第334話 善悪の対

 イービルはヒロフミたち魔族をこの世界に呼び寄せ、現在も悪魔族と呼ばれる者たちを操り、世界を崩壊へと導こうとしている存在だ。サクラ曰く、神を僭称する者。


 その能力だけを考えるなら、神に匹敵するのかもしれないとは、アルも思っていた。

 ヒロフミたちをこの世界に呼び寄せるなんて、異世界に干渉する術が可能なのは、神くらい常識外れな能力の持ち主でないと無理だろうと、感覚的に理解していたからだ。


 創世神により世界の管理者として存在している精霊すら、異世界への干渉方法は分からないと言っていた。このことから考えても、イービルがいかに特殊な存在であるかは明らかだ。


 イービルの名を呟いたきり、考えに沈み込むアルとヒロフミを、クインたちが険しい眼差しで見つめた。


『……吾はイービルというモノを詳しく知らないが、それはアテナリヤに反する存在ではなかったか?』


 疑問を投げかけるクインに、サクラが頷く。


「そうよ。イービルはアテナリヤが生み出し、管理しているこの世界を、壊そうとしているんだもの」

『だが、野放しにはしている』


 ブランが皮肉っぽい口調で呟いた。アルはその言葉が気に掛かり、思考を中断してブランを見下ろした。ヒロフミもジッと視線を注いでいる。


「どういう意味?」

『そのままだ』


 僅かに目を眇めながら、ブランが後ろ足で頭を搔く。その仕草が、落ち着かない気持ちを表したものだと、アルだけが気づいていた。


『――ヒロフミたちがこの世界に現れた時期を考えると、イービルは遥か昔からこの世界に存在していたはず。だが、アテナリヤはこれといってイービルを排除しようとする行動を見せていない。手足となるだろう精霊も、悪魔族の動きは警戒しているが、イービルに対し明確な敵対行動をしているようには感じられない。……これを、野放し以外のなんと呼ぶ?』


 ブランの言葉に、アルは「確かにそうだね」と頷いた。アルとブランの知る限りでは、アテナリヤのイービルへの敵意はあまり感じられない。

 一時イービルの元にいて、現在はアテナリヤの庇護下にいると言えるヒロフミたちはどう思うのかと、アルは視線を向けた。


「……確かに、アテナリヤは直接的にイービルを倒そうとしている感じではないな。少なくとも、悪魔族と呼ばれるあいつらと行動を共にしている時であっても、アテナリヤが何かしてくるってことはなかった」

「そうね。でも、許容しているわけではないと思うけど。むしろ、私たちがイービルを倒せばいいと思っているんじゃないかな」


 二人は少し困惑した表情だった。ここに来て、創世神たるアテナリヤにとって害であるはずのイービルを、どう捉えるべきか分からなくなってしまったのだろう。

 ヒロフミたちは、自身らの不遇への復讐とも言える感情で、イービルと敵対している。だから、アテナリヤの考えがどうであろうと気にしなかったのだ。


「……待って、待って。ちょっと、話を整理しよう」


 混乱した口調で話し始めたのはアカツキだ。世情にも、ヒロフミたちが抱える裏の情報にも一番疎いから、すっかり話を理解できなくなっているらしい。

 アルも話を整理しようという提案に否やはないので、無言で先を促した。


「――宏とアルさんは、イービルが神みたいな存在だと思ったんですよね?」

「神みたいというか……」


 確認するように問いかけられて、アルはヒロフミと顔を見合わせる。同じ思いであるか、探る視線を交わした結果、言葉を続けた。


「――先読みの乙女のように、創世神アテナリヤから分かたれた存在である可能性を考えました」

「俺もそうだな。自然発生的に、アテナリヤ以外の神のような存在が生まれた可能性もあるが、それにしてはイービルは不自然に思えたから」

「不自然?」


 補足するヒロフミの言葉を拾い上げ、アカツキが首を傾げる。サクラも理解できていないのか、真剣な表情で話の展開に耳をすませていた。


「ああ。日本だと、神は自然の中に遍在するものだ。それは、人間の力を越えた、自然の驚異というものに、真摯に向き合ってきたからこそ生じた宗教観だろうな。同時に、日本神話で語られる神のように、建国の神なども存在する。これはある種、日本という国のアイデンティティを確立するために、人間が生み出した概念だろう。少なくとも俺は、そういう神の実在を知らない」


 急に始まった宗教談義に、アカツキはポカンと口を開け、サクラは苦笑した。アルは興味深く耳を傾ける。


「――だが、この世界では、そういう宗教は成立していないんだ。神といえば創世神だし、昔はアテナリヤが奉じられていたが、今は人間の世界ではその立場をイービルが乗っ取っている。だからと言って、アテナリヤが創世神の立場を譲り渡したわけではない。この世界の人間がイービルの名で創世神を信仰しようと、アテナリヤが創世神であるという事実は絶対のものなんだ。人間が認識する名前の違いなんて、創世神の存在には全く影響を与えない」

「……どうして? 普通、信仰の力を失ったら、神は消えるものじゃないの?」


 アカツキが口を挟むと、ヒロフミはパチリと指を鳴らした。


「その考え自体が、日本での宗教観に基づいている。人間が信仰のために神を生み出したから、信仰されなくなったら神は消えたも同然だ、ということだな。だが、この世界では、実際に創世神アテナリヤありきで世界は創られ、管理されている。創世神にとって、人間の信仰なんてどうでもいいんだ。人間の信仰なんて関係なく、創世神は確固として存在しているんだから」


 ヒロフミはそこまで話すと、一同を見渡した。誰からも疑問の声が上がらないのを確認し、言葉を続ける。


「――この世界の人間は創世神以外の神を生じさせるような信仰を持っていない。創世神が唯一の神であると、誰もが思っているんだ。だからこそ、神と同じような存在として、イービルが生まれる隙がない。イービルの名が現在信仰するべき神とされているのは、イービルが生じた後に、神殿を乗っ取っただけにすぎない」


 イービル=神のような存在とした場合、その発生に大きな疑問が生じるのだと、ヒロフミは改めて言葉にした。


「イービルが信仰によって生じた神でないのなら、いかにして生じたのか。イービルがこの世界にいることは、あまりに不自然だ。――そこまで考えて、イービルが生まれるに至った可能性として一番高いと思ったのが、内部発生だ。つまり、アテナリヤの中からイービルが生じ、先読みの乙女と同様に、なんらかの不都合があり分離された。その際に神の力もいくらか持って分かたれても不思議ではない。実際、先読みの乙女という例がある」


 アルはヒロフミほど明確な考えは持っていなかったが、その説明を聞いてなんとなく納得した。


「……まぁ、それは、ヒロフミさんの個人的な考えであって、アテナリヤが実際にどう考えているかは分からないですよね。神の力でもどうしようもないことがあって、外部から侵入を許してしまったのかもしれません。あるいは、本来は精霊やドラゴン同様、世界の管理者として生み出したのに、どこかで歯車が狂って、世界に害を与える存在になってしまったのかもしれません」


 一応、客観的な意見を積み上げるアルに、ヒロフミは「当然、その可能性もあるな」と頷いた。

 アカツキたちが、突然意見を翻したように見えたヒロフミに、「え……?」と戸惑いの声を上げる。


「だが、アルだって、何か考えがあって、イービルがアテナリヤから分かたれた存在かもしれないなんて言ったんだろう?」


 外野の困惑なんて気にしていない様子で、ヒロフミがアル個人の意見を追究する。それに対し、アルは苦笑した。


「……そうですね。でも、僕のは、勘としか言えなくて――」


 そう前置きしながら、アルは一つ根拠を述べることにした。


「――世界に表と裏があるように、人間の感情には善悪が混在しているものだと、僕は思っています。だからこそ、先読みの乙女に違和感を覚えました。先読みの乙女は、アテナリヤの人間らしい感情を丸ごと抱えて分けられたにしては、あまりに善に傾きすぎている印象があるんです。でも、イービルが先読みの乙女同様、アテナリヤから分かたれた存在ならば、納得できる」


 アルは一拍おいて言葉を続ける。


「……先読みの乙女は、アテナリヤの世界を愛する思いを抱き分離された。イービルは、アテナリヤの世界を疎ましく感じる思いを抱き分離された。それにより、世界を守る者と害する者として、それぞれの存在が確立した。……なんだか、こう考えると、しっくりきてしまったんですよね。感覚での話になってしまい、申し訳ないんですが」


 それぞれが思考に沈むように、静かな時間が流れた。

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