第300話 方針決定

 家を出てきたアルは、のんびりと歩きながら周囲を見渡した。

 久しぶりにゆったりとした時間を感じている気がする。ここ暫くは、クインのためにと研究をしている時間が長かったから。


「ここは静かだなぁ」

『人はほとんどいないし、魔物すら存在していないからな』

「あ、起きていたの?」


 独り言に思いがけず返事が返ってきた。アルは腕の中のブランを見下ろす。

 ブランは大きく欠伸をして、眠そうに瞬きをしながら周囲を見つめた。

 今は既に夕刻。森やアカツキが作ったアスレチック施設は、夕陽で赤く染まっていた。


『うむ。我はこうも動かれて起きないほど間抜けではないぞ』

「嘘ばっかり。僕の肩で寝ていること多いでしょ」

『寝ていると思っていたのか? 我はちゃんと起きて警戒をしているぞ』

「……時々聞こえるいびきは?」


 返事はなかった。シラッとした顔で嘘を言われたところで、アルがそれに騙されるわけがないのだ。

 たまに寝たふりで警戒していることがあるのは知っているが、それは一割にも満たない。ほとんどの場合、ブランは惰眠を貪っているだけだ。


『……今後はどうするのだ?』

「あ、話を逸らしたね?」


 あからさまな話題転換。おまけに、ブランはそっぽを向いて、調子っぱずれの鼻歌を奏でている。まるで子どものような誤魔化し方が可愛くて、アルはつい笑って許してしまった。


「――そろそろ本格的に魔族の人たちの望みを叶えられるよう頑張ろうと思っているよ」

『そうか。……だが、どうするのだ。何かを知っていそうな精霊の王は口を噤んでいたし、手がかりはなかろう?』

「そうなんだよねぇ……」


 アルは嘆息をつきつつ、精霊の王から聞いた言葉を改めて思い出す。精霊の王の言葉は、【魔族の帰還】という概念から間違っていると言わんばかりだった。まだその意味がよく理解できていない。


「――異世界からやって来た魔族。元の世界ではただの人間。彼らはイービルによって連れて来られた。その理由は?」


 情報を整理するために、アルはぽつりぽつりと言葉を続ける。ブランは『んー……』と唸りながら首を傾げた。


『アテナリヤが生み出した世界を破壊するため、ではないのか?』

「その可能性は高いけど、それを行うのが魔族である必然性はどこにあるんだろう。イービルが自分ですればいいよね」


 これまでにも出てきた疑問。魔族という存在の根本に関わる問いに、答えはまだ得られていない。


『……我は、イービルの在り方は、アテナリヤと似ているように感じる』

「え……?」


 ブランがぽつりと呟いた言葉に、アルは腕の中を見下ろした。ブランは森の方へ視線を向けながら、言葉を選びつつ話す。


『アテナリヤは世界の管理のほぼ全てを精霊とドラゴンに任せている。それが何故なのかは我には分からぬが……もしかしたら、神自身が世界に関わりえぬ理由があるのかもしれん。それならば、神を僭称するイービルもまた、その理由がゆえに、世界に直接関与できぬのではないか?』


 一理あると思った。

 アルは思いの外深く思考を巡らせていたブランに感心する。ブランのことをこれまで馬鹿にしていたわけではない。だが、魔物であるブランは基本的に目の前にあることだけを考える傾向があるため、そこまで考えていたとは思わなかっただけだ。


『――なんだ、その目は。馬鹿にしているのか』


 アルの思いに気づき、ブランが不満そうに目を細めた。アルは微笑み、「ごめん、馬鹿になんてしてないよ」と謝る。納得がいかなそうに睨んでいたブランだが、しばらくして諦めてため息をついた。


「そういえば、イービルは現在の世界で神として崇められているんだよねぇ。いつからなんだろう……」

『いつからというより、そも、現在の宗教という形を作ったのがイービルなのではないか? より厳密に言えば、悪魔族だな』

「あ、そうか。それなら、礼拝の場が、金儲け主義な感じな理由も分かるかも。あそこは悪魔族の活動資金を集める場なんだ」


 アルは腑に落ちた気分で頷く。悪魔族が行っている世界を破壊する活動にはある程度金銭が必要だろう。マギ国のように、国ごと傘下においてそこの資金を活用することもあるだろうが、それを行うにも前準備が必要だ。そのためにはお金がいる。


「――礼拝所に潜入して情報を集めてみる?」

『冗談だろう。危ない橋を渡るな』


 すぐさま咎める視線が向けられて、アルは肩をすくめた。アルも本気で言ったわけではないので苦笑する。


「うん、冗談。僕は悪魔族を追いたいんじゃなくて、異世界に戻る方法を探したいだけだからね」

『……まぁ、礼拝所が悪魔族、ひいてはイービルと関わりがあるならば、何かしらの手がかりも見つかるかもしれぬが。イービルは恐らく世界で唯一、異なる世界間の転移を可能にした存在なのだから、その方法について記録がある可能性はある』


 前言撤回とばかりに放たれた言葉に、アルはまじまじとブランを見下ろす。


「僕も同じことを考えたけど、可能性は低いよね。悪魔族に世界間転移の方法を知られたら、逃げられる可能性があるんだから、悪魔族が管理する場所にそんな情報を残すはずがない。悪魔族の中に隠れてその情報を探り、記録する者がいたとしても、誰の目に触れるかも分からないような公共の場所に、情報を置いておくことも考えにくいし」

『そうだな』


 ブランも分かっていたのか、アルの言葉に軽く同意が返ってきた。


『――それに、礼拝所が真に悪魔族の塒になっているなら、真っ先にヒロフミが調べているはずだ。次に会った時に聞けばいい』

「ああ、そうだね。悪魔族の活動に一番詳しいのはヒロフミさんだ。……いつ来るかなぁ。それとも、探しに行った方がいいのか……」


 おそらく、この世界で最も長く世界間転移について調べ、情報を持っているのはヒロフミだ。会って話を聞くのが一番いい。つくづく、話をできた時間が短かったのが残念である。


『広い世界の中で、隠れて活動しているだろう者を、どう探すというのだ』

「無謀だよねぇ。やっぱり僕たちなりに情報を集めないと……。それにしても、精霊も世界間転移は無理そうって感じだったし、いったいどうすればいいやら」

『マルクトの研究も成果がすぐ出る雰囲気でもなさそうだったからなぁ……』


 会話が途切れた。手がかりが見つからないのだ。

 かつて、先読みの乙女はヒロフミに、アルが魔族の望みを叶える助けとなると告げたようだが、その予言を達成できる気がしない。もっとヒントを残してほしかった。


「……この地に、何か手がかりがありそうだけど」

『何故だ?』


 アルの言葉に、ブランがきょとんと目を丸くして首を傾げる。アルはその頭を撫でながら、言葉を続けた。


「先読みの乙女は、『選ばれた子が異次元回廊を訪れ、魔族の助けになる』って感じのことを言っていたはず。それは魔族と出会うという前提条件を達成するためだったのかもしれないけど……ヒロフミさんは当時外にいたんだよね。それなら、条件に合う子の特徴を教えた方が、いち早くヒロフミさんは僕を見つけ出せたはずだよね。託宣が遠回りしすぎている。異次元回廊を訪れることには、魔族に出会う以上の意味があるんじゃないかな」

『先読みの乙女が曖昧なことしか言えないだけじゃないか? アルは考えすぎだ』


 アルの推理をブランがバッサリと切り捨てる。アルもその可能性は高いと思っているので、苦笑するしかなかった。

 だが、情報を求めて世界を巡るよりも、異次元回廊内を探してみる方が時間はかからない。試してみてもいい気がするのだ。


「そうかもしれないね。まぁ、とりあえずサクラさんに、魔族が変えてない場所はないか聞いてみよう。もし手がかりがあるなら、それはアテナリヤが残したものだ。サクラさんたちが手を出していない場所にあるはず」

『……神に会うための場所だけだったらどうする? 神に会うのか?』

「その時は諦める。僕はアテナリヤに対面するつもりは今のところない」


 アカツキたちのためだと言っても、アルにも許容できないことはあるのだ。実像が見えていないアテナリヤに会うなんて、危険な真似をするつもりはなかった。

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