第317話 一進一退

 話に時間を費やしてしまって、今日の解析は予定通りに進まなかった。とはいえ、ヒロフミが協力してくれるようになってから、アルとサクラの二人で作業していた時よりも数段早く作業が進んでいるので、たまにはこんな日があってもいいだろう。


「今日の夕飯は何作ろうかな」

「サクラさんがお好きなものでいいですよ」

「えー、献立考えるのが面倒くさい……」


 のんびりと文章を読み解きながら、サクラと雑談する。サクラは完全に集中力が途切れてしまったようで、本や紙を脇にどかして、テーブルに凭れていた。

 ヒロフミはだらけたサクラを仕方ないなと言いたげな眼差しで見守りつつ、テキパキと作業を続けている。


「では、アカツキさんか、ブランに聞いてみては?」

「ブランに聞いたら、肉としか答えない気がする」

「……確かに。というか、いつもそうですね」


 アルはこれまでのことを思い出して納得するしかなかった。ならばアカツキはどうかというと、こちらはニホンの料理名が並ぶ気がする。肉系が多いだろう。


「桜、俺は魚を食いたい」

「あ、そう? それなら、魚料理にする! 焼き物かな、煮物かな、揚げ物かな。和食もいいけど、洋食もいいな」


 ヒロフミが要望を伝えると、サクラが一気にやる気を取り戻した。嬉々とした表情でメニューを考えている。元々、誰かのために食事を作ることが好きなのだろう。


「最近揚げ物が多いから、別のがいいな。アクアパッツァとかは? アヒージョもつけて。フランスパン食いてぇ」

「いいね! つき兄もワイン好きだから喜びそう」


 どうやらヒロフミの提案ですんなりとメニューが決まったようだ。どちらも聞いたことがない名前の料理なので、アルも気になる。


「サクラさん。作業は僕とヒロフミさんで続けておくので、夕食の支度の方を進めてかまいませんよ」

「ほんと? ありがとう! 美味しいの作るわね」


 完全に手が止まっているサクラに、作業を強引に進めさせるのも効率が悪そうだと判断したのだ。サクラはともかく、ヒロフミはそんなアルの考えをお見通しだろうが、何も言わないのだから反対してはいないのだろう。


 サクラは嬉々とした表情で作業を放り出し、夕食の準備に向かう。その背を視線で追ってから、アルは手元の紙に視線を落とした。


「……ヒロフミさん。この作業、あとどれくらい掛かると思います?」

「ん? ……そうだなぁ、半月もあれば、ある程度形になるんじゃないか?」

「そうですよね。では、今の段階で、どのくらい成果がありますか?」


 アルの問いには沈黙が返ってきた。ペンを走らせる音が消え、ヒロフミが考え込んでいる気配が伝わってくる。


「……ちょっと不自然なくらい、結論の直前で読み解けなくなっているよな?」

「ヒロフミさんもそう思っていましたか」


 アルとヒロフミの視線が交わる。

 これまでたくさんの文章を解析してきたが、どれも細切れの情報で、よく分からないものが多い。あと一歩のところで情報が隠されてしまっている気分である。

 全ての文章を解析し終えたところで、意味のある一つながりの情報になりえるか怪しい。


「これはたぶんアテナリヤ自身に関する情報だ」


 ヒロフミがひらりと掲げたのは、アテナリヤの名前に関する記述のあるメモだ。それをテーブルに置くと、ヒロフミが次のメモを掲げる。


「こっちは、かつての国に関する記述。俺の記憶によれば、大体百年前くらいになくなった国だな。現在は他民族によって統治されている」

「僕も昔の国に関する記述を見つけましたよ。これは五百年前くらいの国だと思います」


 アルはヒロフミがテーブルにのせたメモに自分が書いたメモを重ねた。

 同じようにして、次々に解析し終えたメモを分類していく。サクラの作業分も勝手に回収して分類を終えると、国に関する記述の多さに対して、アテナリヤ自身の情報がほとんど得られていないことが分かる。


「……アテナリヤはどうしてこんなに国に関する記述を残してるんだろうなぁ。しかも、どれも既になくなっている国だ」

「そうですね。あと気になるのは、これです」

「ん?」


 アルは一枚のメモをヒロフミに示す。アルが解析したものだ。


「これに記述されている国は建国が百年前、なくなったのが三十年ほど前です。つまり、アテナリヤは百年前から今日までの間に、この国の記述をあの空間に刻んだと考えられます」

「……アテナリヤはどうやって文章を刻んでるんだ……? 俺たちは、アテナリヤがそんな作業をしているところを見たことがない」


 ヒロフミは眉を顰めて呟きながら、メモをさらに選り分けた。大量のメモを指し、アルに視線を向ける。


「これは俺たちが異次元回廊に住み始めて以後の国に関する記述だ。つまり、俺たちが知らない内に、あの空間に文章が増え続けていたということになる」

「……それって、今はどうなんですかね?」


 アルはヒロフミと顔を見合わせる。思わず顔が引き攣ったのは、嫌なことに気づいてしまったからだ。

 異次元回廊の管理者さえ知らない内に刻まれる文章。それが現在も行われていないとは言えないのではないか。つまり、解析作業が延々と続く可能性があるのではないかと疑わざるをえない。


「……たぶん、増える文章は、アテナリヤには直接関係ないものが多いだろう。たぶん」


 二度たぶんと呟くことから、ヒロフミの希望が大いに含まれていることが分かる。アルも同意であるから、そのことを追及するつもりはない。


「では、増える文章は無視するということでいいですか?」

「……それは、それで、気になるが……」

「ですよねぇ……」


 謎を謎のままにするというのも、なんとも居心地が悪い。アルたちは歯切れ悪く呟き、黙り込んだ。

 正直、これ以上解析する文章を増やしたくはないのだが、何が手掛かりになるか分からない以上、捨て置くのも良くない気がした。


「……バカツキにやらせるか」

「……とりあえず、増えていないか確認だけですね」

「増えてたら、とりあえずメモさせる。それまでに必要な情報が出揃っていたら、解析せずに放置すればいいだろ」

「そうですね」


 労力を払うのがアカツキだけならば、アルも不満はない。ヒロフミの提案をあっさりと受け入れた。

 アカツキは盛大な悲鳴を上げて不満を訴えそうだが、知るものか。むしろアカツキでも十分にこなせる仕事ができたことを喜んでもらいたい。絶対そうは思わないだろうが。


 一応の結論が出て、アルとヒロフミは再び自分の作業に戻った。解析すべき文章はまだたくさんあるのだ。


「……どうやって刻んでんだかなぁ。俺たちが管理してる部分は、アテナリヤが干渉してきたことはないし、あの空間だけが特殊なんだろうか」

「そうですねぇ。アカツキさんは、神殿のようだって言ってましたし、やっぱりアテナリヤの影響が強い場所なんじゃないですか」


 作業しながらの雑談で、アルは何の気もなしに以前のアカツキの言葉を呟く。

 アルにとっては、神に関する場は黒色が基調であるイメージだから、未だにアカツキの言葉には違和感がある。だが、アカツキと同郷のヒロフミならば、さして気にする発言ではないはずだった。


「……神殿?」


 ヒロフミがぽつりと呟く。どこか呆気にとられたような響きに思えて、アルは顔を上げた。


「ヒロフミさん?」


 ぽかんと口を開けたヒロフミの表情が意外で、アルは首を傾げながら名を呼ぶ。

 その声でヒロフミはハッと思考を取り戻した様子になるも、アルには何も答えず、ブツブツと何事かを呟きながら、テーブルを忙しなく叩いた。


「……そうか、確かに神殿だ」


 不意にはっきりとした声でヒロフミが呟く。その単語を反芻する意味がアルには分からない。


「――あそこは、俺たちが知っている神殿だ」


 ヒロフミは眉をきつく寄せ、苦々しい声音で告げる。アルが首を傾げると、「あいつらも揃ってから説明する」と言い、立ち上がった。どうやら今日の作業はここまでになるようだ。

 アルはヒロフミが気づいた事実とは何だろうかと好奇心を掻き立てられ、後に続いてサクラの元へ向かった。

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