第320話 推測を重ねる
「――でも……だからって、どういうことなの? たまたまでしょう。魔王とか勇者とか召喚とか、つき兄とは関係なくありふれた話だったじゃない」
黙り込んだアカツキを庇うように、サクラが言い募る。だが、言葉とは裏腹に、サクラ自身には、ここまでの話に否定的な雰囲気がない。むしろ、アカツキよりも重く受け止めて、思い悩んでいるように見えた。
アルはサクラの様子を眺めて首を傾げる。アルもヒロフミの話に理解を示しはしたが、サクラほど重視するべき事実があるとは思えなかった。
確かに神殿のイメージが似通っているのは不思議だが、偶然の可能性は普通にある。
「……ありふれた話、な――」
ヒロフミはサクラの言葉を反芻し、僅かに首を傾げた。その仕草は疑問を示しているのではなく、思考を整理する際の癖のようなものだ。
「――それはこの世界でありふれたものじゃない」
暫く沈黙した後に放たれた言葉は、あまりに端的で、アルは一瞬受け取り損ねた。
だが、すぐに気づく。世情に疎いサクラやアカツキはピンときていない様子だったが、今生きている世界しか知らないアルが、気づかない方がおかしいのだ。
「そうですね。魔王という言葉も、勇者という言葉も、召喚という言葉も、僕には馴染みがないものです。普通に生きる人間が知るべき言葉ではないのでしょう」
『だが、アテナリヤもイービルも知っていた。……面白いな。あれらは、どこでその言葉や概念を得た?』
アルの言葉に、ブランが続ける。面白いと言いつつも、ブランの表情は少し不愉快そうで、声音には神と呼ばれる存在への不信感が滲んでいた。正確に言うと、ブランの声は音ではなく思念であるから、より素直な感情が乗っているのかもしれない。
「そう、俺が一番重視すべきなのはそこだと思うんだ」
ヒロフミがパチリと指を鳴らし、ブランを指さす。その軽快な動作は、暗くなった雰囲気を和ませようとする意思を感じた。
指さされたブランは、ムッとした表情で、ガブリと噛みつく。
「ブラン、ダメ、って……あれ?」
『む……?』
ブランに噛まれたはずのヒロフミの指が、幻だったように消えていく。
アルはブランを捕まえようと伸ばした手を止めて、きょとんと目を瞬かせた。見間違いだったとは思えないが、ヒロフミの手は何事もなかったようにテーブルの上にある。
「……幻影?」
「身代わり。俺が得意な【
「ええ。とても興味深いです」
『ここで使う意味が分からないがな』
素直に目を輝かせたアルとは対照的に、ブランは顔を顰めて言葉を吐き捨てると、顔を背ける。まともに相手にされていないように感じて、ブランのプライドが少しばかり傷つけられたらしい。
アルはブランを仕方ないなと眺めながら、頭を叩いて慰めた。それすらも気に障ったようで、今度はアルの手にがぶりと噛みついてこようとする。
日頃はどんな魔物も噛み砕くブランの歯がアルを傷つけることはない。甘噛みであり、ブランなりにじゃれているだけだ。だからこそ、アルは鬱憤晴らしに気が済むまで付き合ってやる。
「……なんか、話が横道に逸れてる。でも、ちょっと和んだ」
「そうね。可愛らしいし……ブランって、長生きしているわりに、子どもっぽいわよね」
「だよなぁ。宏が気軽にマジックしてるのも久々に見た気がする。やっぱ凄いよなぁ」
「マジックじゃねぇよ。昔のは【呪術】だし、今のは【
アルとブランを見て、アカツキとサクラが少し表情を和らげていた。アカツキの言葉に不満そうに返すヒロフミも、その表情には会心の笑みが窺える。
つまりは、ブランの噛みつきを【
アルはそれを理解して、笑みを零した。アカツキに対して時に辛辣な対応をするヒロフミだが、やはり愛情は相応に持ち合わせているのだ。
『……寝る!』
ブランは温かな視線に耐えられなくなった様子で、アルの膝の上で丸くなり目を閉じる。本気で寝たいわけではないだろうが、不本意な状況から逃れたいのはよく分かった。
それさえも、サクラたちにとっては愛らしい振る舞いでしかないだろうと、アルは気づいていたが、何も言わずにブランの毛を指で梳かす。柔らかな毛並みとその奥に感じる体温は、アルにとっても愛しいものだった。
「――不貞腐れてるブランが言っていたことを、バカツキにも理解できるように説明しよう」
「お前さ、いちいち俺を馬鹿にしないと、話せないの?」
「そうだな」
「認めんな!」
話を本筋に戻そうとしたはずなのに、依然としてふざけているように見えるヒロフミに、アカツキが怒りながら拳を向けた。肩を殴られたはずのヒロフミは、一切こたえた様子はなく、アカツキの額を指先で弾く。
「――いてっ!」
「ちょっと黙って聞け。……そんで、ブランが言っていたことは、俺が改めて考えてみて、不思議に思ったことなんだが」
ヒロフミが説明を始めると、アカツキは不貞腐れた表情をしながらも口を閉ざす。アカツキの雰囲気がブランとそっくりで、アルは思わず笑いそうになったのをグッと堪えた。
「――この世界には、神も精霊も魔物もいる。悪魔族やら魔族やらもいる。魔王という言葉は、イービルやアテナリヤが言っただけで、世界的に知られている言葉ではない」
「そうだな。というか、俺もサクラに聞かされるまでは、自分が魔王だって言われたことも知らなかったし」
「お前は記憶を封じられてたんだから、仕方ない。というか、そこを考えるとまた話が逸れるから黙っとけ」
再度沈黙を強いられたアカツキは、ムッとした表情をしながらも、従順に口を手で押さえて自ら言葉を封じた。
その横で、サクラは何かに違和感を覚えたように首を傾げつつ、テーブルを指先で叩いている。
「――精霊や魔物は神であるアテナリヤが生み出した存在で、悪魔族や魔族は神を僭称するイービルが呼びだした存在だ。それを言い表す言葉は、俺たちにとってなじみ深い。というか、違和感がなさ過ぎた」
「……あぁ……そうね……」
サクラはヒロフミが言いたいことを察した様子で、吐息のような言葉を零した。アカツキは目を丸くして首を傾げている。言葉はなくとも、理解できていないことが伝わってきた。
ヒロフミが呆れた表情を浮かべながら、アカツキの額を指でつつく。
「お前の脳みそはマイクロサイズなのか? どう考えても、おかしいだろう。異世界の神であるはずなのに、俺たちの常識との齟齬がなさすぎる。なぜ彼らは神と呼ばれる? 精霊や魔物は、俺たちが元から知っている存在とさほど違いがないのはなぜだ? ……あまりに、彼らの定めた知識は、俺たちの知識と似通っている。彼らは、俺たちと同じ素質の上に存在しているように思えないか――?」
アカツキの目が次第に見開かれていく。その目に浮かぶのは驚愕の色だ。
アルは傍観者の体でヒロフミたちの様子を見ていたが、なるほどと頷いた。実はアルが考えていたことと、ヒロフミが説明したことには、少しズレがある。
「……僕は、アテナリヤやイービルは、異世界に干渉する術があり、ヒロフミさんたちの世界のことを学んだ上で、この世界での事象に適用したのだと思っていました。でも、ヒロフミさんは違う考えをお持ちのようですね?」
アルの言葉にヒロフミが目を見張る。ヒロフミの方も、アルの認識とズレがあることに気づいたようだ。
「……ああ、そうだな。俺は、アテナリヤやイービルは、俺たちと同じ世界からこの世界にやって来た存在なんじゃないかと思った。でも、アルが言う方が正しい可能性もあるな……」
「なるほど」
頷いて受け入れたアルの膝の上で、ブランが薄目を上げて周囲を窺いながら、思案気にしていた。
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