第298話 アカツキの怠慢とサクラの叱責

 アルたちはクインを見送って、研究場所としていた家に戻ってきた。

 どことなくしょんぼりとしているブランを撫でながら、アルはアカツキに視線を向ける。きょとんとした表情が返ってきたので、思わず眉を寄せた。


「……アカツキさん、何かお忘れではありませんか?」

「へ? クインのところに置いてきたものなんてありませんけど……?」


 さりげなく指摘したが、気づいてもらえなかったようだ。妹の一大事と大騒ぎしていたはずなのにそれでいいのか。たぶんサクラを実際に見て、そこまで切羽詰まる状況ではないと無意識で判断しているのだろうが。


 アカツキよりも先に思い出したブランが半眼になっている。あからさまに呆れて、非難しているブランの雰囲気に気づいたアカツキが、「あれ? 俺、何忘れた?」とおろおろと動揺し始めた。


「アカツキさん、持ち物を確認してください」

「いえっさー!!」


 アルが端的に指示すると、アカツキはビシッと背筋を伸ばして持ち物を探り始めた。


「あら? つき兄、また何かやらかしたの?」


 ニイと話していたために遅れて部屋に戻ってきたサクラが、アカツキの慌てぶりからすぐに察した。そうなるくらい、アカツキが何かをやらかすのはサクラにとって日常的なことなのだと理解して、アルは少しサクラに同情した。アルはこんな兄はほしくない。前にも同じことを思った気がするが。


「――はっ!! 宿題!」

「宿題……? つき兄、学校にでも通ってるの? いや、そんなわけないわよね……」


 ようやく思い出してくれたアカツキが、巻物をテーブル上に広げる。サクラは目を細め、得体の知れないものを見るようにアカツキを眺めていた。


「あ、これ、宏から渡されたやつだよ。なんか、ここみたいな場所は管理者に穢れがつきやすくって、それが精神衛生上良くない、みたいな? ってことで、【まじない】でその穢れを祓うっていう術式をもらったんだ。桜の穢れは俺がこれを使って祓ってやるからな!」

「なにそれ……初耳……。いや、魔力の穢れって概念は分かるし、それを祓う術を宏兄が編み出しているのは知ってたけど……いつの間に私がそんなことに……?」


 アカツキが軽い調子で答えると、サクラが呆然とした様子で呟いた。

 その事実を知った時は、アカツキもだいぶ動揺したのだから、説明するにしてももう少し何とかならなかったのかと、アルは少し苦言を呈したい。だが、もうしてしまったことなのでどうしようもない。


「サクラさん自身は気づかないことだったんでしょうね。僕も魔力の穢れとか感じたことはあまりなかったので、サクラさんがそんな状態だったとは思いませんでした。すみません」

「……アルさんが謝ることじゃないわ。それに、今必死に巻物を読み込んでいるつき兄がどうにかしてくれるんでしょ」


 アルのフォローには微笑みが返ってきた。波乱に満ちた長い生を過ごしてきたサクラは、精神的に強くて立ち直りが早い。穢れの影響なんて一切感じられず、トラルースの言葉は嘘だったのではと思ってしまうくらいだ。


 だが、アルはサクラの過去を知っている。精神を病みそうになり、一人で長い眠りについていたことを。

 今サクラの精神が安定して見えるのは、ここに待ち焦がれた兄であるアカツキがいて、幼馴染のヒロフミが今何をしているかも分かっていて、かつ穢れへの対処法も既に見出されているからなのだろう。


 サクラの精神の安定に一役買っているアカツキは、そんなことに全く気づかず、必死に巻物に書かれた文字を目で追っている。


「――だいぶ頼りない兄だけど、それなりに信頼しているのよ」

「そうですか。……暗記しないといけなくて、涙目になっていますけど」

「……ええ、とっても頼りないの」


 二度言った。そのサクラの言葉には、アルも完全に同意するので指摘しないが。

 サクラは少し不安が増してしまったのか、「私も【まじない】を確認する」と言って、アカツキの横から巻物を覗き込む。


「あ、サクラさんがご自分に【まじない】を掛けられたら、アカツキさんが覚える必要はないのでは?」

「それは無理ね。【まじない】はこの世界に適応させた【呪術】だと宏兄は言っていたの。本来魔力を使えない私たちは、魔力を呪力に変換させて【まじない】を使うわ。元になる魔力が穢れていては、それを使った【まじない】での穢れ祓いは十全な効果を発揮できない――って、ここに書いてあるわ」


 すらすらと説明されて、なぜサクラがそれを知っているのかと思ったら、巻物を読み上げただけだったようだ。術式だけでなく、その構築に関する基礎理論も記してあるようだ。

 アルが後で全て解説してもらえないかなと思いながら眺めていたら、ふとアカツキが顔を上げた。


「――待って、それって、巻物に書かれてるの全部が術式じゃないってこと?」

「そうよ? ……待って、つき兄、理解して読んでたんじゃないの?」


 何か恐ろしい真実に気づいてしまったかのように、サクラが顔を引き攣らせた。アカツキが少し生気の抜けた表情で目を逸らす。


「はは……俺の暗記法は、内容の理解より先に文字で頭に叩きこむ、だぞ……」

「非効率的!! 宏兄が覚えろって言ったなら、その方法じゃ絶対に不可だと思うよ!?」


 サクラがアカツキの腕をパシパシと叩いた。あまり痛くなさそうな威力だけれど、多少なりとも衝撃はあるだろう。だが、アカツキは一切避ける素振りを見せなかった。アカツキなりの反省の示し方なのだ。


 暫く兄妹の不毛なじゃれあいを観察していたアルは、握っていたブランの手を離してサクラの方に手を伸ばした。暇すぎてブランの手を握って揺らすという遊びをしていたのだ。ブランのクインと別れた悲しみが少し癒えているようなので、無意味な手遊びではない。


「サクラさんが手を痛めてしまいますからそこまでにしましょう。……アカツキさん、とりあえず、最初から最後まで理解するように読んでください。アカツキさんの知識が、杖に反映されるということなら、それが一番の近道のはずです。ヒロフミさんは覚えろと言っていたのですから、なるべく全て覚えた方が良いのでしょうが……杖がアカツキさんの暗記力を補ってくれるかもしれませんよ」

「最初から諦められてるみたいで、つらたん……。でも、正直そうなってくれたらありがたいっす……」


 しょんぼりとしたアカツキが巻物の初めに目を向ける。サクラはため息をつき、自分を落ち着かせるように深呼吸してから、つらつらと説明を始めた。読むだけでなく、理解しやすいように教えた方が効率的だと悟ったのだろう。

 昔から【まじない】を使って過ごしてきたサクラの方がアカツキより理解力があるのは当然だ。アカツキは「ほへー、なるほど、そういうこと……」と頷きながら解説を聞いている。


 アルもそれを聞きながらメモを取っていた。解説を頼むより先に思いがけずその機会が得られたのだから、無駄にするつもりはない。

 ブランがつまらなそうに欠伸をしているので、膝の上に乗せて背中をポンポンと叩いて寝かしつけた。ブランは寝ていたら『飯だ!』とうるさくならないし、これが最良の対処法だ。


「――にゃるほど……まじ呪文部分少ないやん? これ、説明しないとか、宏の怠慢野郎……!」

「きちんと読めば理解できることをスルーしたつき兄が悪いと思う」


 巻物の最後まで辿り着いた時、叫んだアカツキに向けられたのは冷たい眼差しだった。アカツキは再び「つらたん……」と呟いたが、サクラに「その言い方キモい」と一刀両断されて、テーブルに突っ伏す。


「――【まじない】ってこの基礎理論を理解することが、行使において重要だから、宏兄が覚えろって言ったのも、間違ってないんだよ。つまりは、つき兄の怠慢でファイナルアンサー」

「……はい、反省します」


 サクラの追撃に、アカツキがさらに落ち込んでいるので、アルは苦笑しながら、慰労を兼ねて休憩用のお茶を用意した。

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