え、うそ、知らなかった」


 思いがけない事実に目を見張る。


「――ということは、異次元回廊に侵入されても、今のところ、あまり心配する必要はない?」

『だろうな。我のような強き者が、帝国の味方になっていれば、話は別だが』


 さりげなく自画自賛をしつつ、サクラたちの安全を保証してくれたブランに、アルはホッと息を吐きながら苦笑した。


「それは、いいことを聞いた」


 アルたちの会話を黙って見守っていたトラルースがニヤリと笑う。

 トラルースはヒロフミと仲が良い間柄だったようだから、精霊の務めは果たさなくてはならないと分かっていて、心配をしていたようだ。


「――正直、この辺の環境を変えるようマルクトに頼んだのは、それが理由でもあったんだ。ドラゴンの領域が侵犯された結果、精霊との関係にヒビが入るのを防ぐっていうのが、表向きの理由だが」


 アルは目を丸くして、トラルースを見つめる。


「えっと、それは、表向き、精霊が管理する異次元回廊を探すことで、帝国の者が魔の森の平穏を乱すことにより、ドラゴンが精霊にも怒りを向けることにならないよう、魔の森に干渉しにくくしているということですか?」

「ああ。厳密に言うと、マルクトの張った結界により、帝国に所属する者や、それに関係している者は、魔の森に入れなくしている」

「え、この広大な魔の森に……?」


 それならば、とてつもない広さの結界が敷かれていることになると、アルは驚愕した。


「一応、異次元回廊周辺から、ドラグーン大公国近くまでの部分だけだな」

「それでも、十分広いですよね?」


 アルは結界の範囲の概算を見積もって、気が遠くなる思いがした。

 さすが精霊。魔力の大きさに比例するように、やることのスケールが大きい。

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