第309話 名前は重要

 それぞれに休んでリフレッシュした翌日。アルはサクラと共に、知識の塔に籠って文章の解析に取り組んでいた。


 アカツキはブランと共に意気揚々と白い空間に向かっている。楽しくない作業のはずなのに嬉しそうだったのは、その腰元に下がる魔道具が理由だった。

 アルが狩り用に作った魔道具に、アカツキが興味津々に食いついたため、魔石で使用できる形にして渡したのだ。アカツキは自分で魔力を籠めることはできないが、魔石を動力にした魔道具ならば問題なく使える。


「――つき兄、嬉しそうだったわね。昔から、モデルガンとか好きだったのよ。いいプレゼントありがとう」

「いえ、喜んでもらえたなら、僕も嬉しいです。アカツキさんがあれを使う時があるかはわかりませんが」


 書物をめくる手を止めたサクラに改めて礼を言われ、アルも微笑んで返す。アカツキへの贈り物を自分のことのように喜んでいるサクラは、相変わらずアカツキへの愛情が深い。そんな兄妹仲は微笑ましかった。


「どんな名前を付けるつもりかしらねぇ」


 サクラが書物の文字を指先で辿りながら呟く。覗き込んでみると、そこには【縁起の良い命名例】と書かれていた。どうやら昔の東方の国での命名に関する書物らしい。

 それを見て、アカツキが出掛ける前に「この素晴らしい銃に相応しい名前を考えておきます!」と宣言していたことを思い出したのだろう。


「……普通に魔力弾筒でいい気がしますけど」

「アルさんって、物を作る発想力は凄いけど、名づけのセンスはないわよね」


 なんだか冷たい目を向けられた気がする。そう言われるほど、悪い名ではないと思うのだが。アルが機能そのままの名前を魔道具に付けるのはいつものことである。


「――ブランは、あれよね。白って、見たままの名前」

「……そうですね」


 そこを突かれると、名づけが安直であることを一切否定はできなかった。

 ブランに名前を付ける時、アルは候補となる名前をいくつも挙げたが、どれも【白】を様々な言葉で表したものであった。つまり、どれを選んだとしても、ブランは見た目のままの名になったということだ。


「でも、名前って、分かりさえすればどうでもいい気がしませんか?」

「まぁ、ある程度はそうよね。キラキラネームとか、つけられた方は何それ? ってなる人多かったし。大人になって恥ずかしいって変えようとする人もいたくらいだし。名前を間違われて訂正するの面倒くさいって嘆いている人もいたわね。それを考えると、分かりやすいって、重要よね」


 言い訳のように返した言葉に、思いがけず真剣な表情が返ってきた。サクラには思うところがあったらしい。

 キラキラネームというのがどういうものか、アルは分からない。さほど興味もない。


「それで、なぜ今、名前について調べているんですか?」


 アルはサクラの手元にある書物を指先で叩きながら尋ねた。アカツキの発言を受けてこれを読んでいるとは思えない。今はアテナリヤが残したと思われる文章の解析中なのだ。


「……気になる言葉があったの」


 サクラの雰囲気が少し変わった。アルは雑談をやめ、サクラが示す紙に目を落とす。そこにはアカツキが記録した文章とそれを翻訳したもの、そして記号に当てはまる文章を足したものが書かれていた。まだ全てを読み解いてはいないようだが――。


「【新たな名はリア。私はそれだけの存在になった】ですか……。どういう意味でしょう?」


 アテナリヤが残したと思われる文章に記された名が【リア】とは、矛盾しているだろう。しいて言うなら、アテナリヤという名の語尾に重なる響きではあるが、それが関係しているかはまだ判断できない。


「私も気になって、こっちの本を読んでいたのよね。アテナリヤが残した文章の文字は、数百年前に大陸の極東にあった国で使われていたものよ。それでこの本が、その国の文化を記したもの。命名についても書かれているんだけど――」


 本自体は極東の国がなくなった後に編纂されたもののようで、アルでも読める文字で書かれていた。だが、サクラの説明の方が分かりやすいだろうと、静かに耳を傾ける。


「その極東の国ではイービルを信仰の神とはしていなくて、【アタナ・リア】という神を崇めていたらしいの。だから、アタナとかリアとかの名を子に付けるのは縁起がいいとされていた、って書かれているんだけど」

「アタナ・リア……まるでアテナリヤの別名のような……」


 呟きながら、アルはそれが間違っていないように感じた。つまり、アタナ・リアもまた、アテナリヤの名前である、と。

 むしろ、アテナリヤが残した記録で、自分の名をリアとしているならば、アタナ・リアの方が正しい名なのかもしれない。


「ええ。私もそう思う。それによく思い出してみると、イービルがアタナ・リアと呼んでいたことがあった気がするのよね」

「え、そうなんですか?」


 サクラが考え込みながら呟く。イービルまでそう呼んでいたならほぼ確実である。


「――名前が違う、というより、似た発音だから、どこかで聞き間違いが生まれたということですかね。でも精霊もアテナリヤと呼んでいたような……」

「そこが不思議よね。まぁ、精霊も聞き間違えたか、アテナリヤがあえて間違った名前を教えた、とか?」

「なんのために?」


 アルはサクラと顔を見合わせた。この疑問に対する答えを知らないことは、双方ともに分かりきっている。サクラが肩をすくめて首を傾げたところで見つめ合いをやめた。


「……【新たな名はリア。私はそれだけの存在になった】……まるで、元々は違う名を持っていたみたい。それに、【それだけの存在になった】って、存在が変わったということを示しているような……」


 サクラがポツリと零した言葉。アルも同じことを感じていた。

 調べが進めば進むほど、アテナリヤに関しての謎が深まる気がする。それでも、文章を全て読み解けば、何かしらの答えが得られるだろう。

 アルは気合いを入れ直して手元の紙に意識を向けた。


「続きを読み解きましょう」

「そうね。考えるより実行!」

「読み解くのに思考力はいりますけどね」

「本当に、それよ! なんでこんなにややこしい書き方をしているのかしら。読み解かせるつもりがないんじゃない?」


 アルの掛け声に、サクラも気合いを入れ直したようだが、大量に残る未解析の紙の束を見て、げっそりとした表情で嘆いた。アルも同感なので苦笑するしかない。そして、サクラには残念なお知らせをしなければならなかった。


「作業を再開する前に、ちょっと聞いてください」

「……なに?」


 アルの前置きに、サクラが警戒した表情をする。察しがいい。警戒されたところで、アルが話す内容は変わらないが。


「ついさっき気づいたんです。どうしても読み解けない文章があって、どういうことかなって、暗号解読本を参考にしようと読んでいたんですけど」

「すっごく嫌な予感がするわ……」

「どうやら、記号に他のところから文章を当てはめるだけでは、読み解けないようなんです。つまり、文字を反転させたり、規則的に文字を組み替えたり、さらに工夫しなければ読み解けない文章が混ざっています」


 サクラが絶望したような表情になった。笑顔を取り繕っているアルも、実は同じ気持ちである。この事実に気づいた時、アルは正直『投げ出してもいいかな?』と思った。

 魔法陣解析ならばいくらでもやるが、アルは言語学の研究者ではないので、こんなに複雑な文章を読み解くのは嫌になる。本好きでも限度があるのだ。


 アルとサクラの間に沈痛な空気が満ちたところで、知識の塔の入り口がバンッと勢いよく開いた。アカツキだ。


「桜、アルさん! この銃の名前決めました! 【闇から生まれ出で、命を狩るモノ。その名は――静かなる暗殺者サイレント・アサシン】って、どうですか!?」

「長い上に分かりにくいわ! 名前は分かりやすさが重要でしょ! 説明まで名前に含めるな! 中二病は大概にしてって何度も言ったよね!?」

「ひぇっ!? なんでそんなに怒ってるのっ?」


 叫んだサクラに、アカツキが目を見開いて跳び退く。サクラの怒りは八つ当たりがほとんどだが、アカツキの名づけが酷すぎたのも理由の一つだろう。

 ただ、アルが今言えることは一つだけだった。


「タイミングが悪かったですね」

「だから、どういうこと!?」


 アカツキがサクラに叩かれながら、悲鳴を上げた。

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