第293話 親と子。友と恩。
クインと話し合って今後の方針を考える。
『――吾は外に出てみようと思う。神からの契約が解除されたわけではないはずだが、これがあれば出られると思うからな』
首に下げた魔道具を示して、クインが口の端を上げた。
魔道具は神からの干渉を防ぐものだから、クインが外に出られる可能性は高いだろう。
アルは頷いてクインの考えに同意した後、ブランを見下ろした。
ブランはジッとクインを見上げて、ゆるりと尻尾を揺らしている。
クインは外に出ることを選んだ。そこにブランについての言及はない。つまり、今後共に行動する意思はないということだろう。
一つ気になるのは、クインが本来抱いていた望みについてだ。
クインはブランを永遠の命から解放することを諦めたのだろうか。
「……せっかく解放されたのだから、自由に生きるべきですし、僕もクインの意思を尊重したいと思います。ですが……ブランのことはどうお考えですか?」
『む? 我については捨て置け』
ブランは尻尾をピタリと止めて、クインを見据えた。強い意志が窺える眼差しだ。
『……言われずとも分かっておる』
クインは苦く笑って答える。だが、アルとブランを見つめる眼差しは優しく愛しげだった。
『お前は自らの生き方を既に定めた。吾がその生き方に干渉するのは、我が儘というものだろう。……良き者と出会ったな。大事にするといい』
アルはパチリと瞬きをした。足元では、ブランが落ち着かない感じで尻尾を忙しなく振っている。
『なっ!? 何を言うっ。我は、ただ、こやつの旨い飯を食うために、一緒にいるだけだ! 別に、こいつを好いているからとか、ではなくてだなっ! 飯が食えなくなったら嫌だから、守ってやることもするが……!』
『何を慌てておる。吾はそこまで言っていないが』
バタバタと手を振り、言い訳のような言葉を吐くブランを、クインが揶揄するように見下ろした。
ブランがピタリと口を閉じ、固まった後にプイッと顔を背ける。
アルは込み上げてくる笑いを堪えるために、口に拳を押し付けた。
「ふっ、くっ……うん、分かってるよ。僕と一緒にいるのは、ご飯のためなんだよね」
『そ、そうだ! 旨い飯を作れ!』
偉そうにねだられたところで、先ほどの発言を考えると可愛いだけである。
ブランはアルのことを好いて傍にいることを選んだのだと、悟られるのが恥ずかしいのだろう。既にブラン以外のみんなが、そのことに気づいているが。
アカツキがニヨニヨと笑って、ブランの頭を撫でた。
「か、わ、い、いー!」
『うるさい! 我は可愛くなんぞない! ただ食い意地が張っているだけだ!』
「ふはっ……自分でそれ言っちゃうの?」
アカツキに揶揄われ、恥ずかしさのあまりブランが喚いた言葉に、アルは吹き出して笑ってしまう。普段はアルがブランを咎めるために使う言葉なのに。ブランの照れ隠しが必死すぎる。
「いたっ、痛いってば!」
『我を撫でるなど、千年早い!』
「千年は長すぎでは!?」
ブランはアカツキを叩くのに夢中で、アルが笑っていることに気づいていなさそうだ。
サクラが傍に近づいてきて、一緒にブランたちを微笑ましげに眺める。
「アルとブランは相棒って感じで、良い関係性よね」
「そうですか? ブラン曰く、大食らいと料理人という感じらしいですけど」
「それがブランの照れ隠しだって分かっているくせに」
笑ってアルの腕を叩くサクラ。それに微笑み返してから、アルはクインに視線を向けた。
クインはブランたちを目を細めて眺めていた。大きな尻尾が機嫌良さそうに揺れている。
「クイン」
『なんだ?』
「ちゃんと大事にします。……僕が生きる時間は、ブランよりも短いですが」
『……うむ。頼んだ』
クインの大きな顔が近づいてきて、アルに優しく頬擦りした。これは聖魔狐の愛情表現なのだろうか。くすぐったくて笑いそうになるのを堪える。
『アルよ』
「はい」
離れたクインが真剣な眼差しを向けてくるので、アルは表情を引き締めた。
『そなたはおそらく重要な運命を背負っているのだろう。そなたの生の行く末が、吾には見えぬ』
「え……? 行く末って……」
まるで普段は未来が見えると言わんばかりの言葉だ。アルは戸惑いながらクインを見つめた。
クインはアルの疑問には答えないまま、僅かに目を細める。
『そなたの意志が、新たな未来を紡ぐ。思いのままに生きるといい。そなたを縛るものは、この世界にありはしない』
「……はい」
言葉の全てを理解できたわけではないものの、クインの言葉がアルを思ってのものだと伝わってきたから、アルは静かに頷いた。
『生きる時間についても、倅を心配する必要はない。あれは、それを知った上で、そなたと生きることを選んだのだ』
精霊の力を継いでいようと、この体は人のもの。
アルは自分の体を構成する時の魔力を見たことがある。――アルの命は、今のところ普通の人間と変わりない。
つまり、百年と経たずアルはブランを置いて去ることになる。そのことを考えたことがないわけではなかった。
「……分かっています。だから、生きている限り、ブランと楽しく生きようと、決めているんです」
『そうか。では、吾はそれを応援しよう』
クインと目が合った。アルが微笑むと、クインも表情を和らげ、ゆらりと尻尾を振る。
『……何を語らっているのだ』
不意に不満そうな声が割り込んできた。飛びついてきたブランを、アルは慌てて支える。
ブランはアルの腕を蹴り、定位置の肩に収まると、頬にグリグリと頭を擦り寄せてきた。その力が強すぎてアルの頭が傾ぐ。
「ちょっと、痛いよ、ブラン」
『フンッ、つまらぬことを話しているからだ』
鼻で息を吐き捨てたブランの頭を撫でて宥める。ブランが不機嫌になった理由は分かっていた。
ブランはアルに終わりがあることは分かっていても、まだそれを考えたくないのだろう。理解して納得していても、それを悲しむくらいにアルへの情は薄くない。
「ごめんごめん」
『謝罪が軽い!』
適当に返したら、直ぐにバレた。痛くないパンチを、アルは笑いながら受け止める。
『仲が良いのは素晴らしきかな』
「そうね。……私はあなたが外に出るのは寂しいけれど、自由に生きてほしいとも思っているの。私のこと、忘れないでね」
アルたちを眺めていたクインが、サクラに視線を移す。アルたちもサクラを見つめた。
「桜……俺がここにいるから、一人じゃないぞ!」
「はいはい、それはそれ、これはこれ」
「なんで受け流すのー!? ここは『お兄ちゃん……嬉しい!』ってデレるとこじゃない!?」
「そんな幻想を語られても……」
アカツキのせいで、寂しい雰囲気は一瞬で霧散した。良いことなのかもしれないが。
サクラに素っ気なくされて落ち込むアカツキを、ブランが鼻で笑う。
アルは苦笑しながらクインを見て、真剣な眼差しに気づき首を傾げた。
「クイン?」
『……吾が再び自由を得られるようになったのは、アルとサクラのおかげだ。アルは倅が世話になっておるし、サクラは吾を長年支えてくれた。その恩を返さないわけにはいくまい』
「恩返しって、そんな大袈裟なものはいらないけど……」
クインの真面目な言葉にサクラが苦笑する。アルも肩をすくめた。
「せっかく自由を得たのですから、あまり捕らわれなくともいいのでは?」
『捕らわれているわけではない。吾がそうしたいだけだ』
アルが説得を試みるも、クインの意志は堅いようだ。
ブランが半眼で、『これだから、勝手に我の枷の解除を神に望むなんてことをしでかすのだ』とぼやく。確かにクインは頑固者の雰囲気がある。
『吾は外に出て、サクラたちの同族についてのことを調べて来るぞ。帰る術もな。二人とも望んでいることだろう?』
「……まあ、アルさんはともかく、私はありがたいけど」
「僕も、これからその術を探すつもりですから、手を貸してもらえるのは嬉しいですよ」
聖魔狐とはいえ、魔物の一種であるクインがどこまで成果を得られるか怪しいが、それで恩を返したとクインが納得できるなら十分だろう。探るだけならさほど危険もないだろうし。
「――あ、でも、イービルに近づいたり、悪魔族と接触したり、あとは帝国とか戦争とかと関わりを持ったりしないように、気を付けてくださいね」
『……それでは、吾ができることが少なくなる』
「危険な行為は駄目です」
「そうよ! クインは自分の身を大切にして!」
アルが念のためにと告げた注意事項だったが、本当に必要だったようだ。危険を顧みないクインに、アルとサクラが念を押すと、不満そうに押し黙られてしまった。
『恩の押しつけは迷惑なだけだぞ。それで傷を負った場合、最も悲しむのはアルとサクラだ』
ブランの言葉にクインが息を飲む。
それはブランにも当てはまる言葉だと思えたから、アルも口を噤んだ。
クインが『ブランを永遠の命から解放しよう』と望んで、結果として存在を改変させられていたことを、ブランはやはり悲しんでいたのだ。
『……そうだな。吾のせいで悲しませたくはない。すまぬな、気をつける』
サクラとアルに頬を擦りつけ謝ったクインは、最後にブランの小さな頭に額をつけ、しばらく目を閉じた。
ブランもクインも何も言わない。だが、静かに親子の会話がされているように感じられて、アルたちはゆっくりとその様子を見守った。
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