第315話 ヒロフミからの情報

 賑やかな昼食を終えて、午後は再び解析作業へ戻る。


「ふふっ、ブラン、しょんぼりとしていたわね」

「そうですね。でも、たくさんお菓子を食べていますから。今頃、また暴食に走っていると思いますよ」


 椅子に座りながらサクラが微笑む。アルは昼食後のブランの様子を思い出して苦笑した。


 結局、デザート争いには珍しくアカツキが勝ったのだ。いち早くデザートのチョコレートムースの入ったカップを手に取り、一気に口に流し込むという行為によって。

 食べられなかったブランは耳と尻尾を垂らして落ち込み、まともに味わえなかったアカツキも少し意気消沈していた。


 それから何故か意気投合した様子で、アカツキとブランはアルたちと別れて、お菓子が生る木の元まで駆けて行ったのである。ブランはともかく、アカツキには解析作業の手伝いをしてもらいたかったのだが、止める間もなかった。


「バカツキまで行っちまって……あいつは俺たちが何のために頑張っているか分かってんのか?」


 ヒロフミが呆れた様子で呟く。その意見にはアルも同意したかった。


「まぁ、つき兄、猫の手くらいしか、役に立たないし」

「猫の手の方が癒される分だけ役に立つだろ」


 サクラのフォローとも言い難い言葉に、ヒロフミがさらにアカツキをこき下ろすように返事をする。

 アルも同じように感じていたが、あまりにアカツキの味方がいない現状が哀れになって、何も言わないでおいた。ただ猫の肉球は揉むのは確かに癒されると考えながら、ドラグーン大公国で出会った猫がいる食堂のことを思い出す。


「……外ではどれくらい時間が経っているんでしょうね」


 アルがぽつりと呟くと、サクラとヒロフミの会話が止まった。本を開く手も止めて、アルを見つめてくる。その真剣な眼差しにアルの方が戸惑ってしまった。深い意味があって呟いたわけではないのだ。


「そうよね……。アルさんはあまりここに居すぎない方がいいでしょうね……」

「え?」

「そうだな。外との誤差が大きくなればなるほど、人として生きにくくなるだろうな」

「あ、そういうことですか」


 サクラとヒロフミは、アルが外の世界から隔離された状態を好ましく思っていないようだ。アル自身は深く考えてはいなかったが、確かに数十年も外との差が生まれてしまったら、外では生きにくくなるだろう。


「――でも、ヒロフミさんが教えてくれている【まじない】を魔法に上手く変えられたら、僕でも外との時間の差をあまり気にしなくても良くなります。何年もここに居座ることにならなければ、問題ないと思いますよ」


 ヒロフミが異次元回廊の内外を行き来する際に使う【まじない】は、アルが魔法に変換することが可能なものだった。

 ヒロフミは基本的に【まじない】をと呼ぶ手のひら大の紙に書き、発動している。書かれている様式は、魔法陣と少し似ている部分があるが、アルの知識にはない文字が使われていた。


 現在、アルはヒロフミにその文字や様式、【まじない】全般について教えてもらっている。アルにとっては解析作業よりも心躍る時間だった。


「まぁ、確かに誤差は制御可能だけどなぁ……アルだって、外での人間関係があるだろう?」


 ヒロフミの言葉で真っ先に思い浮かんだのは、ノース国で出会ったレイだった。面倒見のいいレイのことだから、長く顔を合わせていないことで、アルたちのことを心配しているだろう。

 次に浮かんだのは、ドラグーン大公国の人々。特に、ソフィアである。彼女も大変な状況にある中で、おそらくアルを気にかけてくれているだろう。


「……でも、いらないものもありますからね」

「いらないもの?」

「僕はグリンデル国から追われているようなので。他にも、精霊の血筋の者を求めているらしき人たちとか」

「……あぁ」


 アルが詳細を説明しなくとも、ヒロフミはすぐに察してくれた。どちらも悪魔族と呼ばれる者たちの活動に関係している人々なので、ヒロフミは知っていたのだろう。


「そういえば、そっちの情報はないの? アルさんのことを追っかけまわしていたのは、グリンデル国の王女様なんでしょ? 精霊の血筋の方はよく分からないけど」


 サクラが尋ねると、ヒロフミは難しい表情で腕を組んで唸る。


「そーだなぁ……。あるといえばあるし、ないといえばない」

「どっちよ」


 サクラが半眼で睨む。アルは苦笑しながらも、ヒロフミの言葉を待った。

 正直、追手に対してアルは興味がない。追いかけられて捕まえられそうになったところで、逃げればいいだけだからだ。


 アカツキたちとはそれなりに長い付き合いになるし、その境遇に対して思うところもあるから、解放されるようアルが手伝うことに文句はない。だが、それは見知らぬ相手にまで適応されるものではないのだ。相手がアルに迷惑を掛けようとしていることを考えれば、なおさらそんな温情は抱かない。


「とりあえず、王女様については、国を思う気持ちが暴走しちまってるっていうのが正しいはずだ。それを先導しているのが、俺たちの同郷の者たちであるのは間違いない」

「やはりそうなんですね」


 そうだろうとは思っていたものの、断言されるとそれはそれで少し微妙な気分になる。

 アルはグリンデル国の王族や貴族たちに対して好意的な感情はない。散々虐げられてきた過去があるからだ。憎むというわけではなく、無関心が近いだろうか。

 だが、そこで暮らす人々までまとめて、どうなってもいいと思っているわけではない。隠れて冒険者としての仕事をこなすアルを手助けしてくれた人もいるのだ。


「――グリンデル国をどうするつもりなのでしょう?」

「んー……正直、あいつらは国自体にはさほど興味がないんだ。ただ、あそこは生きた森に面した国だろう? あの森はアテナリヤが生み出した森で、アテナリヤ憎しの面々が、破壊を企てている。その騒ぎに国の方が巻き込まれているんだな」

「生きた森……。森を破壊するだけなら、王族を操る必要性がない気がしますけど」


 アルは慣れ親しんだ森の景色を思い出す。ブランと出会った場所で、今でもいつかまた行きたいと思っている場所だ。ブランが現在管理している森でもあるから、その望みはきっと叶うだろうが、それは全ての騒動を片づけた後のことになるだろう。


「王族を操ってんのは、マギ国と帝国の争いを膠着状態に持ち込むためだな。兵器の発動にはたくさんの魔力が必要で……それは様々な命でも賄える。王族っていう偉い立場の者を動かせたら、動力源の調達が楽になるんだ」

「……あぁ、それがありましたね」


 アルはかつて聞いた兵器による被害の悲惨さに顔を顰める。発動は一度しかなかったはずだが、それでも精霊たちの対処がなければ、世界の崩壊が起こってもおかしくない威力のものだ。


「アルも知ってたか。でも、まぁ、残っている兵器自体は俺がちょっといじってきたから、二度目が起きることはそうそうないだろう。集められた人々も、一旦解散になってるはずだ。兵器の修復が終わるまで管理するには、手間がかかりすぎるからな」

「え、それはつまり、兵器のせいで失われる命はなくなるということですか?」

「そうだな」


 あっさりと頷かれたが、それは驚くべき事実のはずだ。現にサクラも初耳だったのか、ポカンと口を開けて呆気に取られている。


「……喜ばしいことですね」

「新たな兵器を開発されてしまったら、俺にはもうどうしようもないがなぁ」

「それでも、現在存在している兵器が無力化されただけ、嬉しいことですよ」


 同郷の者が世界に与えている被害を考えたのか、少し沈んだ表情になるヒロフミを、アルは精一杯慰めた。

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