第323話 クインとヒロフミ

 翌日はいつも通り明るい日差しが降り注いでいた。

 テントから出たアルとブランを迎えたのは、まじまじとこちらを見つめてくるクインの姿だ。直ぐ近くで身を伏せて、興味津々な眼差しでテントを覗き込んでいる。

 アルたちが思わずぎょっと驚いて身を引いたのも当然なくらい、クインからは圧のようなものを感じた。


「お、おはようございます……どうかしましたか?」

『な、なんだ? 何かあったか……?』


 動揺の表れる声で尋ねると、クインがパチリと瞬きをした。


『おはよう。――人の住む家とは、面白いものだと思ってな』

「ああ……テントとか、あまり見たことがないんですか?」


 身を起こしたクインは、ついでとばかりにアルとブランに頬ずりする。これがクインなりの挨拶なのだろう。クインはブランと同じで柔らかい毛並みだから、少し擽ったいが、なんだか温かな気持ちになるから、アルは拒む気がしなかった。


『うむ。単純な構造のようだが、人の知恵が込められているのだろうな』


 感心した口調で呟くと、クインはグッと背を伸ばす。日差しの下にある白い巨体は、目に眩しいほど輝いて美しく見えた。

 アルは目を眇めつつ観察し、昨夜クインを見て感じた疲労した雰囲気が消えていることに気づいた。クインも十分休めたようだ。


『人とは工夫する生き物だからな』

『そうだな。力弱き者なれど、知能は全てに勝る』


 ブランとクインがなんとも人外な雰囲気の言葉を交わしているのを横目に、アルは調理スペースに向かった。そろそろアカツキたちが起き出してくる頃合いである。朝食の支度を始めても、早すぎることはない。


「あ、クインは何を食べますか? というか、ここ暫く、きちんと食事をとっていましたか?」


 振り返りながらアルが尋ねると、クインは軽く頷いた。だが、続けて苦々しい口調で呟く。


『とってはいたが……生肉は暫くいらんな。久方ぶりの野趣の味わいだった』

『分かる。アルの調理したものを食うと、これまでの食い物が味気なく感じる』

『ああ、それなりに旨い肉を狩ったつもりだったが……。アルが作ったものならば、吾はなんでもよろこんで食べるぞ』


 アルは口中で「野趣の味わい……」と呟きつつ、クインの食生活を察して苦笑した。普通の魔物は、魔物を食べるにしても味付けをすることはない。ほとんどは生肉にそのまま食らいつくものである。


 ブランは自らが生み出した火で炙り、肉を食べていたこともあるようだが、アルと出会ってからは、そのような食事をとることはほとんどないはずだ。アルが調理した料理を好んで食べて、野生の生き物らしさはほぼ消えている。


 それがいいのか、悪いのか。アルには魔物としての在り方にどうこう言える立場ではないので、彼らが望むならば、望むような食事を提供することに否やはない。


「じゃあ、適当に作りますね」

『肉だ!』


 アルはクインに伝えたつもりだったが、要望してきたのはブランだった。僅かに呆れながら見下ろし、『なんだ?』と言いたげに首を傾げているブランの姿にため息をつく。

 だが、クインが密かに尻尾を揺らしていることに気づき、アルはにこりと微笑んだ。


「たくさんのお肉を使いましょう。ブランと一緒にたくさん狩ったので、売るほどあるんですよ」

『ははっ。この子に食べさせようと思ったら、売る暇もなさそうだな』

「……それは確かに」


 元々売るつもりはなかったとはいえ、アイテムバッグに収納している大量の肉をブランが食べ尽くす光景は想像に容易い。肉を補充する手間を考えたら、売るなんてありえないことだった。


 アルは苦笑しながら調理を始める。ブランたちとは違い、朝から大量の肉を食べる気にはならないので、人間用の食事はどうしようかと頭を悩ませた。


「――あら、早いのね。私も手伝うわ」

「おはようございます、サクラさん」

「俺もいるぞー……っと、久しぶりだなぁ、白いの。覚えてるか?」


 駆け寄って来たサクラに続いて、ヒロフミが姿を現し、クインを見上げて首を傾げる。

 アルはその姿を見て、ヒロフミとクインが、解放されてから初対面になるのだと思い出した。過去には異次元回廊内で多少なりとも交流があっただろうが、どのような関係だったかは聞いていない。そのため、少し興味をそそられて、調理の合間に様子を窺う。


『おお、術師よ。覚えているぞ。健壮そうでなにより』

「まあ、俺らは体に異変が出ないからな。それにしても、その姿の方がうんと美しいな」

『なんだ、吾を口説いているのか』


 ヒロフミとクイン以外に動揺が広がった。アルとサクラは咽てしまうし、ブランは愕然とした表情でヒロフミを凝視している。


「ははっ、そういうわけじゃないが、正直な感想だぞ?」

『そうか。では、素直に受け入れよう。……吾はアルからクインという名を与えられた。そなたもそう呼ぶといい』

「承知。それにしても、元の世界でも、クインのような生き物がいればいいんだけどなぁ」


 アルたちの動揺を気にせず、ヒロフミとクインがマイペースで会話を続ける。おかげで、アルたちも少しずつ落ち着いてきた。魔物を口説くという、ヒロフミの意外な一面は存在しなかったのだ。

 それにしても、アルたちに対してと、クインに対しての話し方が違う気がして、アルは首を傾げる。


「どうして、元の世界でも、クインのような存在を望むのですか?」


 アルはニホンという国に、魔物のような脅威の存在がいないことを、これまでの会話の流れで学んでいた。その知識を元に考えると、ヒロフミがクインのような偉大な魔物を望む理由がよく分からない。


「ん? そりゃあ、呪術師の相棒として、魔なるモノは最適だからだ。共に戦う者は、強く美しい方がいいだろう?」

「宏兄はどんなサバイバル空間で生きていたの……」


 ニヤリと笑ったヒロフミに、サクラが目を細めて呆れた様子で言葉を返す。ヒロフミの言葉は、ニホンで一般的な考え方ではないことがその様子から伝わってくる。


「ここよりも、ある意味暗く、人間の闇が蠢く場所だな」

「アルさんに誤った日本知識を植え付けんな」


 嘯くヒロフミに突っ込みをいれたのは、眠たげに細めた目をこすりつつやって来たアカツキだった。


「――呪術師だった宏が特殊なだけで、日本はそんな場所じゃないですからねー。誤解しないでくださいねー」

「ええ、まぁ、それはなんとなく分かっていましたけど」


 アルに告げつつ、アカツキがアプルの欠片を口に放り込む。朝食のデザートだったのだが、流れるようにつまみ食いされてしまった。

 しゃくしゃくと音を立てアプルを噛み、飲み下すと、アカツキがヒロフミを見つめる。


「宏、呪術師の相棒に相応しいからって、クインを口説くなよ」


 アルたちは再び動揺してしまって、まじまじとアカツキとヒロフミを見比べた。ヒロフミは真面目な表情のアカツキに吹き出して笑っていたが、何度か頷いて肩をすくめる。


「ふはっ……悪い悪い。いい相棒になりそうだと思ったら、とりあえず褒めるのは俺の癖だ。口説いているわけじゃねぇ。――まぁ、元の世界に帰れたら、ぜひその形を式に取り入れたいものだが」


 ヒロフミがクインを流し見る。クインは僅かに目を眇めてから、尻尾をゆるりと振った。


『吾の美しさに惚れるのは致し方なし。愛でる分には構わんよ。……式が何かは分からんが』

「ちょっと、クイン! 分からないのに受け入れるんじゃないぞ!」


 アカツキがすぐさま叱りつけるが、クインは気にした様子もなく楽しそうに笑う。


『吾は人の思いに気づかぬほど愚鈍ではない。それは真に吾の姿に惚れているだけだ。害意なくば、望みを受け入れても問題あるまい』

「そういう問題かなー? なんか違う気がするなー? ってか、宏はマジで惚れてんの? え、宏の趣味が分からん……」

「この姿を美しいとは思わないのか?」


 納得がいかなそうに唸るアカツキに、ヒロフミが首を傾げる。すると、アルの肩に跳び乗ってきたブランが口を開いた。


『聖魔狐の姿を美しいと感じるのは、正常な感性だろう。……だが、あまり口説くように言うのは――』


 最後まで言葉を紡げなかったところに、ブランの複雑な思いが籠められていた。アルは苦笑しつつ、心地悪そうなブランの頭を撫でる。


「まぁ、上手くやっていけそうだから、いいでしょ」

『……いいのか?』


 納得できないと言いたげに唸るブランに、アルは肩をすくめる。

 仲違いなく協力できそうなのだから、問題はあるまい。

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