第297話 深まる謎

 アルは頭の中でサクラの言葉を反芻し、飲み込んでから口を開いた。


「……ずっと昔というのは、ここと外との時間のズレによるものではないでしょうか?」

『あ、ああ。それがあったな』


 アルの言葉にブランが納得したように頷く。だが、サクラは眉を顰めて首を振った。


「いいえ。宏兄が言った感じだと、外の世界でもだいぶ昔のことのはずよ。なんと言っていたかしら……? 『ドラグーン大公国が帝国の傘下に入ることになって、リアム様が苦悩した顔だった』って話と一緒に聞いたはず。これはそんな最近の話じゃないでしょう?」

「……そうですね。ドラグーン大公国が帝国の傘下に入ったのは、百年近く昔のことです」


 アルは困惑しながらも、歴史書の記録を思い出し答えた。


『つまり……どういうことだ……?』

「アルさんのお母さんが先読みの乙女じゃなかった……?」


 ブランとアカツキも理解しがたい様子で首を傾げている。精霊に聞いた情報だから、嘘だとはとても思えないのだが、アルも答えを持っていなかった。


 サクラも認識の相違があったことに困惑気味で、「ちゃんと時期を話しておけばよかったわね……」と謝る。だが、これはサクラのせいではないので、アルは首を振って謝罪の不要を告げた。


『吾もその者について情報があるのだが――』


 不意に口を開いたクインに視線が集まった。正直、みんな『まさか……?』という表情をしていたと思う。

 クインは苦笑して、僅かに首を傾けた。


『吾も先読みの乙女と呼ばれる者に会ったことがある。吾にこの神に至る地である異次元回廊の存在を教えたのは、その者だからな』

「え!?」

『なんだと……』

「どういうこと……? それって、宏兄が会った頃よりもさらにうんと昔ってことよね? クインがここに来た時期と、私たちがここを提供してもらった時期は、それほど離れていないはずだもの」

「……クインがどこで異次元回廊の情報を得たのかと疑問に思っていましたが。これは、先読みの乙女と呼ばれる人が何人もいる、もしくは、いた、ということなのかもしれませんね」


 クインの言葉に、アルたちは口々に感想を漏らす。

 顔を顰めつつ、今度は先読みの乙女の情報について整理することにした。


「まず、現段階で一番古い邂逅は、クインとのものですね」

『ああ。いつという明言はできないが、昔のことだろう』

「それが異次元回廊の始まりの頃だと考えると……サクラさんの感覚ではどれくらい昔のことですか?」

「えぇ……? 数百年……ってところじゃない? 正直、数えてないわ……。それに外とは時間の流れが違うようだし……」


 サクラが困惑混じりに呟く。改めて聞くと、あまりに長い年数である。

 それほど昔に、アテナリヤは異次元回廊を創り、サクラたちを管理人にした。そして、挑戦しに来たクインを試練の番人としてこの地に縛りつけたのだ。


「次の邂逅は、ヒロフミさんとのもの。これがおよそ百年前。……随分と時期が離れていますね」

『我らの中で会った者がいないだけかもしれんがな』

「それはそうだね。……それで、次の邂逅が精霊たちとのもの。母の生きた年数を考えると……三十年くらい前かな? フォリオさんへ、先読みの乙女の助言による指示があったのが二十年前くらい。……こんな感じか」


 紙に書き綴り確かめる。どう考えても同一人物の足跡とは思えない。そもそも、アルの母であり、先読みの乙女と呼ばれた人は、一国の王女として生まれているのだから、遥か昔の人物と同一であるはずがないのだ。


「これ、どう考えても別人よね。でも、みんな先読みの乙女と呼ばれる人……」

「あ、そうだ。先読みの乙女の能力って、特殊なんじゃなかったですっけ? ほら、アルさんの母親になった時には、既に先読みの乙女としての記憶と力はなかった、みたいなこと精霊の王が言ってましたよね?」


 アカツキの言葉にアルは頷く。アルも同じことを考えていた。


「……先読みの乙女という立場や能力は、継がれていくものなのかもしれませんね」


 そう考えるのが自然だった。それが途絶えることなく続いているものなのかは分からないが、先読みの乙女という立場の者は、各時代において別人であるのは間違いないだろう。


『その可能性は高いな。……ふむ、それならば――』


 不意にクインが顔を上げる。アルとクインの視線がぶつかった。なんだか微笑まれているように感じる。


『では、吾は先読みの乙女の足跡を辿ってこよう。他にも会った者がいるかもしれん。……アルも、それを知りたいだろう?』


 問われて、アルは少し躊躇った後に頷いた。遥か昔に先読みの乙女と呼ばれた人は、アルの母親ではないだろうが、どうしても気になって仕方がない。クインが調べてくれるというなら、拒む必要はないだろう。


「……よろしくお願いします」

『うむ。これが恩返しになればいいのだが。危険にならぬ程度に他にも色々と情報を集めてくるぞ』


 クインが体を起こし、グッと伸びをした。そろそろ旅立つ雰囲気だ。


『……もっと休んでからでもいいと思うが』


 ブランが複雑な表情でクインを見上げる。引き止めたいと思っているのが伝わってきた。

 異次元回廊はクインにとって居心地がいい場所ではないかもしれないが、それでも久々に認識し合えた親子が離れるには、まだ時間が短すぎる気がする。


「そうですよ。魔法の影響で不具合があるかもしれませんし、もう少し様子を見ましょう」


 アルはブランの言葉に続いて、クインにねだってみた。母親と別れがたい様子のブランの望みを叶えてあげたかったのだ。

 クインは苦笑して、体の調子を確かめるように静かに目を瞑った。


『……いや、問題はないはずだ。それよりも、吾をここに縛りつけたのが神の意思によるものだけなのか確かめるためにも、ここを離れてみるべきだろう』


 首を振って告げるクインを、アルはじっと見上げた。

 そういえば、初めの話では、クインは魔族――つまりサクラたちによって、この場に縛りつけられているのだと思っていたのだった。

 そのことはサクラにより否定され、神による仕業だろうと結論づけたが、実際にそれが正しいかはまだ分からない。


『それに、時間は有限だ。世界を巡り情報を集めようと思えば、足りないくらいだ。サクラたちはともかく、アルの時間は短いのだから』

「……それは、そうですが……」


 アルは渋々と頷く。クインの言葉が正しいことは分かっていた。


「クイン」


 サクラが真剣な表情で呼びかける。クインは穏やかな雰囲気で見つめ返した。


「――無事でいてね。ちょっとでもおかしいなと思ったら、すぐに帰ってくること。あ、でも、クインは転移の方法がないから……異次元回廊に戻ってきたら、すぐに私の所に来られるようにしておくわ。この空間内だったら、転移システムを使えるから」

「それなら、異次元回廊に入りやすくしておく必要がありますね。たぶん入り口付近をうろつけば、管理者のトラルースさんが気づいて、入れてくれると思いますけど……手紙を書いておきましょう」


 アルは急いで手紙をしたためた。トラルースならば人間の文字も読める気がするが、一応精霊文字でも書いておく。

 これを見せれば、トラルースはクインが異次元回廊に入るのに協力してくれるはずだ。


 書いた手紙を首元に下がる魔道具に括りつけて準備は完了。クインの状態については不安が残るが、本人の意思が固いようなので、後は無事を祈り見送るしかない。


『ありがとう。では、外に通じる門へと行くとするか』

『……ふん。精々久しぶりの外を楽しめばいい』


 拗ねた様子で顔を背けつつも、ブランがクインに見送りの言葉を掛ける。寂しそうな雰囲気を感じて、アルはブランを抱き上げて撫でて慰めた。



◇◇◇



 長い縛りから解き放たれたクインは、問題なく門まで進み、別れを惜しむアルたちに頬ずりして、門の向こうへと消えていった。

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