第299話 呪いの成果

 なんとか【まじない】を覚えたアカツキが、早速使ってみようと準備を始めた。杖を取り出し、黒いマントを羽織るアカツキを、サクラは半眼で見つめている。ヒロフミもその格好に呆れていたし、異世界でなんらかの共通認識がある姿なのだろう。


「桜にいきなり【まじない】を掛けるのは怖いんで、他のものに試したいんですけど」

「そう言われましても……?」


 アカツキがアルを振り返り要望するが、アルは他に穢れをまとったものに心当たりはない。そもそも穢れ自体を感じるのは難しい気がするので、試しても意味がない気がする。


「そうですよね……。せめて安全性だけでも、魔物とかで調べてみますかねぇ……」

「ああ、それはいいかもしれませんね」


 思案気に呟くアカツキに同意する。

 ヒロフミが作った穢れ祓いの【まじない】だが、副作用がある可能性もある。アカツキが慎重になるのは当然だと思った。


「――それでしたら、私に掛けてみてはどうでしょうか?」

「お、ニイさんに? それ、意味があるんですかね……?」


 軽食を持って来ていたニイが提案する。ニイはヒロフミたちによって作られた特殊な存在だから、【まじない】の効果を測定するのに相応しいかはよく分からない。

 アルはアカツキに問われても首を傾げて見せるしかなかった。少なくとも目に見える害が生じないかは確認できるかもしれないが。


「あら、ニイに掛けるのは有用よ。宏兄もよく【まじない】の効果をニイで確かめていたわ。【まじない】を分析する機能がニイには備わっていたはず」

「あ、そうなんだ。じゃあ、協力してもらおう!」


 サクラの説明に、アカツキの表情が明るくなる。

 アルは「なるほど……」と呟きながら、ニイを観察した。新たに生み出した魔法の効果を確かめるのがなかなか大変なことをアルは熟知している。ニイのように、効果判定の機能を持つ魔道具を作ってみるのも面白いかもしれないと思った。


「――じゃあ、ニイさん、よろしく」

「かしこまりました。分析の準備は整っています」


 ニイとアカツキが向かい合って立った。そして、アカツキが緊張した面持ちで杖を構え、口を開く。


「えぇっと……【浄化】!」


 ぎこちない口調で唱えたキーワードに、杖が即応した。杖の前に光り輝く不可思議な模様が現れ、ニイに触れて霧散する。


 アルはその模様を頭の中で再現し、分析して『あれ?』と思った。アルが作るような魔法陣とよく似ていたのだ。

 もしかしたら、杖は【まじない】を使う媒体ではあるが、実際に行使される際は【まじない】を魔法に変えているのかもしれない。


「なるほど……面白い。魔族は魔法を使えないから【まじない】を生み出したけど、ダンジョン産の創作物である杖は、【まじない】をそのままでは使えない、ということかな。考えてみれば、アカツキさんのダンジョンは神の創作物といってもいい。神が【まじない】を使えないなら、神の創作物もそれに準じる。まあ、【まじない】を変換できるってだけでも十分凄いけど……僕も分析と試行錯誤を繰り返したら魔法にできるだろうし……」


 アルはブツブツと呟きながら頷いた。知れば知るほど【まじない】は興味深い。それを生み出したヒロフミへの興味も深まるばかりだ。


 そんな一人別視点で事態を観察するアルをよそに、アカツキたちは効果の分析を行っていた。


「ニイさん、どんな感じ?」

「分析中です。……――分析が終了しました。この【まじない】は魔力的穢れの浄化機能があります。それ以外の影響の一切は排除されており、応用的な使用には向いていません」

「お、いい感じじゃん!」


 ニイの返答に、アカツキが安堵した表情を見せた。狙っていた通りの効果が確認されたのだから当然だ。サクラもホッと息をつき、頬を緩めている。


 そんな二人の姿を見てから、アルはニイに視線を向けた。

 アルからすると、アカツキが使ったのは【まじない】であっても、受けた側は魔法と感じてもおかしくない性質のものだった。ニイは何を基準にそれを【まじない】と判断しているのか。


「……【まじない】と魔法の違いはなんですか?」


 いつだったか聞いた覚えもあるけれど、改めて尋ねてみた。ニイはアルの疑問を読み取ったのか、端的に答えを返す。


「行使者です。どのような経過を辿っていようと、サクラ様やアカツキ様が使用する限り、それは【まじない】です」

「そうですか……」


 【まじない】は魔法を使えない魔族のためのもの。実際に現れる見た目が如何に魔法と似通っていようと、行使者が魔族である限りなんらかの違いがあるということだ。


「……アルさんが何を気にしてるんだかよく分からないんですけど……サクラに【まじない】をかけて大丈夫そうですか?」


 アカツキが恐る恐る尋ねてくる。アルが【まじない】を気にした様子を見せたことで、心配になってしまったようだ。

 アルは微笑んで頷いた。アルが分析した内容でも、害があるようなものは見つからなかった。ニイの言う通り、これは浄化――穢れ祓いに特化した【まじない】なのだろう。


「大丈夫ですよ。早くサクラさんに掛けてあげてください」


 穢れがどの程度サクラの精神を蝕んでいるか、アルには判断できない。だが、早いに越したことはないはずだ。

 アルの返答に安心したアカツキが、気合いを入れ直して、今度はサクラに向かい合う。サクラは気負う様子もなく、真っすぐにアカツキを見つめ返した。


「んじゃ、桜、覚悟はいいか~?」

「覚悟が必要なのは、つき兄でしょ」


 軽い口調で隠せないくらい緊張した面持ちのアカツキ。そんな兄をサクラが微笑んで茶化した。サクラはアカツキを信頼した上で、その緊張を和らげてあげようとしているのだとアルには分かった。

 アカツキがサクラの思いに気づかないはずはなく、面映ゆそうな表情になった後、すっと真剣な眼差しになった。そこに無駄な気負いは見当たらない。


「……よし。いくぞ。――【浄化】!」


 再び杖から放たれた光。サクラは抵抗することなく、目を閉じてその光を受け入れる。

 光の中でもぞりと闇が蠢いた気がして、アルは注意深く観察した。その闇にアカツキも気づいたらしく、少し険しい雰囲気になっている。


 闇は、以前アカツキから零れ落ちて消えていったものによく似ていた。それが穢れということだ。はっきり見えたことに少し驚きつつも、納得してしまう。


 アカツキとサクラは、長い時を過ごした場所は違っても、穢れた魔力に触れていた時間に差はほとんどないはずだ。穢れが可視化されているのは、おそらくその濃度に由来している。長い時を掛けて濃縮された穢れだから、アカツキたちから零れたものは見えたのだ。


 アルは穢れに関して情報を整理しつつ、闇が消え去るのを見届けた。同時にサクラを包んでいた光がフッと消える。


「……どう?」


 アカツキがサクラをじっと見つめ、恐る恐る問いかける。サクラはパチパチと瞬きを繰り返し、自分の手や体を見下ろして、「……うん」と頷いて返した。


「――大丈夫。というか、なんか、すっごく身体が軽くなった気がする。長年の肩こりとか腰痛から解放されたような爽快感? 痛みがあったわけじゃないんだけど……結構穢れに蝕まれていたのかも」


 嬉しそうに微笑むサクラの顔が、これまでより明るく見えた。


「そっか……そっか……うん、それなら良かった……っ」


 何度も頷くアカツキの頬が、次第に涙で濡れていく。心底安堵した様子だ。


「もう、子どもじゃないんだから、そんなに泣かないでよ。……でも、ありがとう」


 サクラがアカツキの頬を拭い、そして抱きつく。抱き締め返すアカツキの腕の力は、アルから見ると強すぎるように思えたが、サクラは一切文句を言わず、静かにアカツキが落ち着くのを待っているようだ。


「……やっぱり、きょうだいっていいなぁ」


 アルは微笑み、今は二人だけの時間にしてやろうと、ブランを抱えてそっと部屋を抜け出した。

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