探求の旅

第345話 始まりの異変

 久々に異次元回廊から出てきたアルたちが真っ先に訪ねることにしたのは、宣言通り、魔の森の中にある精霊の住みだ。


 記憶を辿りつつ、進んでいくと、木々の合間を光るものが見えた。


「――妖精……?」

『なに?』


 アルがこぼした呟きに、即座にブランが反応する。ブランの目にも、煌めく姿が映ったようで、『ほう……?』という声が聞こえてきた。


「トラルースさんは妖精を従えていなかった気がするんだけど、僕たちが会っていなかっただけかな?」


 妖精の軌跡を追いながら疑問を口にする。


『うーむ? あやつから感じる魔力は、精霊にしては少なかったから、我はてっきり、妖精が必要なくて傍においていないのだと思っていたが』

「あぁ、そういえば、妖精は精霊の魔力を整える役目を持っているって、前に聞いた気がする」


 かつて、精霊フォリオが妖精たちと交わしていた会話を思い出しながら、アルは頷いた。


「――でも、トラルースさんの魔力が少ないからって、妖精を傍におかないなんてあるのかな。引きこもってるマルクトさんすら、妖精を使ってたよ」

『傍にはおいていなかっただろう』

「……そうだね。別の役目を任せていた感じだった。――ということは、トラルースさんも……?」


 ブランと話しながら歩いていると、突然妖精の姿を見失った。

 アルたちがのんびりしすぎていたわけでも、妖精がスピードを上げて移動したわけでもない。ふつりと途切れるように、あるいは壁に阻まれるように、姿がかき消えたのだ。


「どういうこと?」

『これは、あれだな』

「あれ? ……あれか」


 ブランと顔を見合わせて、アルは頷く。ブランがあれと呼んだのは、まず間違いなく【結界】の類いだろう。迷いの魔法かもしれないが。


『……そうだったとして、我らは中に入れるのか?』

「どうだろう? トラルースさんなら、招き入れてくれる気がするけど」

『なんのために、これまでにはなかった魔法を、住み処の周囲にかけているのかが問題だな』

「確かに」


 アルは妖精が消えた地点で立ち止まり、目を細めて観察する。

 魔力を読み取ると、そこには薄い膜のような魔力の塊があることが感じ取れた。結界だ。


 さらに鑑定眼を重ねて使用すると、【許可なき者の侵入を拒む障壁が築かれている】と示された。


「――やっぱり、許可がないと入れないみたい。フォリオさんみたいに、招き入れるべき相手さえも排除するような結界を敷くような、おっちょこちょいではないと思うけど……。そもそも、僕を招き入れるつもりがあるかどうかが分からないね」


 ポツリと呟きつつ、手を前方に伸ばす。

 結界があると思われるところまで確かめてみたが、阻まれるような感触はない。フォリオの結界のように、遠方まで飛ばされる可能性はなきにしもあらずだが、ひとまず物理的な障害は心配しなくてよさそうだ。


『あやつはそれなりにアルに好意を抱いていたようだったから、拒むことはないと思うがな』


 ブランの言葉に自信が湧き、アルは一呼吸おいてから足を踏み出す。

 一瞬、水面に触れるような、清く瑞々しい空気が肌を撫でた気がした。


 ガラリと空気が変わる。

 魔の森であるのに、どこか違う雰囲気。魔物の気配が一切ないせいだろうか。それとも、吸い込む空気があまりに清廉に感じられるからだろうか。


 どちらにせよ、足を踏み入れた先が、アルが知るままの魔の森でないことは確かだった。


「……少なくとも、拒まれてはいなかったみたいだね」

『うむ。だが、ここは、なんだ……?』


 アルに応えながら、ブランが訝しげに周囲を見渡す。その声には困惑が滲んでいた。


「ブランにも分からないの?」

『……森であって、森でないことくらいは分かる』


 ブランが憮然とした様子で呟いた。

 森というフィールドで感知能力が高まる性質を持っている者として、現状を把握できないということに、悔しさを覚えているようだ。


「森であって、森でない……? よく分からないけど、それならブランが分からなくてもおかしくないんじゃない?」


 ブランの自尊心を傷つけないようフォローするが、素直に受け入れてくれるほど、ブランは単純な性格はしていなかった。


 アルは、ブランが『……ふん』と不満そうに鼻息を吐いたきり黙り込むのを横目で眺め、苦笑する。


「とりあえず、進んでみようか。妖精の姿も見えないようだし」

『……ここで立ち止まっていたところで、どうしようもないからな』


 止まっていた足を動かし、記憶を辿りながら精霊の住み処へと歩を進める。


 記憶との相違は、木々に季節の移り変わりが見えることくらいだ。

 つまり、空気感の異変以外は、魔の森の姿そのままだということ。


 この魔の森はドラゴンであるリアムが管理しているはずだから、精霊であるトラルースはそうそう勝手なことはできないだろう。


 いったいどうしてこのような状態を作り上げているのか。アルの知的好奇心が高まった。


『……まったく。お前はいつも、それだな』


 アルのキラキラした目にすぐに気づいたブランが、呆れたように呟く。


 魔法に対して並々ならぬ探究心を見せるアルを、ブランは常々『腹の足しにもならんもんを、よくもそう追い求められるものだな』と感心半分、呆れ半分で眺めているのだ。


 ブランがあまりいい顔をしていないことには、アルも気づいていたが、言葉以外で止める気配がないので、無視することにしている。ブランがその対応に文句を言ったこともないのだから、問題ないのだ。


「あ……」


 いろいろなことを考えながら、黙々と歩いていたアルは、前方の木々の合間に見えたものに、思わず声を漏らした。


 大きな木の幹に扉。

 紛れもなく、精霊の住み処である。結界を通り抜けられたことでなんとなく分かっていたことだが、アルたちは拒まれることなく、目的地に辿り着けたようだ。


『着いた、か……。何事もないというのも、些かつまらんもんがあるな』

「縁起でもないこと言わないでよ」


 言葉通りつまらなそうに呟いたブランを、アルは横目で睨みながら進む。

 扉をノックしようと上げた手は、その役目を果たさずに止まった。


 自然と扉が開かれたのだ。


「――よぉ、アル。元気そうだな」


 風が頬を撫で、戸口の向こうに吹き込んでいく。

 その感触を感じながら、アルは目を見開いて固まった。あまりにも予想外な光景が、眼前に広がっていたのだ。


『……どういうことだ?』


 アルと同じくらいに混乱した様子の声が耳に届き、アルはハッと気を取り直した。


 目の前にあるのは、広い草原と一本の大木。その木には淡いピンクの花が咲き、風に吹かれて雪のように舞い落ちていた。


 木の幹にある扉が開いて、中を覗いているというのに、そこにあるのは部屋ではない。

 人間の思い込みをひっくり返すような光景を認識して、アルは思わず笑ってしまった。


 何を考えてこんな状態を作り出したのか分からないが、あまりに常識外れで面白い。

 きっと、マルクトが引きこもっている場所と同じような、魔法で創り出した空間なのだろう。


「お久しぶりです、トラルースさん。……部屋の模様替えの程度が、人間の常識を超えていますね」


 トラルースは、草原の中に立つ大木の太い枝で寝転んでいた。アルをチラリと見て、軽く上げた手はすぐに下ろされる。


 なにやら、宙を見据えて作業中のようだ。それを示すように、トラルースの視線の先では光が煌めき、行儀よく文字が列をなす。精霊の記述形式だ。


 アルはその文字に目を走らせながら、トラルースに近づいた。

 精霊の文字は知っているが、だからといって、簡単に文章を読み解ける訳ではない。

 ただ、トラルースの作業が、帝国に関しての報告だということは分かった。


「模様替えね。……そう言い表して済ませられるアルも、大概人間離れしているがな」


 そう言ったトラルースは、どこか愉快そうだった。

 作業に区切りがついたのか、太い枝に腰掛けるように身を起こすと、大木の近くまでやって来たアルを、目を細めて見下ろす。


「――改めて。よく来たな、アル。同朋の帰還を歓迎するぞ」


 言葉通りの感情が伝わってくるような、柔らかに緩んだトラルースの表情を見て、アルは嬉しくなって微笑んだ。

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