第312話 ヒロフミの逃亡術

 アルがブランからもらったデザートを食べ終えたところで、ヒロフミたちの話がひと段落したようだ。


「――それで、結局ヒロフミさんの内偵の方はどうなったのですか?」

「あ、それなぁ。元々、ちょっと気合い入れて作った身代わりを置いてこっちに合流しようと思っていたんだけど。あっち側で俺を怪しんでいるヤツがいて、どうにも誤魔化せそうにないから、力技で突破しちゃった。もう内偵できねぇかも」

「力技で突破とは??」


 話の途中まで『気合い入れて作った身代わり』とは、【まじない】で作ったものかなとか、工場長のヒロみたいなものかなとか、少しワクワクしながら聞いていたのだが、なんだか不穏な言葉が聞こえてアルは固まってしまった。

 ブランも揺れていた尻尾をピタリと止め、物騒なことを言ったとは思えないあっけらかんとした表情のヒロフミを凝視している。


「……何やったの、宏兄」

「宏が言う力技、とは? すっげぇ嫌な予感がするんだけど?」


 ヒロフミと長い付き合いのあるサクラとアカツキは、アルよりも警戒心が溢れた表情になっている。それだけで、ヒロフミが過去に何かやらかしたことがあるのが分かった。


「怪しまれていた、という不穏さを上回る感じで、ヒロフミさんが何をやったかが気になっちゃいますね」

『おい、こら、魔法研究馬鹿。なんで楽しそうにしているんだ』


 つい正直な気持ちを零してしまったら、ブランからジトッとした目を向けられてしまった。


 だが、アルがこのような感想を抱いても仕方ないと思う。ヒロフミが使う【まじない】は、アルにとってまだまだ謎に満ちた分野である。しかも、それはアルが好む魔法研究に関わる内容なのだ。

 それに、ヒロフミたち魔族の魔法研究が、かつて古代魔法大国の文明を築いたと聞く。失われた魔法文明の手がかりが手の届くところにあるのなら、魔法研究を志す者ならば誰だって知りたいと思うはずだ。


 とりあえず、ブランには笑みを向けて「ごめんごめん」と謝っておいたが、誤魔化されてくれる気がしない。


「何やったって言われたら……爆発オチ的な?」

「ばくはつ……? 宏兄、いつからテロリストになったの?」

「いや、いやいや、爆発オチ? なんで爆発? 何燃やしたの? いや、やっぱ聞きたくねぇ!」


 ヒロフミの答えに、サクラとアカツキが混乱した様子になっていた。

 アルにはいまいち爆発オチという言葉が分からなかったのだが、おそらく魔法研究中に誤作動を起こして火炎噴射するようなものだろう。その場合燃えるのは、研究者か研究室である。アルはそのような事態に陥ったことはないが。


「テロリストって、俺よりもあいつらの方がやってることテロリストだぞ?」

「そうだけど、そうじゃない!」


 きょとんとした様子のヒロフミに、突然サクラが怒り始めた。混乱が一周して怒りに変わったようだ。ヒロフミは慣れた様子で耳を塞いで、サクラの怒りをやり過ごそうとしている。

 その慣れた仕草に、アルはヒロフミの過去のあり方をなんとなく悟った。ヒロフミに対して怒った方が損をするタイプだ。


『えぇいっ、遊んでいるんじゃない! 再会して嬉しいのかもしれんが、今は報告をきちんとしろ! 何か対処が必要なら、さっさと状況を把握せねばならんだろう!』


 ブランがヒロフミの腕に突撃して、強制的に耳から手を離させた。大変ごもっともな説教をしている。

 アルは『こんなに真面目なブラン、珍しいなぁ』と思いながら傍観していた。正直、ふざけている時のヒロフミと関わるのは、疲労が溜まりそうな予感がしていたので、賢明な判断というものだ。


「えー、狐くん厳しい……。久々の癒しで命の洗濯をしている俺の精神状態も慮って」

「宏はそんな軟な精神してないだろ? 呪術師が甘えんな?」

「呪術師差別よくない。呪術師のこと大して知らないくせに」


 わざとらしくしょんぼりと肩を落すヒロフミに、アカツキが冷たい目を向けていた。

 初対面の時よりも、ヒロフミがのびのびとしているように見える。緊張感のある内偵作業を止めて、幼馴染たちとのやりとりで心を安らげているのかもしれない。


「呪術師のことは宏兄ほど知らなくても、報告ができないほど精神的負荷が掛かっていないことくらいは分かるよ。幼馴染だもん」

「……そうだな。幼馴染は誤魔化せないな」


 ジトッとヒロフミを見据えて呟くサクラに、ヒロフミが淡い笑みを向けた。どこか嬉しそうな雰囲気を漂わせたまま、スッと背筋を伸ばす。

 一気にピリッと緊張感が溢れた気がした。


「――報告な。俺のこと怪しんでいるヤツがいたから、身代わり人形に爆発する【まじない】を仕込んで一緒に爆発させてきた。傍目には、そいつが巻き込まれて爆発したって思われそう。ついでに言うと、その【まじない】は俺たちみたいな体質であっても、一定期間昏倒させるものだ。俺が内偵作業してたと知れ渡るのが遅れる」

「マジで爆発オチしてる……」


 サクラが呆れた表情で呟いた。アカツキは「んん?」と首を傾げている。アルも少し引っ掛かった部分があり、口を開いた。


「身代わり人形というのは、ヒロフミさんを模したものということですよね? 意識昏倒程度の被害しか出ないのなら、突然消失した形になるヒロフミさんのことが怪しまれるのでは?」


 情報の流出防止には手ぬるい対処である気がする。だからといって、基本的に傷を負うことのない魔族のような体質の者を、どう口止めすればいいかはアルにも分からないのだが。


「俺は転移術を研究してるって、皆に知られてるから。研究の産物が誤作動したって感じで、たぶん俺はどっかに転移して、巻き込まれたヤツは魔力の爆発のせいで被害を受けた、って判断になってると思う。だから多少捜索されてるかもしれんが、俺自身は疑われてないだろう」


 ヒロフミの返事にアルは納得した。アカツキも「ほへぇ、いい感じで誤魔化せたね」と返しているので、疑問は解消されたようだ。


「では、その昏倒させた方の意識が戻るまでは、ヒロフミさんをあちらの方々が追ってくることはないですね」

「だな。裏切り者ってバレたら、殺す気で追ってくるだろうけど。死なねぇが」

「……捕まったら洗脳されちゃうじゃん」


 あっけらかんとした様子のヒロフミに、サクラが心配そうな眼差しを向ける。


「洗脳っつっても、あっちのその辺のやり方は研究し尽くしてるからなぁ。やろうとしてきたら倍返ししてやるくらいはできるぞ。追ってくるのに対応するのは面倒だから、ちょっと誤魔化しただけだ」

「そう……うん、そうよね! 宏兄だもんね」

「桜が危険な目にあわないんだったら、好きにしろ~」

「おい、暁、少しは俺の心配しろよ。桜みたいな可愛げを持て。……いや、可愛げのあるバカツキなんて、やっぱキモイからいらねぇや」

「おい、なんでディスるの? 宏が勝手に言ったんだろ? 表出ろ、コノヤロー」

「ここ外だけど? 俺の式で相手してやろうか?」


 アカツキとヒロフミの間で諍いが生じた。サクラは気に留めていないし、放っておいてもいいのだろう。アカツキが喧嘩を売っているだけで、ヒロフミは遊んでいるだけの様子だし。


『……こやつらはふざけねば生きられないのか』

「楽しそうだし、いいんじゃない?」

『アカツキは怒ってばかりだがな』


 ヒロフミが内偵作業を終えた成り行きは理解できたし、急ぐような対処もなさそうなので、アルはブランと共にのんびりと見守ることにした。


「それも、幼馴染同士のじゃれあいなんだよ、きっと。ほら、ブランが食べ過ぎるのを、僕が怒るようなやり取りと一緒」

『それと一緒にされるのは心外だ! 我はふざけて食べているわけではない。真剣に自分の腹と向き合って、食欲に素直なだけだ!』

「そんなんだから、暴食の獣って呼ばれるんだと思う」


 アルが真面目に窘めると、ブランは不服そうに『……その名で呼ぶな』と呟いただけだった。

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