第331話 残りの言葉
動揺するサクラを、ヒロフミがちらりと見てから、アルへと視線を移す。
「最初に思い浮かんだのは俺たちのことだ。だが、よくよく考えてみると、全ての始まりは俺たちではない。歪みの一端であるのは間違いないだろうが」
そう言われて、アルもすぐに気づく。
「イービルですね。その存在自体が、創世神アテナリヤの想定外であるのだから、この世界での異端です。そして、ヒロフミさんたちがこの地に来ることになった原因でもあり、全ての歪みの発端とも言えます」
サクラとアカツキが、「あぁ……」と吐息しながら頷く。二人も指摘されて思い至ったらしい。
「そうね。……イービルが歪みというのは、すごく納得がいく」
「そうだな。俺は会ったことがあったとしても、覚えてないし、すぐに思い浮かばなかったけど、元凶は明確じゃん……」
表情を和らげる二人を見て、アルは苦笑した。二人は、自分たちを正すべき歪みであると名指しされなければ、事実として受け止められるようだ。
先読みの乙女にとって、魔族や悪魔族は存在するべきではないとみなされていたとしても。
アルと視線が合ったヒロフミが、密かに肩をすくめて見せる。ヒロフミは冷静に事実を認め、自身が世界に歓迎されていない存在であると理解している様子だ。
「ようやく得られた救いが、全ての歪みを正してくれる、って言ってたということは、俺たちが帰還なり……なにかしらできる可能性があるってことだろうな。アルのおかげで」
ヒロフミは帰還できると断言しなかった。むしろそれ以外の可能性があることを危惧している様子だ。
アルはその言葉のニュアンスに気づき、僅かに目を細める。ヒロフミが危惧していることは、アルにとっても同じだった。
以前、アルは精霊の王に、魔族たちの帰還方法を尋ねた。異世界に転移する術があるのか、その可能性はどれくらいあるのかが気になったからだ。
返答はなんとも曖昧なもの。精霊の王は魔族の『帰還』という事象そのものに、何故か懐疑的に見えた。
あの時、精霊の王は『魔族はこの世に存在なきもの。無であればこそ、魔族である』と語った。
その言葉の意味を、アルはまだ理解できていない。
「あ、それは、前に宏兄が先読みの乙女に言われたことと同じよね?」
「だな。たぶん、代々の先読みの乙女のどこからかは分からねぇが、アルの情報は遥か昔から彼女たちの中で確かなものだったんだろ」
アルが考え込んでいる間にも、ヒロフミたちの会話は続く。
「アルさんって、いつから知られてたんだろ? 不思議だよなぁ。生まれる前から、存在していたみたいな?」
「そうねぇ。先読みの乙女が予知能力を持っていたんだとしても、現時点で生まれていない存在を、どうしてそこまで信じられたのかしら」
「誕生に先読みの乙女が関わってんだから、予知能力ありきで未来を導いた、ってことだろうな。信じていたというより、その未来を無理やり手繰り寄せた。……強引っつーか、必死っつーか、捉え方次第で善にも悪にもなりえる行動だよなぁ」
話が逸れて、アルに関して注目が集まった。それはアルも気になっていたことで、ちらりとクインに視線を向ける。
クインは心得たように頷いた。
『いつから、というのは明確には分からんが、およそ二百年前に生きていたと思われる先読みの乙女が、救いを見出したと語っていたようだ』
「へぇ……二百年前……。自分に関することながら、全然実感が湧きませんね」
アルが苦笑すると、ヒロフミたちも同意するように頷いた。未来を知る能力を持たない者が、その能力がどういうものか理解することは、やはり難しいことであるのだ。
「――さて、続きの言葉を解析しましょう。今日も文章の解析作業があるんですから」
「えっ……」
アルの宣言に、アカツキが何故か顔を引き攣らせて呻く。どうやら、今日は話し合いだけで終わるつもりだったらしい。
アカツキを全員がちらりと見たが、誰もが聞き流すことにしたようだ。
『続きの言葉というと……【いずれ生まれ来る我が子に、全てを託さなくてはならないことは心苦しい。でも、精霊もアテナリヤも、子に加護を与えることを決めてくれた。こんな機会は、最初で最後。私は私の全てを擲って、子の幸せと、困難に打ち勝つ強さを祈り続ける】だろうか』
「だな。それはひとまとめで考えた方が分かりやすいだろう」
思い出しつつ語ったクインに、ヒロフミが頷く。
「先読みの乙女は、僕に未来を託すことを、心苦しく思っていたんですね……」
アルはぽつりと呟いた。これまで先読みの乙女がアルに関して遺した言葉は、どれも未来を導くようなものばかりで、感情が窺えなかった。だから、母と先読みの乙女という存在への印象が、アルの中で上手く合致しなかったのだ。
優しく穏やかな印象の母。世界の安定や、よりよい未来へと導くために、様々な布石を打っている印象の先読みの乙女。
その二人が、ようやく同じ人物なのだと、少しだけ理解できた気がする。
「……というか、遺されていた後半の言葉は、先読みの乙女というより、アルさんの母親としての意識が強い感じがするわ。もしかしたら、共存していた意識は、表に出る強さがその時々で違っていたのかも」
「あ、それは俺も思った」
サクラの分析に、アカツキが頷く。アルはパチパチと瞬きを繰り返した。
言われてみれば確かに、前半と後半で言葉の印象が少しばかり異なる気がする。つまり、母は先読みの乙女だが、ごく普通の母親としての意識も持ち合わせていて――。
「……やっぱり、よく分からない」
アルは苦笑して、感想を呟いた。アルの中で、母親という存在をどう捉えるべきか、結論が出なかったのだ。
ブランがアルをちらりと見上げ、尻尾をぶつけてくる。顔をふわふわと擽られて、アルは思わずくしゃみをした。ムズムズするからやめてほしい。
尻尾をぱしりと摑んで遠ざけると、ブランがムッと不満そうな顔になる。
『何をする』
「尻尾がくすぐったいんだよ。わざわざ顔の前で動かさないで」
『わざとではないぞ。そういう気分だっただけだ』
「……それ、本当にわざとじゃないの?」
極めて疑わしいと、アルが目を細めて見下ろすと、ブランは下手な鼻歌を歌いながら目を逸らした。
その頭を軽く叩いて、アルは微笑む。
ブランがアルの思考を中断させようとして、ちょっかいを掛けてきたのだと分かっている。『つまらないことを考えて、落ち込んでいるんじゃない』と、言葉にせず告げたのだ。
おかげで、アルも思考を切り替えることができた。母と先読みの乙女が同一人物であろうと、アルにとっての母は一人だけ。それでいいはずだ。
「精霊やアテナリヤがアルに与えた加護ってなんだか分かるか?」
不意にヒロフミに問われて、アルは視線を上げた。なんだか微笑ましげな目で見られている。ブランとのやり取りをずっと見られていたようだ。
アルは苦笑しつつ、すぐに口を開く。その答えは、既に精霊の王から聞いていた。
「おそらく、精霊の魔力核を持ちながらも、こうして不具合なく生きていられる状態のことだと思います。大きすぎる力は、本来人間が受け止められるものではありませんから」
『ああ、そういえば、言われていたな。アルの誕生には、精霊だけでなくアテナリヤも関わっている。だからこそ、我が管理する生きた森の傍で生まれることになったのだ。あの地は、アテナリヤが干渉しやすい場所らしい』
アルの言葉にブランが補足する。あらかじめ話を聞いていたサクラたちは、「そんなこともあったね」と頷いていた。
「なるほどね。……つまり、先読みの乙女が望んだ救いは、アテナリヤにとっても望ましいものということか。アルの母である先読みの乙女は、そのために全てを擲つ覚悟をしていた、と」
ヒロフミが最後の言葉まで理解して、軽く頷く。アルは精霊から母のそういう覚悟の話は聞いていたので、ヒロフミの理解は間違っていないだろうと頷き返した。
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