第310話 料理の合間に

 アカツキとブランが帰ってきたことで解析を切り上げ、アルとブランは夕食作りを始めた。

 決してより困難が予想される解析作業から逃げたわけではない。食事は人が生きる上で大切なことだから、おろそかにしてはいけないと肝に銘じているがゆえである。


 そんな言い訳を考えつつ作るメニューは、サクラが教えてくれた料理だ。辛みと豊かな味わいが特徴的なカレーライスというもの。アルはサクラの指示に従って下ごしらえを担当していた。


「ニンジン、イモ、オニオン、肉は薄切りに――」


 野菜類は大きめにカットする。これをスパイスと一緒に煮込んで作るのだ。


『アル、肉は多めにな~』

「はいはい。それでいいですか?」

「ふふ、いいわよ。でも、あまり多いと、カレーライスじゃなくて、カレー味のお肉を食べているみたいになっちゃうからほどほどにね」


 ブランの要求は受け入れられたものの、量の調整が難しい。とりあえず大量のお肉を用意しておいて、サクラに調節してもらうべきだろうか。


 難しい顔で肉を用意しているアルを見て、アカツキが「あっ」と声を上げた。


「カレーに入れずに後からのせれば、肉の量の調節は簡単ですよ。トンカツとか、ウインナーとか、普通に焼いたのとか! 色んなトッピングをできたら楽しいっすよ!」


 アルに助言しているように装っているが、アカツキの願望が籠っているのは明らかだった。だが、そういうのもありなのかとアルは納得してサクラを見る。サクラは親指を立て、力強く頷いた。


「採用! どうせなら、お肉だけじゃなくて色んなトッピングにしましょ。お野菜とか、卵とか、納豆とか」

「分かりました。でも、ナットウというのはなんですか?」

「え? 納豆……腐った豆?」

「は?」


 思いがけない答えに、アルの作業の手が止まる。まじまじと見つめるアルから、サクラは目を逸らした。おかしなことを言った自覚はあるようだ。


「いやいやいや! 腐った豆は駄目だろ! 発酵した豆って言って!」

「それそれ! それが言いたかったのよ」


 アカツキの全力のフォローで、なんとなく理解できたものの、豆を発酵させるとどうなるかがよく分からない。


「それはどうやって作るんですか?」

「あ、これは既に完成品があるから、今作らなくて大丈夫よ」


 テーブルにポンと置かれたのは、藁を束ねたものだった。この中にナットウが入っているらしい。


『……クッサ! なんだこれは! ……なんだこれは?』


 美味しいものかと興味津々で近づいたブランが、毛を逆立てて跳び退った。目を丸くして藁の束を見つめている。摩訶不思議なものを見るような目をしていた。

 だが、興味をなくすほどの臭いではないらしく、少し近づいて臭いを嗅いでは跳び退るという行動を繰り返している。なんだか見ていて面白い。


「納豆っすよ~。この臭いが癖になるんですよねぇ。まぁ、同郷の中でも、わりと好き嫌いが分かれるんで、無理に食べる必要はないですけどね」

「へぇ……」


 アルは食べる時に試してみようと思いながら、トッピングの調理に取り掛かった。とりあえず、大量の肉や野菜を焼いたり揚げたりしておけばいいらしい。


「あ、ブランはあんまり辛くない方がいいでしょう?」

『……うむ。そうだな』

「じゃあ、味は二種類にして、一方はアプルをたくさん入れてスパイスの調整をしておくわね」

『よく分からんが……アプルがたくさんなのは旨そうだな!』


 一旦ナットウへの興味を忘れ、ブランがサクラの作業を見つめる。サクラはスパイスの調合をしているのだ。

 様々なパウダーを混ぜ合わせているようで、工程が複雑だ。パウダーの分量の違いで味に大きく差が生まれるのだと、サクラが教えてくれた。だが、初心者が作れるものではなさそうだ。


「簡単に作れる固形ルウはコンビニとかお店に並んでいるはずだから、気に入ったなら買うといいわよ。一応、スパイスの調合例はレシピに残しておくけど」

「あ、そうなんですね。助かります」


 正直スパイスの香りだけで食欲がそそられていたので、気に入らないなんてことにはならないだろう。ブランも興味津々なので、今後ねだられる可能性が高い。簡単に作れる固形ルウというものや、スパイスのレシピを教えてもらえるのはありがたかった。


「後は炒めたり煮込んだりするだけだし……私はスイーツ作りをするわね!」

『おお! 我との約束を忘れていなかったようだな』

「ふふ、もちろんよ」


 ブランの歌披露のお礼に渡す予定のスイーツを作るようだ。サクラは思い出し笑いを堪えていて、相当ブランの歌を気に入ったらしい。今後もねだりそうである。


「……その場合、サクラさんは歌を楽しめて、ブランは美味しいスイーツを食べられて、お互いに利点しかないし、止めなくてもいっか」


 アルはぼそりと呟きながら調理を終えた。アルの手を煩わせないならば好きにしてほしい。


「それにしても、二人ともちょっとやさぐれた雰囲気でしたけど、解析は上手く進んでないんですか?」

「え、あぁ……そうですね。解析がさらに面倒くさくなっただけですよ」


 正直、『だけ』という表現ではおさまらないが、アカツキに説明したところでどうにかなるものではない。それに、今はその困難な事実を忘れていたかった。


「……へぇ、そうなんすねぇ。大変そう。あ、記録自体はもうすぐ終わりそうですよ!」

「結構集まりましたもんね。つまり、未解析が増えなくなるということで――」


 アカツキの報告に少し希望が芽生えた。アル同様に、少し疲れた雰囲気を漂わせていたサクラも、瞳を輝かせている。作業の終わりが見えていた方が、やる気が出るものなのだ。


「うん、明日からまたがんばりましょう」

「そうね。めげずにがんばれば、きっといつか終わる!」


 空元気であろうと、やる気が出るならばそれでいいはずだ。

 頷き合うアルとサクラの様子に何を感じたのか、アカツキは苦笑して少し引いていた。


「俺が読める字に翻訳されていれば、少しは手伝えるかも――」

「そうだわ! まずは翻訳に集中して、解析は後回しにしましょ! 人海戦術よ!」


 アカツキの控えめな言葉に、サクラが食い気味に提案した。あまりの勢いにアカツキが気圧されている。

 確かにアカツキの助力は助かる。正直解析には様々な知識も必要なので、アカツキがどこまで役に立つか未知数ではあるが――。


『人海戦術といっても、二人が三人に増えただけではないか……』


 呆れた表情を浮かべながら、ブランがゆるりと尻尾を揺らした。その発言のせいで、取り戻したはずのやる気が少し下がってしまったので、ブランには事実ならば何を言ってもいいわけではないと学んでほしい。


 ちょっとした罰を言い渡そうかと、アルは口を開いた。だが、不意に不思議な魔力が漂った気がして、ハッと息を飲んで周囲を見渡す。ブランも寛いだ雰囲気を一気に消し去り、険しい表情で周囲を眺めた。


「え? アルさんたちどうしまし――」


 不思議そうなアカツキの言葉が途切れる。驚愕の表情で一点を見つめていた。


「――なんか、人海戦術って言葉が聞こえた気がしたんだけど、人手が必要な感じか?」


 靄が晴れるように姿が現れる。その声は聞き覚えがあるものだ。


「……宏!?」

「宏兄!?」


 つい最近別れたはずのヒロフミの姿だった。工場にいるヒロとは違う。それは、アカツキとサクラの歓喜に満ちた表情からも明らかだ。

 抱きつくサクラを受け止めて、ヒロフミが穏やかに微笑む。アカツキは嬉しそうにヒロフミの肩を叩いて、何故か強めに叩き返されていたが。


「ヒロフミさん……おかえりなさい」

『おお、思いの外、早い再会だったな』


 アルが言うべきではない気がするが、これ以外適当な言葉が見つからない。ブランは警戒態勢を解いて、ヒロフミを歓迎するように尻尾を振っていた。


「ああ……ただいま。桜と暁も、元気だったか?」


 ヒロフミがにこりと笑った。

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