第341話 唐突な――
魔法陣らしき図を調べるとして、まずは何をすべきか。
アルは理解できないものにぶつかった時の常として、鑑定眼をよく使うが、この能力は効果のふり幅が結構ひどい。戸惑うくらい詳細な情報をくれることがあるが、使える情報が一切ないときも多い。
そして、今回は――。
「【不可思議な線形。アルによって書き写された】……だもんなぁ」
アルは示された情報を再度確認し、ため息を零す。
実は書き写してすぐに鑑定眼で調べていたのだが、時間が経過したところで結果は変わらなかった。
『元の方を見ても、何も分からんのか?』
ブランが首を傾げてアルに尋ねた後、テーブルの下を覗き込んだ。その途端、揺れていた尻尾がピタリと止まった。
その動きに不自然さを感じて、アルは答えながら、床に残したままの紙を確認する。
「元の方を鑑定しても、【紙。文字が書かれている】としか表示されなかったから――」
アルの言葉が途切れる。視線の先の光景に驚いたからだ。
『……なるほど。それは頼りにならんな』
ため息混じりに呟いたブランが、顔を上げて窓の方を睨んだ。
魔法陣らしき図を生み出した後、風はずっと穏やかだったはずだ。それは、アルが片時も注意を忘れず確認し続けていたのだから、確かである。
「……うん。本当に、鑑定眼の能力は、困ったものだよね」
ブランに続いて、窓の方を見たアルは、短くため息をついて立ち上がった。
口では鑑定眼の能力に呆れた風を見せているが、アルが本当に理解に苦しんでいるのは、現在の不自然な状況についてだ。
ヒロフミが、アル筆の魔法陣らしき図を【
「どうした? どこかに行くのか?」
「いえ、紙を拾うだけですよ。これは、もう意味を為していないようなので」
「意味を為していない……?」
反復しつつ、作業を中断したヒロフミが、床を覗き込み「――なるほど」と呟く。状況の変化に気づいたのだ。
ブランとアルが初めて見た時は、紙の上の文字の連なりが魔法陣らしき図を作り上げていたというのに、現在は、そこに何も見出せなくなっている。ただの散らばった紙でしかない。
この変化が何を意味するのか。
アルはヒロフミと視線を交わしたが、どちらからも答えは出ない。まったく分からないことだらけだ。
「謎が増えていくなぁ」
紙を集め、まとめてテーブルに置き直し、アルは椅子に座り直す。
すると、アルが落ち着くのを待っていたように、クインが口を開いた。
「吾は魔法陣の解析になんら寄与できないだろうから、再び外を見てこようか」
「え?」
唐突な提案に思えて、疑問の声を上げたアルだけでなく、ヒロフミたちも目を丸くする。
全員の視線を受けて、クインは肩をすくめて笑った。
「吾はどうも、一つ所に留まるのが好かないらしい。おそらく、長く場所に縛られていたことにより、精神が無意識に自由を望むのかもしれんな」
アルたちを複雑な気持ちにさせるようなことを、笑いながら言うクイン。
それは、確かにクインの本心なのだろうが、クイン自身はさほど重く受け止めていないようだ。
「――ゆえに、吾は外に出て、変事がないか確認してこよう。アルも、外の世界のことは、多少なりとも気になっておろう?」
「それは、そうですけど。わざわざクインが行かなくても……」
「そうだな。だが、気分転換のついでだ。それに、吾が得てきた情報は全て話してしまったし、ここですることは何もない。外に行く方がアルたちの役に立てるだろう」
気分転換と言うなら、アルがそれを止めるわけにもいかない。そもそも、クインがアルたちへの協力として提示した、先読みの乙女に関する情報は、全て受け取っているのだから、クインの自由な行動を推奨すべきだろう。
クイン一人を外に行かせることを、少なからず心配してしまうが、それはアルの個人的な感情。あるいはブランも同じように思っているかもしれないが、やはりクインの行動を妨げるほどの理由にはなりえない。
「……役に立てる、ということは、また情報を集めてきてくれるのか?」
口を閉ざすアルとブランを尻目に、ヒロフミが期待の籠った眼差しで尋ねた。
クインは目を細め、柔らかい表情で頷く。
「ああ、そのつもりだ。先ほどまでの話を聞いていると、アルたちはどうやら、ヒロフミたちよりも先に、世界を渡った存在がいないか気にしている様子」
アカツキの婚約者の存在を明確に口にせず、クインが首を傾げる。
「――ならば、それについて、地下に生きる者たちに尋ねてみよう。何か答えがあるかもしれぬ」
「それは助かる。俺たちがここに来た以前のことなんて、ほとんど知る術がないんだ」
ヒロフミが即座に返事をする。クインは満足げに頷いて腰を上げた。
「であれば、吾はやはり早く外に行くべきだ。みなの健闘を祈っておるぞ」
もう出立するつもりらしい。宣言から行動までのスピードが速すぎる。
アルは目を丸くして固まった後で、慌てて立ち上がった。
「出発するなら、見送りを――」
「いらぬよ。アルたちも忙しかろう? 今回のことを考えると、アルたちにとっては、さほど長い別れにはならんだろう。のんびり再会を待っていてほしい」
クインの手がアルの頭を撫でる。次いで、落ち着かない様子で尻尾を揺らしているブランの頭を撫でると、にこりと微笑んだ。
「――さらば」
ふわりと風が吹いたと思うと、クインの姿が消えていた。
アルは慌てて窓辺に駆け寄る。遠い空に白い巨体が見えた。
「……行っちゃった」
あまりに速すぎる動きに、アルは暫く呆然としてしまう。ブランがアルの肩に跳び乗り、同じように空を見上げた。
『相当暇だったんだな。即実行するのは構わんが、我らを振り回さないでほしいものだ』
「そんな憎まれ口を叩いて……寂しいくせに」
ブランの愛情の裏返しのような言葉に、アルは苦笑しながら踵を返す。
行ってしまったのなら、もうどうしようもない。アルたちは自分にできることをしながら、帰りを待つだけだ。
「――あるいは、僕たちが迎えに行ってもいいね」
『なんだと?』
不意に生まれた考えに、アルは顔を上げた。ブランが不思議そうに首を傾げる。
「ここでの作業が早く終わったら、僕たちも外に出るってこと。……ほら、ブランも、飽きてきてるでしょ?」
『おお! そうだな。外でしか得られぬ情報もあるかもしれんからな!』
一気にテンションを上げたブランは、よほどここでの生活が暇らしい。
アルは苦笑しながら、それも当然かと頷く。
旅から離れてあまりに時間が経ち過ぎた。クインではないが、ここらへんで少し、自由な空気を吸いたい気分であるのは、アルも同じである。
「外でしか得られない情報、というと……マルクトさん、何か情報を得られていないかなぁ」
異世界転移の方法を調べると言ってくれていた精霊の存在を思い出し、アルはぽつりと呟く。
「トラルースの友か」
「あぁ、仲が良いらしいですね?」
テーブルに戻ったアルの呟きを拾い、ヒロフミが反応する。その言葉で、アルはマルクトとトラルースの関係性を思い出した。
ヒロフミはトラルースとは親しいようだったが、マルクトとはあまり関わりがないらしい。それは、マルクトが自分で創り出した空間に、ほとんど引き籠っていることを考えると、すぐに納得できる。
「魔法の才能は精霊一だと聞いたことがある。……この魔法陣も、解析できないようだったら、そいつに知恵を求めてもいいかもしれないな」
ヒロフミが指先でぴらりと紙を振った。無事【
「そうですね。僕なら、精霊の森を訪れることも可能でしょうし。――それはそれとして、その【
問題は山積しているが、アルは好奇心に負けて、ヒロフミにねだった。ブランがジト目で見上げてきたが、気づかなかったことにする。
「ははっ! もちろん、いいぞ。この魔法陣の解析は難しそうだからな。気分転換がてら、【
笑ったヒロフミは、ここ暫くの気鬱さを吹き飛ばしたように、明るい声音だった。アルの提案は、ヒロフミにとっても好ましいものだったらしい。
「宏兄……」
「宏……」
サクラとアカツキが、呆れたようにヒロフミを見据えた後、アルに視線を移してため息をついた。
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