紐解く
第314話 穏やかな日々
異次元回廊の中は常春のような気候だ。
アルは知識の塔から出た途端に降り注ぐ日光に目を細めた。
「うぅん……ちょっと根を詰めすぎたかな……」
グイッと背筋を伸ばしてから呟く。アルの傍の茂みがガサガサッと揺れた。そこからひょっこりと顔を出したのはブランだ。なんだか呆れた表情をしている。
『ちょっとではなく、だいぶ、だろう』
「そう? ブランはそこで何をしているの?」
ブランの苦言を受け流し、アルは茂みを覗き込んだ。ブランはギクッと体を震わせ、『なんでもない! なんでもないぞ!』と明らかに嘘と分かる訴えをする。
いったい何を隠しているのか。疑問を解消すべく、容赦なく茂みを手で探った。ブランが纏わりついてきて邪魔するが、それより先に何かを掴む。
「……アプル? 後、こっちはたくさんのお菓子……」
掴んだのは真っ赤なアプルだった。熟れていて美味しそう。『返せ!』と騒ぐブランを抱き上げて、さらに茂みを探ると、大量のアプルと何かを包んだ布が見つかる。包みの中身はたくさんの焼き菓子で、見覚えがあるものばかりだった。
『我のものだぞ!』
「……そう。もしかして、お菓子が生る木のところに行ったね?」
アルの脳裏に、お菓子が生る木が立ち並ぶ森の風景が浮かぶ。異次元回廊内にある、不可思議な空間だ。おそらくサクラが菓子作りの職人だったことから作った場所なのだろう。未だに、木にお菓子が生る原理は分からない。
『……い、行ったぞ。何か悪いのか!?』
「え、開き直り? ……悪いわけじゃないけど、一言残して行ってよ。姿が見えなかったら心配するでしょ」
後ろめたい表情をしながら怒るブランに、アルは苦笑してしまった。
お菓子が生る空間も同じ異次元回廊内ではあるものの、この場所からはだいぶ離れている。長く姿が見えなければ、アルだって心配になるのだ。
『うむ……それは、すまぬ』
「分かってくれたならいいよ。それで、これはどうして茂みに置いてるの?」
改めて追及すると、ブランはサッと顔を背けた。目がウロウロと彷徨い、言い訳を探しているのは明らかだ。
アルは既にブランの考えを悟っていた。この食い意地の張った獣は、手に入れた食料を独り占めにしようとしていたのだ。大方、アルのアイテムバッグを使えば、秘密にすることができないから、茂みに隠しておこうと思ったのだろう。
「――はぁ……最近僕にお菓子をねだる頻度が下がったな、と思ったら、一人で食べていたんだね……」
『うぐっ……そ、そうとも、言う、かもしれない、な……?』
「酷いなぁ。頑張っている僕らを無視して、ブランだけ楽しんでいたんだね……」
ブランは歯切れの悪い返事だ。アルがわざとらしく嘆いてみせると、さらに焦った様子になる。アルが揶揄っていることには気づいていないようだ。
『む、無視していたわけでは、ないぞ? ほら、アルたちが集中しているから、それを邪魔せんように、だな……。アルたちが休憩をとる様子があれば、快く提供するつもりだったのだぞ?』
絶対嘘だ。アルが半眼で見つめると、ブランの目がさらに泳ぐ。
『ほ、ほんとだじょ!』
「……だじょ?」
ブランが言葉を噛んだ。なんだか可愛らしい語尾である。思念であっても噛むことがあるのかと、意外な気分になりながら笑ってしまった。
『……こらっ! アル、実は怒ってないな!? 我を揶揄ったのか!?』
「ふふっ、そうだね。そんなに怒ってないよ。僕たちは忙しかったし、ブランは暇だっただろうし。自分の時間で食べ物を取りに行くことに問題はない。でも、隠して独り占めにしようとするのは、ちょっとどうかなぁって思うけどね?」
『……うむ。それは反省する。これからは、アルたちの分も取ってくるぞ』
「うん。初めからそうしてくれていたらよかったのに」
ブランが神妙な表情で頷くので、説教はここまでにすることにした。
「それにしても、アプルはともかく、このお菓子の山は一日で食べ尽くすの?」
『いや? 二、三日くらいかけて、大事に食べるつもりだが』
アルはブランの返事を聞き、自分なら二、三日かけても食べきれないだろうお菓子の山を見て、暫し沈黙した。
ブランなら一日でも食べきれる量なのだろうが、改めて考えると尋常ではない。
「……ブランの食欲の凄まじさは置いておいて。ここにお菓子を隠すのは良くないと思うよ?」
『なんでだ?』
ブランがきょとんと目を丸くする。アルが懸念していることに全く心当たりがないようだ。アルはお菓子を隠すのが初犯であるようにと祈りながら、口を開いた。
「この春みたいな気候だよ? 木に生っているお菓子であっても、木から離されたら、たぶん普通のお菓子と同様に腐ると思う」
『……はっ!?』
ブランの口が大きく開いた状態で固まった。その様子にアルは悟る。手遅れだった、と。
「……いつ食べた? 変なにおいはしなかった? カビが生えていなかった?」
『に、におい、は、普通だった、はずだ。でも、ちょっと酸っぱいものも……? カビはなかったと思う、が……』
怪しい答えである。アルはそう思いながらも、ふとあることに思い当たり、少し心を落ち着けた。
「あ、でも、ブランは毒とか効きにくいよね? それなら、多少腐ったくらいなら大丈夫か」
『そうだな! 問題ない。だが、旨く食えないというのは良くないから、これは我が今日中に食べきるが』
「え?」
『え?』
思わずアルはブランと顔を見合わせた。同じ音を吐き出したが、含まれる意味合いが正反対だ。
アルは「分けてくれないの?」という意味で、ブランは『我が責任を持って食べ尽くすが?』という意味である。
「……これは、今日、取ってきたものじゃないの?」
『今日取ってきたぞ』
「それなら僕でも食べられる状態だよね?」
『それはそれ。これはこれ、だな』
「ちょっと、開き直らないでよ」
あくまでも、ブランはアルたちにお菓子を分けるつもりはないらしい。森に行けばまたいくらでも取れるだろうに、変なところでけち臭い。食い意地のせいか。
アルはじとりとブランを見下ろしてから、ある決意を固めた。
「――分かった。それはブランの分だね。ちゃんと今日中に食べきりなよ」
『うむ! 我に掛かれば、このくらいの量、どうってことないぞ!』
「昼食は?」
『いらないわけがなかろう!』
「はいはい、分かってるよ」
捕まえていたブランを下ろすと、ブランは一目散にお菓子の山に掛けていく。早速食べるようだ。
「さて、僕は昼食作ろうっと」
アルはにこりと微笑んで見送り、設えたままの調理セットまで行く。最近は昼食の調理は当番制で行っていて、今日はアルが担当の日なのだ。
◇◆◇
今日の昼食は卵と生クリームとチーズを使ったソースを掛けたパスタ。それとサラダ、チキンソテーだ。サラダにはマヨネーズソース、チキンソテーにはアル特製のハーブソルトを使っている。ブランのお気に入りの味だ。
「うっまーい!」
「カルボナーラは正義よね」
「正義ってなんだ? 美味いのは確かだけどな」
アカツキとサクラ、ヒロフミも加わり、楽しい昼食の時間。アルは皆の感想に微笑みながらも食べ進める。
卵のまろやかな旨味と、チーズの塩味、生クリームのミルク感が合わさり、アルにとっても満足の出来のパスタだ。チキンソテーも肉汁たっぷりで、ハーブソルトのスパイス感とよくあう。
「あ、食後のデザートを持ってきますね」
『デザート!!』
パスタを食べ終えた後、一心不乱にチキンソテーを食べていたブランが、顔を上げて目を輝かせた。
アルはその声に答えることなく、用意していたデザートを並べる。全部で四つ。
『……ん?』
首を傾げたブランはテーブルをテシテシと叩く。その不思議そうな顔に視線を向けて、アルはにこりと微笑んだ。
「ブランはたくさんお菓子を食べたでしょ? デザートは僕らの分だけだよ」
『…………な、なんだとぉおおおっ!?』
驚くほどの絶叫と、絶望の表情だった。すぐに状況を把握したアカツキがニヤリと笑う。
「ざまぁ!」
『クッ……お前のを寄越せ!』
「ちょ、やめっ……!」
アルはブランの反応で気が晴れたので、のんびりとデザートを楽しみながら、アカツキとブランの攻防を見守った。
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