第335話 気分転換

「――あーっ、もう、やめやめ! 辛気臭い話しゅうりょーっ!」


 アカツキが突如叫んだことで、静かな空気は一瞬で消え去った。


「辛気臭い話って……結構重要な話だろ?」


 呆れた表情でため息をつくヒロフミ。アカツキはヒロフミを睨みながら、ぐったりとテーブルに凭れた。


「重要なんだろうけど、推測の域を出ないことばっかじゃん。それに、俺らの最終目標は元の世界に帰ることだろ。関係ないことまで手を出す必要ないじゃん」

「じゃんじゃん、うるせぇ」


 不貞腐れたような呟きを、ヒロフミが咎める。

 アルは苦笑しつつ、空を見上げた。朝から話し合いを始め、既に日は中天にある。長い間頭を働かせることになったから、アカツキが疲れてしまったのも無理はないと思った。


「先読みの乙女やイービルについて考察することは、決して目的に関係ないことだとは思いませんが、ちょっと集中しすぎてしまったのも事実ですね。気分転換に、そろそろお昼にしましょう」

『飯! 肉だぞ、肉!』


 アルの提案に真っ先に反応したのは、予想通りブランだった。尻尾を振りながら、アルの肩に手を掛けて立ち上がり、なんとも嬉しそうにねだってくる。


「はいはい、お肉ね。どう調理しようか」

「私も作る。ハンバーガーみたいなジャンクフードが食べたい気分だなぁ」


 サクラが言いながら、調理スペースに移動を始めた。その背に向かって、ヒロフミが口を開く。


「フィッシュアンドチップス」

「肉料理じゃない。でも、採用!」


 振り返って親指を立てるサクラに、ヒロフミはニヤリと笑って頷いた。


「……宏も実は結構やさぐれた気分だろ?」

「お前ほどじゃない。思考停止はしてないから。ただ、可能性を頭に留めておくだけで、今のところは十分だって片づけたら、無性に腹が減った」

「……やさぐれてんじゃん」


 肩をすくめるヒロフミを、アカツキがジトリと睨みつつ、体勢を起こす。


「――桜~、俺、てりやきバーガー食いたい。あと、チキンナゲット。バーベキューソースで。あ、ケチャップで味変もしたい。ポテトフライは色んな味があってもいいと思うなぁ」


 次々に要望を伝えるアカツキを、サクラが呆れた表情で睨んだ。


「ここ、ファストフード店じゃないんだけど。街で食べて来れば?」

「ちょっと、冷たくない? 宏の要求は受け入れたくせに……兄差別? っていうか、街にファストフード店あんの?」


 めそめそと泣き真似しているアカツキは、サクラに無視されていた。代わりにヒロフミが頷いて、近くの紙になにやら書き始める。

 アルもサクラの手伝いをしようと立ち上がったが、ヒロフミの作業が気になって、背後から覗き込んだ。


「……地図?」

『あの影が動き回っている街の地図だな』


 アルの肩から一緒に覗き込んでいたブランが呟く。


「え、よく分かったね。街を全部歩いたことないよね?」

『上空を飛んでいたら、普通に把握できる』

「……そんなことは、ないと思うけど」


 アルの常識にはない返事に、思わず苦笑してしまった。覚えようと思って観察しなければ、あの大きな街全体を把握するのは難しいと思う。


「ん。暁にやる。暇だからって、遊び倒すなよ」

「おお? ありがとう……?」


 書き上がった地図を手渡されたアカツキは、困惑の表情で見下ろした。だが、すぐに、『ファストフード』『イタリアン』『ラーメン』『中華料理』などの文字を見て、目を輝かせる。


「これ、料理の名前か何かですか」


 アルが話の流れから推測して尋ねると、ヒロフミは軽く頷き、説明してくれる。


「料理名もあるし、系統の名前でもある。食う場所だけじゃなくて、衣服や雑貨類を買えるところも書いてあるから、アルも気になったなら参考にするといい」

「へぇ……そういえば、アカツキさんとブランが、いろいろ買ってきてくれたことがあったなぁ」

『うむ。なかなか面白いところだったぞ。アルも行こう』


 珍しく食事や狩り以外でのお出かけの誘いに、アルは微笑み頷く。

 最近、根を詰めて作業していることが多かったから、気分転換に出掛けるのもいいだろう。何が欲しいというのはないが、ヒロフミたちによる珍しい物を手に入れられるかもしれない。


『……ほう、楽しいところなのか』


 クインも興味深そうに目を輝かせていたが、アルは誘うのを躊躇う。何故なら、あの街を見る限り、クインの巨体が入れそうな店はなかったからだ。

 ヒロフミも若干困った表情になっていて、「クインでも入れそうな店を作っておくか……?」と呟いている。


「……やることの規模が大きい」


 アルは思わず苦笑してしまった。ブランは呆れた顔でクインを見て、『自分の大きさを考えろ。人間仕様の街を散策できるわけがあるまい』と叱りつけている。


「あれ。クインさん、人間の形はとれなくなっちゃってるんです?」


 地図から顔を上げたアカツキが、きょとんと目を丸くしてクインを見ていた。その指摘で、アルも「確かに」と呟いてクインを見つめる。

 クインは以前、人間のような形をとっていた。ブランが使う変化は大きさを変えるものだが、クインはそれ以上に大きく見た目を変えられるのだろうか。


『あれは、存在が歪んでいたからではないか? 自分が聖魔狐ということすら忘れてしまっていたからこその能力だろう』


 ブランが言う横で、クインが目を瞑って考え込んでいる。


『……いや、できるかもしれぬ。というのも、変化によって大きさを変えることができるのは、変化先の姿が想像しやすいからだ。吾らは成長により大きくなっていくからな。今のブランのような姿は、幼体化していると言ってもいい』

「幼体化……だから、単純に小さくなっているんじゃなくて、丸っこくて可愛くなっているんですね」


 アルが密かに抱いていた疑問が解消された。

 ブランはクイン同様、変化していない姿では結構猛々しい雰囲気がある。それが本来だというのに、肩乗りサイズの時は愛嬌が溢れる姿なのは何故だろうかと思っていたのだ。

 この見た目が幼体であるならば、納得である。たいていの生き物は、幼い頃は可愛らしいものだ。


『丸っこくて、可愛い……』


 ブランがなんとも言えない雰囲気で、ぼそりと呟いた。不満があるわけではなさそうだが、かといって全面的に受け入れるわけでもなく、納得していないのが伝わってくる。


「見た目は可愛くても、中身は可愛くないよ」

『そこは中身も可愛いと思え!』

「……可愛いで、いいんだ?」


 瞬間的に反発してきたブランに、アルは首を傾げた。ブランの方も『なんか違うな……?』と首を傾げている。


 内容のないやり取りをするアルとブランを微笑ましげに眺めていたヒロフミが、クインに視線を移す。


「つまり、クインは人間の形を想像できるから、変化できるってことか?」

『うむ。やってみよう』


 論より証拠と言わんばかりの即断即決具合で、クインが動いた。集中するように目を瞑った一瞬後には、視界を埋め尽くさんばかりだった巨体が消える。


「……できた、か?」

「できてますね。凄い!」


 女性の形で、頭には獣耳、背後では尻尾がふさふさと揺れている。人間と言い切るには異形だが、かつて見たことがある姿に相違なかった。


「獣人だ。やっぱ可愛いな!」

「……久々に、ファンタジーを感じた。そういや、暁が作ったゲームにも、獣人って種族がいた気がするなぁ。これはこの世界とはちょっと違ってるか。真剣に、差異を検証してみるのもいいかもしれねぇな」


 何故だか嬉しそうなアカツキと、しみじみと呟くヒロフミ。対照的な反応だが、クインの姿は好意的に受け止められているようだ。

 それを察したクインは、満足そうに微笑み頷く。聖魔狐本来の姿より表情が分かりやすくて、アルも好ましいと思う。


『……ふん! 人のなりより、我のような姿の方が美しいだろうに』

「あ、確かに。ブランのような、幼体化でも良かった気が――」


 自分ができないことをあっさりやってのけたクインに、ブランは拗ねてそう言ったのだと分かっていた。でも、アルもクインがわざわざ人の形を選んだ理由が気になる。


 クインはアルとブランを見比べて、なんとも慈しみ深い笑みを浮かべた。


「吾は子のための場所を取る気はないからな。そのためには、己で歩きやすいなりの方が、都合がいい。共に散策してくれるのだろう?」


 言いながら、アルの肩を軽く指で突いたクインが、サクラの方へと歩いていく。「手伝おう」と声を掛けているから、昼食にはクインのお手製の物が出て来るのかもしれない。


 そんなことを考えながら、アルは突かれた肩を見下ろした後、反対側にいるブランに視線を向けた。


「……ブランのための場所?」

『……確かに、母であろうと、譲る気はないな』


 ぼそりと呟いたブランは、アルの抗議を聞く気はないと言わんばかりに、耳を伏せて肩で寝そべった。

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