第330話 世界の歪みが生じるのは
クインが頷き、続く言葉を告げる。
『次は【ようやく得られた救いは、きっと全ての歪みを正してくれるでしょう】だな』
アルはヒロフミに視線を向けた。ここにいる中で、一番頭脳派で世界のことに通じているのはヒロフミだから、その意見を聞きたかったのだ。
ヒロフミはアルの思いを察したのか、一度頷いた後、小さく首を傾げた。
「その言葉も、先読みの乙女の能力により、予知した内容だろうな。【救い】とは、先ほどと同じくアルのことを指しているだろう」
『だが、【全ての歪み】とはなんだ?』
アルよりも先に、ブランが疑問を呈した。アルもそれをヒロフミに尋ねたかったのだ。
アカツキやサクラも心当たりがないようで、首を傾げている。
全員の視線を受けたヒロフミは、苦笑して両手を挙げた。
「俺はなんでも知ってるわけじゃないぞ?」
「でも、宏兄なら色々情報を持っているはずよね?」
「そりゃあ、そのために長い間世界を彷徨いていたわけだからなぁ……」
サクラの期待の眼差しに、ヒロフミが手を下ろしながら宙を見つめる。「うーん……」と唸り、考え込んでいる様子だ。
アルたちはヒロフミの言葉を待ちつつ、それぞれの記憶を漁った。
アルが歪みと聞いてまず思いつくのは、精霊の王が語っていた【世界の崩壊】だ。
精霊の王は、悪魔族が作り出した兵器により、世界の魔力が奪われ、崩壊に至るのだと言った。そして、それを教えたのは、アルの母である先読みの乙女だということも。
先読みの乙女の望みが、世界の崩壊を防ぐことならば、魔力の消失を歪みと表現した可能性はあるだろう。
ただ、なんとなく意味合いが異なる気がして、アルはそれをみんなに告げる気になれなかった。【全ての歪み】というくらいだから、先読みの乙女が危惧していたのは、魔力の消失による世界の崩壊だけではないように思えたのも、告げるのを躊躇った理由の一つだ。
悩むアルの視界に、ヒロフミが映った。ちょうどアルに視線を向けていたようで、バッチリと目が合う。
暫く探り合うような間が生まれたが、ヒロフミが口を開いた。
「――正直、【全ての歪み】が何を指しているのか、事実を知っているのはアルの母親だけだろう。あるいは、それから継いだ者がいるなら、次代の先読みの乙女か」
ちらりと視線を向けられたクインは、すぐに首を横に振った。
『アルの母親の後、地下に生きる者と接触した先読みの乙女の情報はない。魂が継がれていないのか、それとも接触していないだけなのか。それは分からないが』
「情報がないってんなら、今のとこいないと仮定しておいていいだろう。……となると、やはり考察を重ねるしかないわけだが――」
ヒロフミがテーブルを指で叩きながら、首を傾げる。
「――先読みの乙女は、その言動から、世界を守り導くことを使命にしていると思う」
「それは俺も分かる。どう考えても、自分のための行動じゃないよな」
慎重に考えを述べるヒロフミに、アカツキがすぐさま同意を示す。アルたちもそこは異論がない。
先読みの乙女が、予知の能力によって世界の行く末を知り、より良い方向へと導こうとしていることは、この場にいる誰もが理解していた。
「ああ。その使命を考えると、【全ての歪み】っていうのは、世界に生じた不具合だと言い換えられるだろう」
「不具合、ねぇ……?」
サクラが首を傾げながら呟く。ヒロフミは頷きながら、クインとブランに視線を向けた。
「そこで聞きたいんだが、長く生きている者として、この世界にはどんな不具合が生じていると思う?」
『我らに聞くのか……』
『吾はほとんどの時間をここで過ごしているから、世界のことはよく知らぬぞ?』
ブランがゆるりと尻尾を揺らし、考え込む。クインは苦笑しながらも、記憶を辿るように視線を宙に向けた。
「宏兄が一番知ってるんじゃないの?」
二人が考えている間、サクラがヒロフミに問い掛ける。
「確かに、俺が一番よく知っているかもしれないが、だからこそ気づかないことが多い気がしてな。というのも、俺は世界の裏側で暗躍してたやつらの傍にいたわけで、そりゃあいつらが何をしでかしたかはよく知っているが、見方が偏っている自覚がある。つまり世界を俯瞰的に見ることができない」
「ふ~ん……そんなものなのね……?」
「ま、必要な情報を思い出したら、その都度言うけど、今は外側から見てた存在の話が聞きたい」
ヒロフミは世界で起きる問題の渦中にあり続けていたようなものだ。嵐の中にいる者が、外側からその嵐の全体像を観測することができないように、問題を問題として捉えられていない可能性があるということだろう。
アルがそう納得したところで、ブランが顔を上げた。
『我はほとんどの時間を寝て過ごしていたから、世界の変化について詳しくない。生きた森の中のことは、いくらでも知っているがな。ただ……思い当たることとすれば、人間の能力の向上が目覚ましいことだろうか』
「え? どういうこと?」
思いがけない言葉に、アルはすぐに疑問の声を上げた。ちらりとアルを見たブランが、言葉を続ける。
『人間の増えすぎを抑制するために、神は魔物を創り出したはずだ。それは確かに効果を示したし、我が生まれた頃には、人間の数は今より少なかった。だが、我が時々目を覚ます度に、数は著しく増えていった。それは魔物に対抗する力が向上したからだろう。魔法や武器という形でな』
「……つまり、ブランは、その人間の能力の向上が、神の想定する範囲を超えていると思っているの? 人口の増大が世界の歪み?」
アルは顔を顰めながら呟く。それに対し、ブランは軽く首を傾げ、『我のただの感想だ』と返した。
『……吾も、それは感じた。久しぶりに外に出たからなのか、人間の勢力圏が拡大していて、正直驚いた』
クインがブランに同調したことで、ブランの意見の信ぴょう性が高まった気がした。
アルはヒロフミたちと顔を見合わせる。
「ヒロフミさんは、これを聞いてどう思われるのですか?」
尋ねると、ヒロフミが考えつつ首を傾げる。
「……確かに、人間の数が増えている気はする。ただ、増減を繰り返しながらだから、どの時点と比べるかで、考え方は違ってくるな。それこそ、古代魔法大国が全盛期の頃は、今以上に人間は多かった。森を開拓していたし、多くの国が生まれたからな。でも、それは古代魔法大国が滅亡したことで、大きく変わった。人口が半減、までは行かないが、相当に減ったはずだ。対照的に、森は拡大した」
アルはヒロフミの意見を聞いて頷く。ここ最近、たくさんの国の勃興の歴史を書物で読んでいたから、すぐに理解できた。
世界の人口は増えているが、それは増減を繰り返している中で、今が増加の時期にあるだけだということだ。
『……そう言われてみると、そうか。我が生まれたのが、人間が少ない時だったから、増えたと感じるだけかもしれん』
『そうだな。吾もそう思えてきた』
ブランとクインが顔を見合わせ、軽く尻尾を振る。
結局、この二人に聞いても参考になる意見は得られなかったということだ。アルは悩みつつ、ヒロフミに視線を戻した。
「それなら、歪みって、なんでしょう?」
振り出しに戻った問いに反応したのは、予想外なことにアカツキだった。
「……それ、やっぱり俺たちなんじゃね?」
「え……」
苦虫を噛み潰したような表情で言うアカツキに、サクラが目を丸くする。
アカツキはヒロフミを見据え、さらに言葉を続けた。
「宏も、実は気づいてんだろ? 認めたくないだけで。目を逸らしてても、話が進まないだろ」
アカツキとヒロフミの視線がぶつかった。どちらも顔を顰めていて、緊張感のある空気が満ちる。
「……そうだな」
ヒロフミが大きなため息と共に呟く。顔を俯け、額を何度か叩いたかと思うと、視線を上げた。
「――暁に言われるとは思わなかったが、正直、世界の歪みとして真っ先に思い浮かんだのは、俺たちのことだ」
アルもなんとなく悟っていた。
この世界には裏側がある。普通に生きていたら知り得ないことがたくさんある。
その最たるものが、異世界から来た存在という異分子でありながら、何よりも世界に影響を与えている彼らだ。
「私たちが、この世界での、全ての歪み……?」
サクラがか細い声で呟いた。
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