第308話 妙なる調べ

 炭の上に網をのせ、大量の肉が炙られる。いい匂いがあたりに漂い、いやがうえにも食欲が刺激された。


『うっま~い!』


 口いっぱいに肉を詰め、味わうブランは喜びに溢れた雰囲気だ。幸せそうでなによりである。

 せっせと肉を焼いて、ブランの皿に山積みにしたアルは、自分の食事を始めながら微笑んだ。やはりこうして人と食事を囲むのは楽しい。


「美味しいわねぇ。肉もタレも種類が色々あるし、飽きがこないわ」

「そうそう。辛みそつけて焼いた肉はチーズと絡めても美味しいし、葉野菜で包んで食べてもいいし。ちょっと口がこってりしてきたら、味付けなしの肉をポン酢にくぐらせるのも良き……」

「このアプルをベースにした甘いタレをつけるのもいいよ」

「おお、それはいいこと聞いた」


 サクラとアカツキが好みの味を語り合う。その表情は研究者さながらの真剣みがあった。いかに美味しく食べるかへの追求心が強すぎて、アルは少し引いてしまったが、兄妹仲が良いのは微笑ましい。


「これ、ラム肉?」

「ラム? それは美音羊トーンムトンですよ」

「ああ、あの巨大な羊……」


 サクラが何故か遠い目をする。


「――あれを見た日の夜、夢に出てきて飛び起きちゃったのよね。大きすぎるわよ。羊って安眠に効くはずなのに……」


 羊が安眠に効くとは、アルは初耳である。

 アルが「それはどこで得た知識か」と質問をしようとしたところで、アカツキが口を開いた。


「それってシープ睡眠スリープの発音が似ているから、とか。シープって発音で深呼吸が促されてリラックスしやすい、とか。そういう理由だったはず。つまりは……安眠効果なんて気の持ちようだぜ……」


 どこか投げやりに聞こえる言葉だった。だが、アルの疑問は氷解したので聞き流して食事を再開する。サクラは不思議そうに首を傾げた。


「なんでやさぐれてるのよ。何か羊に関して悪い記憶でもあるの?」

「仕事中に寝落ちしそうになったら、ファイティングポーズの羊きぐるみの上司に叩き起こされたことがある」

「は? メルヘンな職場?」

「残念。夢のお話です。走馬灯だったのかもしれない。でも、おかげで飛び起きて、仕事をすることになりました。ノルマは終わったけど、精神はボロボロだぞ……」


 よく分からないが、アカツキは羊に苦い思い出があるようだ。

 アルは美味しいお肉を味わいながら、ふと今日の狩りを思い出した。美音羊トーンムトンの特性を、アルは思い知ったのだ。


「普通の羊ではなく、美音羊トーンムトンなら入眠効果があるかもしれませんね」

「え? 今、こんな巨大な羊は安眠に逆効果だって話をしていたんだけど」


 アルの呟きに反応し、サクラが困惑した表情で首を傾げる。アカツキもきょとんと目を丸くしていた。

 美音羊トーンムトンの効果は、味わった者しか分からないだろうから、二人が不思議そうにするのも無理はない。


「最初の美音羊トーンムトンはブランが狩ってきたもので、鑑定眼でしか特性が分からなかったんですけど」


 アルの脳裏に美音羊トーンムトンの姿が浮かぶ。

 ブランはアルが鳴き声を気にしていたことに配慮したのか、二度目は生きた状態でアルのもとに美音羊トーンムトンを連れて来てくれた。追い込み漁のついでで、単なる偶然だった可能性もあるが。


 そして、美音羊トーンムトンの鳴き声を聞いた瞬間、近くにいた魔物たちは足を止めて立ち尽くし、アルは呆然とその巨体を見上げることになったのだ。

 まさしく、妙なる音色だった。どんな楽器でも表現できないような、神聖ささえ感じるほどに美しい響き。それは聞く者の心を安らげ、眠りに導くような音色で――。


「その後、巨体が踏みつけてこようとしたんですけど。まさに眠りにつきかねない瞬間でしたね」

「いや、それ、安眠じゃなくて、永眠っ!!」


 ほのぼのと述懐するアルに、アカツキが勢いよく叫んだ。サクラはポカンと口を開けた後、心底楽しそうに笑い声を上げる。


「やぁだ、アルさん、そういうこと言うの? 笑っちゃうわ」

「冗談のつもりはないんですけどね。ただ、眠りって色んな種類があるな、と思いましたけど」


 楽しんでもらえたなら話した甲斐がある。そう思ってアルが微笑んでいると、アカツキがまじまじと見つめてきた。


「どうかしましたか?」

「……アルさん、生きてますよね?」

「生きてますよ?」


 不思議なことを聞くアカツキに、アルは首を傾げてしまう。

 袖を引かれた感覚があって見下ろすと、ブランが手を伸ばしていた。ブラン用の皿の上は空。つまりはおかわりの催促である。

 ちょうど大量のお肉が焼き上がったところだったので、ドサドサと皿に積み上げた。多少焼けていない部分があろうと、ブランは魔物だから問題あるまい。


「……どうやって、美音羊トーンムトンから逃れたんですか? 魅了状態だったんですよね?」


 アカツキが問いかけてきて、逸れていた意識が引き戻された。アカツキの疑問はもっともである。魔物を設定したのはアカツキなのだから、美音羊トーンムトンの鳴き声の性質も熟知しているのだろう。


「確かに美音羊トーンムトンの鳴き声で、僕は魅了された状態で、動きが止まってしまいましたが。その状況で、美音羊トーンムトン以外にも動けるのがいたんですよね」

『我だな!』


 アルの言葉に続き、ブランが胸を張って宣言する。今回ばかりはブランに助けられたから、その偉そうな態度も咎められない。アルの命の危機を招いた原因も、追い込み漁を行ったブランなので、褒めるつもりはないが。


「あ、そうか。……って、ブランには美音羊トーンムトンの鳴き声は効かなかったんですか?」

『効かなかったな』

「なぜ? あれは聴覚のあるものには、全員効果があるはず……?」


 不思議そうに首を傾げるアカツキに、ブランは興味なさそうに『さぁな。我が最強だからではないか』と適当に言葉を返している。

 確かにブランが他の魔物や人間と比べて、特段に強い存在だから、美音羊トーンムトンの魅了攻撃が効かなかった可能性はあるだろう。だが、アルはそれと同じくらい可能性のある理由を知っていた。


「アカツキさん、ブランの鼻歌を聞いたことありますか?」

「鼻歌、ですか? あるような、ないような……?」


 突然のアルの問いに、アカツキがきょとんと目を丸くする。その横で、サクラが「もしかして……?」と何かに思い当たった表情になった。大変察しがいいが、そのせいで笑いを堪えなければならなくなっているのが少し可哀想だ。

 アルは思う存分笑えるように、さっさと答えを告げることにした。


「ブランは、驚くほど音痴なんです。つまりは、美しい音色を、美しいと感じていない可能性があります」

「そんなことありますかっ!?」

「あはははっ! 美声攻撃も通用しない音痴とか、最高!」


 驚愕の表情でツッコんでくるアカツキの横で、サクラが吹き出すように笑った。

 ブランは自分が笑われていることに気づいたのか、頬を肉で膨らませながら目を細めてアルを睨む。肉を追加したらすぐに機嫌が回復していたが。こういう時は欲望に真っ直ぐで単純な性格がありがたい。


「ねぇねぇ、ブラン、歌ってみて」

『断る。我は食うので忙しい』

「えー、聞きたいのに。ブランは念話なんだから、食べていても歌えるでしょ?」

『断る。念話はそのようなことに使うものではない』


 サクラの要求を、ブランはひたすら退けていた。だが、その後にニコリと微笑んだサクラが告げた言葉には逆らえない。


「ブランのために、たくさんスイーツ用意してあげるから」

『……良いだろう。我の歌声に聞き惚れるがいい!』


 一転して上機嫌に歌い始めたブランに、再び笑い声が溢れた。とんでもなく音が外れた歌声だったが、聞いていると楽しい気分になるのが不思議だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る