第316話 もう一方の追手

 兵器発動のための魔力が現在必要とされていない。少なくとも兵器の修復が終わるまでは。

 ということは――。


「――あ、もしかして、もう僕に追手は掛けられていないんでしょうか?」


 アルがふと思い当たり呟くと、ヒロフミは首を傾げつつ頷くという、微妙な反応を返した。


「それはどうだろう。正直、俺はそっちの方面の奴らとは一緒に行動していなかったから確かなことは言えないが。兵器の動力源として必要とされていただけなら、グリンデル国からの追手は諦めたかもな。現状であの国にはあまり余力もねぇし」

「それなら少し安心しますね」


 アルは微笑む。確実ではなくとも、この場にいる誰よりも悪魔族の動向を知るヒロフミから得た情報は、十分有意義なものだった。

 元々追手に捕まるつもりはなかったし、捕まったところでそうそうに逃げ出していただろうが、精神的に多少の負担があったのは事実だ。これで心置きなく出掛けられる、というわけではないのが残念だが。


「――あとは、精霊の血筋を求める人たちの問題ですかねぇ」

「ああ、帝国な……」

「あ、やっぱり帝国なんだ?」

「そうだろ? あの国は精霊の血筋の者を囲っていたらしいけど、最近才能のある者が途絶えたって話だからなぁ」


 ヒロフミが顔を顰めつつ、残念そうに呟く。

 アルは最近になって追いかけられることになった理由を悟った。つまり、途絶えた血筋の代わりを求めていたということだろう。


「その捕まえられていた人って、逃げようとはしなかったんですか? 精霊の血筋の方なら、転移魔法を使う素質があるはずですけど。帝国にはその魔法を利用した魔道具もあるみたいですし」


 ドラグーン大公国に逃げてきていた帝国の皇子は、転移魔法を使える魔道具を利用していた。相当貴重なものだったようだが、それがあるということ自体が転移魔法を使える者の存在を示している。


「逃げられなかったんだよ。逃げる意思がなかったのかもしれんが。代々続いていた血筋でな。初代はそれこそ転移魔法を使えるだけの才能と血の濃さがあったんだろうが、その知識が与えられなかったらしい。その子どもは国に引き取られて、人質兼魔道具製作者になった。子の方は転移用魔道具を作れても、転移魔法を自身の魔力で使えるほどではなかったみたいだな。そして、その状態が代々繰り返されて、最近まで続いたってわけだ」

「え……ひどい……」


 サクラが眉を顰めて呟く。アルも言葉にしないものの、同じ気持ちだった。アルと同様に精霊の血筋の者が受けた仕打ちに、自分を当てはめて考えてしまう。

 顔を引き攣らせるサクラとアルに、ヒロフミは苦笑しながら肩をすくめた。


「唯一の救いは、環境としてはさほど悪いものではなさそうだったってことだな。その血筋には貴族位が与えられていて、領地と十分な金銭が与えられていた。国に引き取られるのも、転移魔法を多少なりとも使える者に限られていたし。引き取られた方も、技術者ではあるが、皇族並みの待遇だったらしいぞ。だからこそ、無理に出奔するってヤツはいなかったんだろう」

「あぁ、そうなの……不幸ではなかったのなら救いはあるけれど……。もしかして、それがあるから、宏兄も接触できなかったの?」

「そうだな。俺としてはなんとか転移魔法を使える者に話を聞きたかったんだが、警備が厳重でなぁ。状態を探っただけで終わっちまった」


 ヒロフミが口惜しそうに呟く。世界間転移の術を求めて、帝国にいう精霊の血筋の者に何度も接触を取ろうとしていたものの、今に至るまでそれは成し得なかったようだ。


「最近になって途絶えたというのが、少し引っ掛かりますね。そういう血筋なら、厳密に管理されるものなのでは?」


 貴族にとっての政略結婚とは、血筋を重要視して継いでいくことを目的としている。精霊の血筋の者が最近まで帝国に居続けたのなら、政略結婚によって多くの子孫がいるはずなのだ。


「正確に言うと、その血筋の者自体はいるんだ。国に引き取られる者がいなくなっただけで」


 アルの問いにヒロフミが肩をすくめて答える。それだけで、アルは事情を悟った。


「才能の枯渇ですか。……血が薄まりすぎたせいかもしれませんね」


 初代がいつ頃生きていた人なのかは分からないが、それでも代を重ねるごとに、精霊の血は薄まっていったはずだ。


 アルの場合とは違い、精霊と人間が想い合って子どもができたパターンだろうから、その時点で精霊はこの世にいないだろう。精霊の理の中で、人間と子を為すことは禁忌であり、精霊は何らかの咎を負うことになるのだから。血を継いだ子が生きているというだけでも、奇跡的なことである。

 そして、それならば精霊の血が継いだ子どもは最初の一人だけだろう。その後は人間と子を作っていったとしても、血が濃くなることはありえない。


「そうだな。その影響は大きいだろう。加えて、一時は血縁者同士での結婚も盛んに行われていたらしいから……既に血族自体の総数が少ない」

「ああ、血縁者同士で子を為すと、長く生きられないと聞きますね」

「そもそも子ができにくい、というのもあるな」


 アルはヒロフミと顔を見合わせて肩をすくめた。こうして話していても、あまり幸せな生き方とは思えない。帝国にいる精霊の血を継ぐ者はその状態を良しとしていたのだろうが、既に自由を知るアルがそのような環境を許容できるわけがないのだ。


「やっぱり、捕まらないように気をつけます」

「ああ、アルなら逃げられるだろうが、あいつらがどんな技術を持っているかいまいち分からないからな。用心はした方がいいだろう」

「……転移魔法の妨害技術があるかもしれない、ということですか?」


 アルはヒロフミの発言に含みを感じて、目を細めて問いかけた。ヒロフミは重々しく頷き、白紙にペンを走らせる。


「万が一を考えて、俺が知る情報を伝えておく。これは帝国の城の見取り図だ」


 さらさらと迷いなく描かれた線は、次第に空白が増えていく。各部屋ごとに【客室】や【広間】などと説明文も書かれるが、それがない場所がいくつかあった。


「――この空白は探れなかったところだ。つまり、俺の転移術で入れなかったところ。……意味は分かるな?」

「少なくとも、転移術での侵入を拒む技術が確立されているということですね」

「ああ。俺が作った転移術が転移魔法の下位互換に当たるからなのか、それとも転移魔法さえも拒まれるようになっているのか、というのは分からない。妨害技術があったとして、こうして空間に仕掛けなければ使えないものか否かも分からない。だが、万が一捕まった場合は、この見取り図を参考に逃げ道を探すといい」


 真剣な表情で放たれた言葉を吟味する。

 ヒロフミが使う転移術と転移魔法の違いがまだ分かっていないから、アルも確かなことは言えないが、帝国が転移魔法を妨害する技術を持っている可能性は高いだろう。これまで長く転移魔法を用いた魔道具を作ってきたならば、それを妨害する技術が開発されるのに不思議はない。


「……分かりました。ありがとうございます。とりあえず、捕まらないように気をつけます。そもそも出くわさなければ問題ないですからね」

「そうだな。そう願うよ」

「転移術の方も教えていただけますか? 転移魔法との違いを知りたいので」

「もちろんだ。ただ、転移術は俺の独自技術の積み重ねで作ったもんだから、アルには馴染みがないと思う。学ぶのは難しいと思うぞ?」


 ヒロフミが軽く請け負いつつも、注意してきた。だが、アルは満面の笑みを返す。これまでの話は少々重かったが、一気に心が晴れた気分だ。未知の技術を学べるのだから、アルがそうなっても仕方ないだろう。


「全く問題ありません。よろしくお願いします!」

「あ、あぁ……」


 ヒロフミが少し顔を引き攣らせつつ頷いた。深刻そうな顔をしていたサクラが呆れるくらい、アルの嬉々とした様子があからさまだったからだろう。

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