第302話 調査開始!
白い空間は初めて見た時と変わらず、静謐な空気で満ちていた。
アルは目を細め、眩しい空間を見渡す。
「……さて、どこから取り組みますか?」
「一つずつ手分けして確認するしかないっすねぇ。ある程度したら、俺が文字を書き写して、アルさんと桜はそれを解析するっていう分担にできると思いますけど」
「じゃあ、私は左端から確認するわ」
それぞれ調べる分担をした。サクラが左端、アカツキが右端、アルは真ん中からである。ブランはサクラの補助につけた。高いところを調査するのに、女性だと危ないかもしれないと思ったから、念のためである。万が一落ちるようなことがあれば、ブランが身を挺して受け止めてくれるはずだ。
『我は、クッションではない……』
「ふふ、分かってるわよ。大丈夫、落ちることはないと思うから、作業を見守ってくれればいいわ」
珍しくサクラの腕に抱かれて、ブランが恨めしげにアルを見据える。サクラはなんだか嬉しそうだ。ブランの毛を撫で、顔を綻ばせている。もふもふとしたものが好きらしい。
アルの脳裏に、ドラグーン大公国で別れたきりのメイリンの姿が浮かんだ。ソフィアのメイドである彼女も、もふもふとしたものが好きだったはずだ。
「僕も分かってるよ。ただ、万が一の時に、サクラさんを守ってほしいだけ」
『……サクラよりもよほど、アカツキの方が危なっかしい感じがするがな』
ブランの指摘に、アルは確かにと納得してしまった。サクラも「あー……」と何とも言えない表情で頷いている。
アカツキが眉尻を下げ、情けない表情になった。
「納得しないでくださいよ! 桜も! 俺が一番理解してますけど!」
『自分で分かってるんじゃないか。まぁ、我がアカツキの傍にいたところで、落ちてこようと守るつもりは一切ないがな』
「みんな、俺に対する優しさが足りない!!」
アカツキが喚く。アルは軽く耳を塞いだ。これはブランとアカツキのじゃれあいだと聞き流すに限る。
「あ、サクラさんの担当の場所まで、脚立を持って行きますね」
「ありがとう。脚立、重いのよねぇ」
アルのアイテムバッグ内には、サクラが用意したはしごが収納されている。脚立というのがサクラたちの呼び方だ。確かに二つのはしごを組み合わせて安定感を持たせた構造は、ただのはしごと呼ぶべきではないと思ったので、アルも脚立と呼ぶことにしている。
無数の柱が並ぶ空間の左端まで進みながら、アルは少し不安になった。二つのはしごを使っているだけあって脚立は重い。サクラ一人で移動させるのは難しい気がした。
柱の一つの傍に脚立を設置して、アルはサクラを振り返る。
「これ、移動の時は無理せず声を掛けてくださいね?」
「あら、ありがとう。でも、引きずって動かすくらいはできると思うわ」
微笑んで答えるサクラの足下にブランが走り込んできた。アカツキとのじゃれあいはやめたらしい。アカツキの怒りと悲しみが混ざった叫び声が聞こえてくるので、ブランがアカツキを無視してきたというのが正しいか。
『それを動かすくらいは、協力してやらんでもないぞ』
モフッとした胸を張ってブランが言う。サクラが嬉しそうに礼を告げているからいいものの、ブランがそんなに偉そうなのは何故だ。アカツキよりも仕事が少ないというのに。
アルは呆れつつも、「はいはい、よろしくね」と頷いた。すかさず飛んできた『仕事の後には旨い飯があるからな』という言葉は聞き流す。そんなことは約束していない。言質をとられるつもりもない。
「工場直送のご飯美味しいわよ。後で食べましょうね」
『う、うむ。それもいいのだがな……』
微笑み告げるサクラに、ブランが珍しくたじろいだ。完全なる善意での申し出であるため、食い意地の張った我儘なブランも、素気無く却下することはできなかったらしい。
アルはブランが望んでいるのがアルの手製の料理だと分かっていたが、工場産の料理を食べてもらう方が手間を省けるので、何も言わないで微笑んで頷いておく。
「では、僕も作業に取り掛かるので」
「ええ。一時間ほど調べたら、情報のすり合わせをしましょう」
サクラに手を振り、持ち場に向かう。アカツキは既に自分の持ち場に向かっているようだ。作業する背中に少し哀愁が漂っている気がする。
「さて、早速やりますか……」
アルが見上げた柱の上部には、何か文字が書かれているのが見える。扉を開くために使った文章もあるため、全てがアルの求めている情報ではないだろうが、何か新たなものが得られる予感がして、アルは自然と胸を期待で躍らせていた。
◇◆◇
作業をすること暫し。ある程度情報を集めたところで、アルたちは集合していた。
この空間は時間の経過を感じられないが、そろそろ夜も深くなってくる時間だろう。今日の作業は一旦ここで終わりにするつもりだ。
「どんな感じでしたか?」
脚立をアイテムバッグに戻しながらサクラに問いかける。サクラは少し疲れた顔をしていた。
「思っていた以上に、私が読めない文字が多かったわ……。この空間にあるのは、世界のどこかで使用されていた文字のはずだけど、こんなに分からないとは思わなかった」
アルはサクラの手にある紙の束に目を落として頷く。
「それは精霊の文字ですね。サクラさんはご存知なかったのですね」
「精霊の文字? これがそうなのね……。私たちは多少精霊と関わりがあったけど、知識の教授という点ではほとんど協力をもらえなかったの。それが精霊の理だからしかたなかったのでしょうけど」
サクラはまじまじと文字を眺めながら頷く。「時間があったら、精霊の文字を教えてほしい」と頼まれたので、アルは頷いておいた。今のところ、精霊の文字で書かれたものは、アルが翻訳するのが手っ取り早いだろうが。
「僕も読めない文字が結構ありまして……サクラさんはご存知ですか?」
「ああ、これは……遥か昔に辺境の国で使われていた文字ね。これなら読めるわ。後で翻訳しておく。そっちは、神聖文字ね。昔の宗教国家が聖典に用いた文字のはずだけど、さすがにあまり知らないわ。でも、本が知識の塔にあるはずだから、調べてみましょう」
「お願いします」
サクラは精霊文字を除けば、世界で使われている文字のほとんどを理解できるようだ。神聖文字と呼んだもののように、すぐさま読み解けないものも多いようだが、ほとんどの文字は知識の塔に参考となる文献があるらしい。
「ふへぇ~……なんか、頭の良いやり取り……」
『お前の感想は馬鹿っぽいな』
「馬鹿じゃないもん。知識がないだけだもん」
『それを馬鹿というのではないか?』
「うぐっ……」
アカツキがブランに貶され、項垂れながら紙の束をアルに差し出す。数多の文字が書かれた紙は、アカツキが真剣に作業に取り組んだ証だった。
読めない文字を書き写すという作業はだいぶ疲労感のあるものだったはずだ。長い時間を独りで閉じ込められていたアカツキの知識が乏しいのは、どうにもしようもないことだ。アカツキが貶されるいわれはない。
アルはブランの頭を叩いて咎める。ブランもアルが言いたいことは分かっていたのか、ピタリと口を閉ざした。つまり、ブランはアカツキで遊んでいただけだということ。
仲が良いのはいいが、つっかかることでしかコミュニケーションをとれないのはどうなのか。ブランは不器用すぎる。
「アカツキさんもお疲れさまです。これは僕たちの方で解析させてもらいますね」
「お願いしまーす。……それにしても、三分の一も調べられていませんね……」
空間を見渡したアカツキがぼそりと呟く。調べ終えた柱には赤いリボンを結んでいるのだが、確かに調べられた数は三分の一にも満たない。
アルはサクラと顔を見合わせ、ため息をつく。
「先は長いようですが、地道に頑張りましょう」
そう返す言葉しかアルは持っていなかった。
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