第311話 とりあえずワイワイしてみる

 夜空に星が輝く時間。パチパチと音を立てる焚火の上には大きな鍋が二つ。その中ではカレールウがぐつぐつと音を立てて煮込まれていた。

 焚火を囲むのはいつものメンバーに加えて、帰ってきたばかりのヒロフミだ。


「お、美味そう!」

「でしょー、いい時に帰ってきたね!」


 コメと一緒に盛られたカレー。この状態でカレーライスという。

 嬉しそうに皿を覗き込むヒロフミの横では、サクラが嬉しさいっぱいの表情でせっせとお世話をしていた。


「――こっちにトッピングがあるのよ。肉類はトンカツ、唐揚げ、チキンソテー、牛ステーキで、後は納豆とかスクランブルエッグとか。野菜も素揚げしたのとか温野菜とか、より取り見取り!」

「すげぇな。マジで選び放題じゃん」


 興奮気味のサクラに対し、ヒロフミは落ち着いた表情で微笑ましげにサクラを見つめている。そんな二人をアカツキがジトッとした眼差しで見据えていた。仲間外れになっているようで拗ねているのかもしれない。


『アル! 我はナットウというものを試してみるぞ!』

「そう? じゃあ、これを……って、なんか、糸引いてる……?」

『うおっ!? それ、本当に食えるものなのか……?』


 ブランの要求に応えてナットウを手にすると、豆同士を白い糸が繋いでいるのが見えて、アルは思わず顔が引き攣った。臭いも独特だし、好き嫌いが分かれるとアカツキが言っていたのも納得だ。

 ブランも少し後悔した雰囲気になっている。


「納豆に挑戦するのか? チャレンジャーだなぁ。でも、カレーに納豆は美味いぞ。辛みがマイルドになるからな」


 ヒロフミがアルたちのやり取りに気づいてニコニコと笑う。そして、アルからナットウを受け取り、ブランの皿にドサドサと投入してくれた。糸を切る仕草に慣れた雰囲気が漂っている。

 宣言を取り下げる間も与えない行動に、ブランの顔が引き攣っていた。


「ルウを混ぜ混ぜして食べるといいよ」


 横から手を出したアカツキが、ブランのナットウ入りカレールウをスプーンで掻き混ぜる。ナットウの姿も匂いもカレールウに紛れて分からなくなり、ブランは少しホッとした表情だ。それでも、本当に腐っていないのかと疑うように、ジッとカレールウを見下ろして固まっている。


「ナットウ以外のトッピングはどうする?」

『……とりあえず、我はこれだけで食ってみるぞ』


 覚悟を決めたのか、ブランが真剣な表情で皿に口を近づける。カレールウとコメを一緒に口に放り込んで、暫く黙り込んだ。

 アルはその様子を観察する。ブランの反応次第で、ナットウに挑戦するか決めるつもりだ。


『辛みはある。だが、アプルの甘みと不思議なまろやかな味わい……これがナットウというものか? ふむ……』

「どうなの?」

『……ナットウはよく分からんが、旨いのは間違いない』


 そう言って、次々と肉のトッピングを頼んでくるので、アルは苦笑しながらのせてあげた。大きな皿とはいえ、カレーライスが肉で完全に覆われそうだ。

 次いで、自分の皿にもナットウを投入して混ぜる。ブランの様子で、挑戦しても大丈夫そうだと判断したのだ。


「お、アルさんも納豆挑戦すんのかぁ。いいねぇ」


 ニコニコ笑ってカレーライスを口に運ぶヒロフミの皿には、バランスよく肉類と野菜がのっている。アカツキの肉尽くしの皿と比べると、彩りに雲泥の差があった。

 サクラがお世話をしているのはヒロフミだけらしい。アカツキがサクラの「野菜も食べなよ」という言葉を聞き流しただけかもしれないが。


「ええ。珍しいものは挑戦してみたくなりますからね」


 最低限の保証として、ブランの味見を待ったが、未知への関心の強さはアルもブランと同じくらいあるのだ。


「……なるほど。美味しい」


 一口食べて味わい、アルは呟いた。元のカレーライスというのをあまり知らないが、確かに辛みがマイルドになり、コクがプラスされている気がする。


「私は納豆入りカレー、野菜トッピングよ! お肉はお肉で食べるけど」


 アルの反応に嬉しそうに笑ったサクラが、彩り鮮やかな皿を示す。素揚げ野菜盛りだくさんで美味しそうである。その横には各種トッピングが盛られた皿があり、カレーライスとは別におかずとして楽しむようだ。


「僕も野菜と、お肉を――」


 アルもサクラと同様にトッピングを取り、カレーライスを楽しむ。ブラウンシチューと似た見た目で全く味わいが異なるカレーライスは、豊かなスパイスの味わいで食が進み、ついおかわりをしてしまう。食べ過ぎ要注意だ。


「うっまぁ……トンカツの揚げ加減もちょうどいいし」

「暁は食ってる時はいつも幸せそうだな」

「そりゃ、美味いもんは、人生の楽しみだろ? これに幸せを感じないなんて、つまらないじゃん」

「……まぁ、そうだな。楽しめるってことは、それだけ余裕があるってことの証左でもある」


 ニコッと笑うアカツキを、ヒロフミが何故だか眩しそうに見つめた。隣のサクラは、穏やかな笑みを浮かべて、アカツキの皿にトッピングを追加していく。


 ヒロフミとサクラの雰囲気は、食事を楽しめない精神状態だった過去があることを示しているように思えて、アルは僅かに目を細めた。アカツキは気づいていないようだし、アルがそれを指摘するつもりはない。


「――それにしても、ヒロフミさんは内偵の方は無事終えられたんですか?」


 ある程度食事の勢いが落ち着いてきたところでアルは尋ねた。ヒロフミと再会してからずっと気になっていたのだ。


 ヒロフミはアルと共に帰還の術を探すため、内偵作業に区切りをつけてくると言って去ったのだ。ここにいるということは、それが済んだということ。

 念のため確かめるつもりで質問したのだが、ヒロフミの表情はアルの予想に反して芳しくないものだった。


「あー、内偵なぁ……」

「え、まさか終わってないの? その状態で来ちゃって大丈夫?」


 サクラも予想外だったのか、心配そうに表情を曇らせる。ヒロフミはその頭をポンポンと叩いて微笑んだ。


「危ないことはないから心配すんな」


 ヒロフミの言葉に、サクラがホッと頬を緩めた。一方で、顔を歪めたアカツキが、ヒロフミの手をサクラから引き離す。途端にヒロフミは呆れた表情になり、アカツキの額を指で弾いた。


「いてっ!」

「面倒くさい絡み方するんじゃねぇよ」

「だって、俺の、妹!! 宏のじゃないんだぞ!」

「はいはい、分かってるよ、お兄ちゃん」

「俺をお兄ちゃんって呼ぶな! 宏のお兄ちゃんにはならないからな!」

「ふぅん……?」


 意味深に笑うヒロフミに、アカツキは何を感じたのかギョッとした様子で目を見開き、サクラとヒロフミを見つめた。


「ちょっと、宏兄、つき兄を揶揄ってたら、話が進まないでしょ」

「だって、面白いじゃん」

「……揶揄ってたのか! 俺は真剣に二人の関係を考えちゃっただろ!?」

「はいはい、お兄ちゃん、ご苦労さん」

「だから、お兄ちゃんって呼ぶなー!!」


 三人のやり取りの意味がアルは分からなかったが、なんとも仲良さそうで微笑ましい。そして、少し寂しさも感じる。三人だけで完結した関係性に、アルが入る余地がないように思えたからだ。


『アル。これ食うか?』

「え? ……どうしたの、珍しい」


 不意にブランが声を掛けてきたので見下ろすと、ブランはヨーグルトゼリーの入った皿をアルに差し出してきた。サクラがブラン用に作ったスイーツの一部だ。大量に用意してもらったとはいえ、ブランがこうしてアルに分けようとするのはそう多くない。


『ん? 飯がちょっと辛かったからな。口直しにいい塩梅だぞ』


 理由になっていない答えだった。つまり、説明するつもりがないということ。

 アルはブランの優しさが籠っているように感じて、微笑んで皿を受け取る。胸を過った寂しさなんて、あっという間に消え去った。

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