第337話 偶然の産物?

 クインから得られた情報は一旦頭の隅においておき、昼食を楽しんだアルたちは、知識の塔の中で、分析作業に精を出すことにした。


 この作業も、あともうひと踏ん張りで成果が出そうなので、がんばりたい。そんな奮い立たせた気合いで作業に集中していたのだが、ふとおかしなことに気づく。

 ブランが、アルたちの足元で動き回っているのだ。普段昼寝をしたり、狩りに出かけたりしているブランにしては珍しい。


「……何をしているの?」


 一枚、読み解く前の文章が書かれた紙が、開けた窓から吹き込む風に攫われて、床に舞い落ちたのを合図に、アルは顔を上げる。落とした視線の先では、ブランが首を傾げて固まっていた。


『……邪魔をしたか』

「そうだね」


 誤魔化すことなく肯定すると、ブランの尻尾が気まずそうに緩やかに揺れる。どうやら申し訳なく思っている様子だ。


「――腹ごなしの運動というわけでもなさそうだけど」


 アルは床の上の紙に手を伸ばしながら、不審な行動をしていたブランの意思を探る。


『確かに、そういうわけではないが――』


 曖昧な返答をするブランに、アルは眉を顰めて、なおも問い質そうとしたところで、ブランの行動よりも不思議なものを目にした。

 テーブルの下に、たくさんの紙が散らばっている。作業中のみんなの手元を見ると、明らかに紙の数が少ない。つまり、それだけの数の紙が、テーブルから落ちていたのだ。


 まったく気づいていなかったアルは、どれだけ集中していたのかと、思わず苦笑してしまった。周りが見えていないにもほどがある。


 拾い集めるために、改めて椅子から立ち上がり、床に膝をついたところで、ブランと目が合った。しかも、アルが拾おうとした紙に、ブランが手を乗せている。これでは拾えない。


「ブラン――」


 とりあえず呼びかけて、目顔で「退いて」と伝えるが、ブランは躊躇いがちに首を横に振った。

 こんな状況で、徒にアルの邪魔をするとは思えないのだが、その意図がまるで分からない。


 先ほどからの不審な態度も合わせて、改めて問いかけようと口を開いたアルを押し留めるように、ブランがジッと見上げてくる。


『先ほどから、風がおかしい』

「風? そういえば、今日はやけに風が吹いているね」


 アルが窓の方を振り向くと、カーテンが揺れていた。

 この場所は、サクラたちが管理する異次元回廊の中にある。当然、天候もサクラたちにより管理されていて、過ごしやすい環境になっていた。

 風についても、本来ならば作業の邪魔をするほどのものではないはずである。


「――あぁ、だから、おかしいのか……」


 ブランの態度と合わせて、なんともおかしな状況が続いている。アルはここでようやく、真剣に違和の元を探るように視線を動かした。


 知識の塔内では、ヒロフミとサクラがテーブルにつき、真剣な表情で本をめくり、何かを紙に書いている。その集中具合は、アルとブランのやり取りにも気づいていない様子からもよく分かる。

 先ほどまではその一員だったアルは、紙が床に散らばっても気づかなかった理由を悟り、すぐに目を逸らした。


 少なくとも、ヒロフミとサクラに異常がないことは理解できた。では、他に何が、と視線を巡らせ、アルは遠くの窓の傍で座り込む、アカツキの姿を見出す。

 床にぺたりと座り、無心で空を見上げているようだが、いったい何を思っているのかまったく分からない表情だ。


「……珍しい。アカツキさんって、結構ころころと表情が変わるのに」


 無表情のアカツキを思わずじっと見つめていると、ブランの声が聞こえる。


『そうか? あやつは、アルたちと話している時は活動的な雰囲気だが、それ以外ではたまに壊れた魔道具のように固まっているぞ』

「え……?」


 アルはまったく知らないアカツキの姿だった。ブランの顔を見ても、冗談を言っているようには見えない。そもそも、ブランがこのような冗談を好んで口にするわけがないのだが。


「それ、本当?」

『うむ。アルに関わる時はそんな様子がないから、気づかなくても仕方あるまい』

「どうして、それをブランが知っているの?」


 ブランの言葉は理解できるものの、ひとつ納得できないのが、ブランはどこでそんなアカツキの姿を目にしていたのか、ということだ。

 ブランはアルと共に行動していることが多く、そうなるとアカツキを見かけるのも、アルがいる場所であることが多いはずなのだ。


『最近、アルたちはここでの作業ばかりで、我とあやつは暇をしているからな』

「ああ、なるほど。……つまり、今日みたいな感じが、実はよくあったということだね」

『そうだな。さして珍しくない』


 ブランにとっては珍しくなくとも、アルは気になって仕方ない。とはいえ、今は他に気にするべきことがあるだろうと、追究を諦めたようとしたところで、ブランが言葉を続けた。


『――だが、今日のおかしな現象に、アカツキが関わっていないとも言えない』

「どういうこと?」


 謎めいた言葉だった。アルは理解できず、首を傾げる。

 知識の塔内で見受けられた異変は、床に散らばったたくさんの紙と、何故か強く吹き込む風、そしてアカツキの静かな表情くらいだった。おかしな現象と言い切るには、少し根拠が弱い気がする。


『これを見てみろ』


 ブランが示したのは、散らばった紙だった。

 アルは拾おうとしていた紙を床にそのままにして、ブランが何を言おうとしているのか探りながら視線を落とす。


「……普通に、白い空間に書かれていた文章だけど。これ、解読前のものだよね」

『そうだな。我には分からん言葉ばかりだが、言いたいのはそれではない。細部ではなく、全体を見るのだ』

「全体?」


 相変わらずブランの意図が読めないが、言われるがまま、意識して、文字より光景全体を捉えるようにしてみる。

 ふと、文字がぼやけて、黒い線が何重にも描かれているように感じられた。思わず目を見開く。


「……魔法陣?」

『やはり、そうなのか? アルが魔道具を作るときに使っているものに似ている気がしてな』


 アルの言葉で確信を得たように、ブランが息をつく。アルはジッと魔法陣のように見える文字の重なりに目を凝らした。

 脳裏で描き直してみても、これは魔法陣だと勘が告げる。ただし、その効果は今のところ分からない。


「……どうやって、この配置に?」


 テーブルの下で動き回っていたのはブランである。紙を拾い集めていたのだろうから、ブランがこの配置に紙を並べたのだと、アルが判断して当然だった。

 だが、ブランは首を振って否定する。


『我ではない。風が運んだのだ。一枚、二枚と落ちてきて、自然とこの配置になった』

「へぇ……それは、興味深い」


 アルはぽつりと呟く。好奇心がうずうずと疼いていた。

 ブランは『自然と』と言ったが、本当に自然に、何者の意思も介さず、このような配置になることがあろうかと、疑問に思う。

 そして、その疑問は、ブランも当然抱いていたのだろう。アカツキの方へと顎を向けて、目を光らせる。


『あやつが、不意に窓際に座り込んだ途端、風が吹き込み始めた。落ちた紙を拾おうとしても、いつの間にか元の場所に戻ってしまう。明らかに、おかしな現象だ』

「それは、確かにおかしい」


 ブランに頷き、アルは少し前に放たれた言葉を反芻する。

 ブランは初めから、このおかしな現象にアカツキが関係している可能性を考えていた様子だった。それには確かな根拠はなさそうだが、ブランの勘を無視するほどアルは愚かではない。


「アカツキさんと、不思議な風――それが描き出した不思議な魔法陣ねぇ……。この場合、魔法陣を描き出すのに使われた、この文字は関係しているのかな」

『どうだろうな。少なくとも、使われている紙は、全て解読前のもの。アカツキが書き取った文字ばかりが使われているようだが』

「なるほど。それも、アカツキさんがこの現象に関与している根拠のひとつになるかな」


 呟いたアルはとりあえず、描き出された魔法陣を書き写すため、新しい紙とペンを手に取った。

 謎の追究は、その作業の後でも遅くはあるまい。

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