第342話 これからに向けて

 魔法陣らしき図の解析は、予想以上に難航した。

 かつて古代魔法大国の礎を築いたヒロフミが、匙を投げるレベルであることからも、その難度の高さは明らかだ。


「――これ、本当に魔法陣か?」


 数日魔法陣解析に集中し続けて、なんら成果を得られなかったヒロフミが、ぐったりとテーブルにもたれながら呟く。

 アルも同じ気分だったが、苦笑してお茶の準備を始めた。最近は、ヒロフミの集中力が途切れると、休憩時間となることが多い。


「魔法について私より詳しい宏兄がそう言うなら、魔法陣ではないのかもしれないわね」


 サクラが疲れた様子でそう言うものの、あまり納得した雰囲気ではない。肯定されたヒロフミの方も、肩をすくめるだけだ。

 双方ともに、これがなんらかの魔法に関する図であることを、直感しているのだ。


「部分だけを見ると、魔法陣っぽさがあるんですけどね。……繫がっていないだけで」

「それが大問題なんだ」


 アルの呟きに対し、ヒロフミがお茶を受け取りながら、真剣な眼差しで語る。


「――魔法陣とは、様々な魔法言語と魔力の流れる経路でもって、魔法の根幹となるものだ。特に魔力の流れる経路は、澱みなく繋がっていることで、効果を発揮することができる。それなのに、だ!」


 ヒロフミがテーブルをバシッと叩いた。その圧で、魔法陣らしき図が載った紙がふわりと浮く。

 椅子で昼寝していたブランが、突然の音にビクッと体を震わせ、跳ね起きた。


 不満そうにヒロフミを睨むブランを、アルは横目に眺めながら、お茶を一口飲む。


「この図では、魔力の経路となる部分が、一部欠けていますね。それだけでなく、魔法言語である部分も、意味を為さない。まるで、虫食いにあったように……」

「ああ……確実に、足りていない」


 ヒロフミに続いてアルが呟くと、ヒロフミが声の勢いを落とし、深いため息をつく。


「――欠けた部分は、おそらくどこかにあるんだ。何かメッセージを送るなら、完全体で送れって話だよ、まったく……」

「そんな、俺を睨まれても……」


 アカツキがヒロフミに睨まれて、弱りきった表情でアルの後ろに隠れる。

 アルを盾にされても困ってしまうのだが、アカツキを責めたところでどうしようもないのは確かだ。

 アカツキがこの図が生まれた現象のきっかけになっていると推測されているとはいえ、彼自身の意思が関与しているわけではないのだから。


『欠けた魔法陣、な……。我は魔法陣の仕組みに詳しくないが、そういうことならば、ここで延々とそれを眺めても、仕方ないのではないか?』


 昼寝を諦めたのか、ブランがアルの用意したクッキーに手を伸ばしながら、首を傾げる。

 その意見は、解析に取り組んでいない部外者であるからこそ、客観的で真っ当に思える。


 アルはヒロフミとサクラの顔を見つめる。どちらの表情にも疲労があった。

 白い空間から得られた文章の解読作業は、魔法陣らしき図の解析作業を優先したせいで、現在滞っている。

 暫く成果がない状況は、精神を倦ませるに十分なものだった。


「……クインも帰ってきませんし、状況が膠着しているのは確かですね。ここは、手分けをしましょうか」

「手分け?」


 サクラがきょとんと目を丸くするのを見ながら、アルは頷く。


「そうです。僕たちが現在必要な作業は二つ。文章の解読作業と、魔法陣らしき図の解析作業です。文章の解読は、この場にある書物と、それぞれの知識を合わせれば、おそらく可能でしょう」


 アルの言葉に、ヒロフミとサクラが頷く。アカツキはよく分かっていない表情ながらも、アルの横に腰かけ、クッキーを食べながら耳を傾けていた。


 ブランが、期待を滲ませた眼差しでアルを見上げる。その頭をポンポンと撫でながら、アルは言葉を続けた。


「――一方で、この図の解析には、情報が足りなすぎるのが事実です。欠けていると思しき部分が、どこで得られるのか……。アカツキさんをきっかけに、また何か得られるならば、待つのも一手ですが、それはあまりに運任せです。何も得られない可能性が高いと、僕は思っています」


 アルが立てた厳しい予想を、ヒロフミが肯定して言葉を続ける。


「同感だ。また暁をきっかけに情報が齎されるなんて、都合のいいことが起きる気はしない。分けて情報を与える意味もないしな。たぶん、この図を示した者にとっては、これが全てなんだろう」

「つまり、欠けている部分を探せ――そういうメッセージでもあるってことね?」


 ヒロフミの言葉から、サクラが結論を導いて、納得した様子で頷く。


「この異次元回廊内にある書物の中に、その欠けた部分がある可能性はあります。でも、僕は、それよりも外に可能性を見出しているんです」

「……外か」


 ヒロフミが厳しい表情をする。アルの言葉は予想していたことだったろうが、同時にいかんともしがたい問題がそこに存在していることを、ヒロフミは理解しているのだ。


「――俺も、その可能性は高いと思う。クインが言っていた、先読みの乙女のための遺跡とか、聖域とか、その辺を探る価値はあるだろう。クインに頼めれば良かったんだが、あいつ、魔法陣への理解がなさそうだったからなぁ……」


 ヒロフミにちらりと見られたブランが、フンッと鼻息を吐いて、顔を背ける。

 アルは苦笑して、ブランの頭を撫でた。


 クインもブランもそうだが、そもそも魔物という種族は、魔法を感覚的に使うのだ。それは人間のように魔法陣を使用しない、原初たる魔法の使い方である。

 それゆえに、どちらも魔法陣への理解が薄く、欠けた部分を探してくれと依頼したところで、無理難題なのだ。


「あまり、クインに頼りすぎるのも、申し訳ないでしょう。外での探索には協力してもらえると助かりますけど」


 クインとブランの欠点には触れず、アルは肩をすくめてヒロフミの言葉を受け流す。


「そうだな。……でも、一つ問題があるのは、アルも分かっているだろう?」

「ええ」

「問題?」


 サクラが不思議そうに呟く横で、アカツキも目を瞬かせながら首を傾げていた。

 アルは二人を見ながら、ヒロフミが示唆したことを明らかにする。


「人員のことですよ。まず、ヒロフミさんは現状で外に出るのは好ましくありません。身代わりを使って逃げてきたとはいえ、いつ悪魔族に追われるか、分かったものではないのですから」

「そうね。それは、当然だわ。……それなら、私は――」

「サクラさんも、念のためやめた方がいいでしょうね。魔族を探している者がいると、聞きましたから。外は敵が多すぎます」


 帝国の者しかり、悪魔族しかり。サクラたちを狙う者は多い。

 それを告げるアルに、サクラは真剣な表情で頷いた。


「というか、桜は外のことに疎すぎるから、無理だろう。世界の変遷は、桜が思っている以上だぞ?」

「……そんなに?」

「ああ。たぶん、見たらびっくりする。それに、今更旅生活なんて、桜が耐えられると思わない」

「あぁ……」


 ヒロフミの言葉に、サクラは何を思い出したのか、遠くを見つめるような眼差しで深く頷く。

 おそらく、北の地にある異次元回廊まで逃れてくる旅の間に、いろいろと耐え難いことがあったのだろう。


 アルはその点には触れないまま、アカツキへと視線を向ける。


「アカツキさんに関しては、微妙なところです。精霊の森にも訪れる必要があるでしょうから、足手まといになる可能性があります。ですが、ヒロフミさんたちのように、無理というほどでもないですね。悪魔族の間で、どれくらいアカツキさんのことが知られているかにもよりますが」


 言いながらヒロフミを窺う。暫らく考え込んだ様子だったが、厳しい表情で首を横に振った。


「念のため、暁もここから出るべきではないだろうな。あいつらの間でも、暁を憶えているやつはいるはずだ。そもそも容姿からして、この世界の者ではないんだから、一目見られただけで、アウトだろう」

「なるほど。――それなら、外で活動できるのは、僕とブランだけですね」


 分かりきっていた結論を告げたアルを、ヒロフミたちがそれぞれの表情で見つめた。

 心配げな眼差し、申し訳なさそうな眼差し、残念そうな眼差し――様々な感情が窺える目を、アルは順繰り見渡して、微笑む。

 そして、肩に跳び乗ってきたブランを撫でながら、口を開いた。


「というわけで、僕はブランと一緒に、外を探索してきます。皆さんは、解読作業と、念のため魔法陣に関する記述がないか、書物の捜索もお願いしますね」

「……ああ、分かった。アルに任せてしまうみたいで悪いな」


 情けなさそうに肩を落とすヒロフミを見て、アルは苦笑した。


「そんな顔をしないでくださいよ。僕たちにとっては、良い気分転換になります。――ね、ブラン」

『ああ。よい報告を待っているといいぞ!』


 ブランの尻尾が、興奮を示すように激しく振られていた。

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