第348話 トラルースの話

 魔力を一時的に活性化。そして爆発。

 言葉にするのは簡単だが、魔法をよく知る者にとっては、とんでもない話である。


「……帝国の魔法使い、あるいは魔法研究者は、過去の大惨事を学んでいないのでしょうか」


 低い声は、意識してのものではない。アルの魔法研究者としての倫理観が、帝国の行いに嫌悪感を抱いたがゆえである。


 魔法についての知識があまりないブランが、そんな状態のアルを、驚いたように見上げて固まった。


『過去の大惨事?』

「そう。昔……古代魔法大国が滅んでから数十年経ったくらいかな? 古代魔法大国の滅亡と共に失われた魔法文明を復興させようとする研究者の集団がいて、彼らが目を付けたのが、魔力自体を操作し、エネルギーを増大させることだったんだ」

『ほう……?』


 よく分からないと言いたげな表情でブランが頷く。

 アルはその頭を撫でて癒されることで、精神の安定を保つことにした。ブランが分からなくとも説明を続けるのは、アル自身情報を確認して整理する必要性を感じたからだ。


「魔力自体がエネルギーなのに、それを増大させるって、どういうことって思うでしょ?」

『……ああ、まぁ、そうだな?』


 曖昧に頷くブランを気にせず、アルは顔を顰める。


「彼らは魔力にある衝撃を与えると、より大きなエネルギーが生まれることに、偶然気づいたらしい。それを活用すると、莫大な魔力量を必要とする魔法が、簡単に使えるようになると、一時は喜んだみたいだけど――」


 結果を口にするのを躊躇い、口ごもったアルをフォローするように、黙って話を聞いていたトラルースが口を開く。


「その結果が、意図しない大爆発だった。その魔法を研究していた場所が、人里から離れたところだったから、人的被害はあまり生じなかったが……俺ら的には、大問題だった」

『なぜ、爆発するのだ。魔法陣が誤っていたわけでは、ないのだろう?』


 ため息をつくトラルースとアルを交互に見比べながら、ブランが首を傾げる。


「……どうやら、魔法を活性化させると、本来以上のエネルギーを発するけど、不安定になるみたい。そのせいで、正しい魔法陣であっても、暴走して、爆発してしまう」

『ふーむ……。よく分からんが、それはいけないことなのだな?』


 ブランの問いを受けて、アルはトラルースに視線を向けた。

 過去のそのような事実から、魔力を活性化させて魔法に用いることは、魔法使いにとって禁忌とされている。

 だから、アルはトラルースの言葉に真っ先に嫌悪感が湧いたのだが、精霊的にはどれほどの問題になるかは、正確なところが分からない。


「あってはならねぇことだ。だからこそ、精霊が、それを禁忌として広めた」

「え、そうなんですか?」

『基本的に人間に干渉しないお前らが、珍しいな』


 アルとブランが、目を丸くしてトラルースを見つめる。

 アルにとって、魔力の活性化が禁忌であることは常識だが、それを精霊が知らしめたというのは、意外だった。そのような言い伝えは聞いたことがない。


「それをするくらい、大問題だったということだ。――魔力を活性化させるっていうのは、つまり、一時的に魔力のあり方を歪め、崩壊させて、その後、大量の穢れを生む行為だ。何度も使われれば、すぐに穢れが自浄作用の範囲を超える」


 トラルースが盛大に顰めた顔で呟く。

 アルは「なるほど……」と頷いて理解を示した。


 精霊にとって重要な問題なのは、魔法の暴走による爆発で生じた人的被害ではなく、それによって生じることになる大量の穢れなのだ。

 それは、精霊の役割と人間への無関心さを考えると、当然だった。


「……帝国は、魔法の暴走による爆発を、攻撃手段として利用していて、精霊は、その過程で生じる穢れを問題視しているということでいいですね?」

「ああ」


 改めて確認すると、軽い肯定が返ってきた。


「うーん……帝国の動きは、過激になっているみたいですね。なかなか戦況が危ういとは聞いていましたけど……。カルロス様は、何をしているんだろう……?」

『カルロス?』


 ブランがキョトンとした顔で、アルを見上げる。すっかり忘れてしまっているようだ。


「帝国の皇子様。ドラグーン大公国で会ったでしょ? ちょっと演劇じみた振る舞いをする――」

『ああ! あの、アカツキの同類みたいなヤツか!』

「……それは、どうか、分からないけど」


 おかしな納得の仕方をするブランに、アルはつい苦笑してしまった。ブランからの評価を聞けば、二人ともが全力で否定しそうだと思ったのだ。


「……カルロス? あぁ、第三皇子か。上の兄弟が死んでから、放浪から帰ってきた皇子。なんだ、アルは知り合いなのか」


 トラルースが意外そうな表情でアルを見つめる。カルロスは精霊にも認知されているらしい。その認知のされ方が、悪い意味ではないといいのだが。


「二度、会っただけですけど。戦争反対派で、悪魔族が本当に存在しているのかと、ドラゴンに尋ねに来ていたんですよ」

「ドラゴンにねぇ……」


 なんとも言いがたい表情のトラルースに、アルは首を傾げる。

 フォリオとは違い、トラルースには、ドラゴンに対してあまり好感を持っていない雰囲気が漂っていた。その点は、ブランと気が合いそうである。


「――カルロスは、現在王位継承争いの真っ只中だぞ。アルが言った通り、停戦を主張してて、継承順位が一番高いのに、あまり支持を得られていねぇらしい。……精霊からすると、あの国の王族の中では、マシな部類だと思うが」


 軽く肩をすくめながら、トラルースがカルロスの状況を教えてくれる。


「……精霊は、だいぶ人間の国の事情に詳しいんですね?」


 アルは頭に引っ掛かった疑問をぶつけてみる。

 その顔をチラリと見たトラルースは、不意に指を宙に向ける。


「今は、世界中に偵察を放っているからな」


 宙で光が煌めく。妖精だ。


「なるほど、偵察――」


 空を飛ぶ小さな妖精は、隠密行動も得意らしい。


「……トラルースさんって、前から妖精を傍においていましたっけ?」


 アルが思い出した疑問を呟くと、トラルースは「いや――」と首を振った。


「――俺は、自分の妖精を持ってねぇからな。あれは、マルクトからの借り物」


 少し声が翳ったように感じられる。

 アルはトラルースの言葉の背景に、複雑な事情があることを察して、踏み込んで尋ねるべきか迷った。


『なんだ。やっぱりそうか。妖精を持っていないのは、魔力が少ないからか?』


 アルとは違い、ブランがあっさりと問いかける。その態度があまりに無遠慮に感じられて、アルはブランを軽く睨み、頭を叩いた。


 トラルースは眉間に皺を寄せてブランを流し見たが、その後、小さく嘆息し、首を横に振る。


「……俺の魔力が精霊にしては少ねぇのは事実だが、それは妖精を持たねぇ理由じゃねぇ。そもそも、俺が、妖精を必要としねぇ精霊として生まれたというだけだ」

「妖精を必要としない精霊、ですか。それには、どのような意味が?」


 意外な言葉が返ってきて、アルは思わず問いかけていた。

 個人の事情に立ち入るようで、気まずさはある。だが、好奇心は抑えきれなかった。ブランのことを咎める資格はなかったかもしれない。


 首を傾げるアルを、トラルースは複雑そうな表情で見据える。


「……精霊は魔力が多いから、活動に限界がある。本来の姿が樹木であることは、アルも知っているだろう」

「はい」


 それは、アルが精霊の森で知った驚くべき事実である。

 人間とさほど変わらない姿に見える精霊だが、その本体は樹木である。トラルースの現在の姿は、魔力によって形作られた写し身のようなものだ。


「こうして、本体から離れて活動するには、精霊の魔力核の容量に相応しい魔力を、空気中から補充する必要があるんだ。魔力が足りねぇと、形が霧散して、自動的に本体へ意識が帰還することになる」

「へぇ……フォリオさんはここで長期間暮らしていたようですけど?」

「ここは魔の森で、精霊の森同様、空気中の魔力が豊富だから、数十年程度であれば、問題ねぇ」


 アルはなるほど、と頷き納得する。

 そして、トラルースの魔力容量が少ない必要性というのも、自然と理解できた。


「――つまり、トラルースさんは、精霊の森の外での活動に適応するために、魔力が少ない状態で生まれたということですね」

「ああ。魔力が少なければ、妖精による調整も必要ねぇから、俺は妖精を持ってねぇ。……こいつら、うるせぇしな」


 妖精に対して、アカツキと似たような感想をこぼしながら、トラルースが顔を顰める。

 アルは思わず苦笑し、マルクトからの借り物だという妖精たちが、宙を飛びながら爆笑しているのを、なんとも言えない気分で眺めた。


 確かに、うるさい。

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